2013年7月6日土曜日

THE DAY JOHN MET PAUL

 たとえば、現在の恋人や奥さん、あるいは旦那と出会った最初の日のことをしっかりと覚えている、という人はどれくらいいるでしょうか?何月何日というのは、特別の日だったら記憶に残っているかもしれませんが、その日のニュースや天候の移り変わり、彼女/彼氏に会うために家を出た時刻まで正確に思い出せる人は稀ではないでしょうか?

THE DAY JOHN MET PAUL (New ed.)
by Jim O'Donnell (2006)


 ジム・オドネルは、イギリスのリバプールの 1957年7月6日(偶然にもこの年も土曜日でした)を克明に再現し、'THE DAY JOHN MET PAUL'を著しました。
 彼は、200に及ぶ資料にあたり、さまざまな人にインタビューをして、ジョンとポールという二人の青年の周りで起きた出来事を、時間単位で克明に再現したのです。著者が言うには、単に事実を掘り起こして記述するのではなく、1957年7月6日のリバプールの精神(spirit)を再現するのが最終目標だったそうです。

 16歳のジョンは、当時アメリカでもてはやされていたエルビス・プレスリーらがもたらしたロック・ミュージックにあこがれ、部屋にはプレスリーのポスターを貼り、友だちとロックバンドを作って、演奏できる場所があったらどこででも演奏を披露していました。
 そして、1957年7月6日(土)は、午後4時過ぎから、聖ペトロ教会でのお祭りで、クォリー・メン・スキッフル・グループの一員として、コンサートをすることになっていたのです。
聖ペトロ教会でのお祭りのプログラム
午後4時15分にクォリーメンの演奏があります
'THE DAY JOHN MET PAUL'より
一方、前の月にちょうど15歳になったばかりのポールは、お母さんを亡くしたのをきっかけに、音楽にのめりこむようになりましたが、彼はバンドを組んだりはしていませんでした。たまたま、クォリー・メン・スキッフル・グループのメンバーの一人が、級友にいて、この日は彼らの演奏を聞きに行く約束をしていました。ポールにしてみれば、可愛い女の子に出会えるかもしれないな、という程度のノリだったようです。
 そして、運命の午後4時過ぎ、ポールは聖ペトロ教会のお祭りの中で、ジョンに出会うことになったのです。

THE BEATLES  'SOMETHING NEW'
のアルバムジャケットより




 この二人は、やがてバンドを結成します。それから紆余曲折を経て、彼らは、音楽のみならず、文化や社会全体に影響力をもったロックグループ、ザ・ビートルズの主力メンバーとなり、レノン/マッカートニーのクレジットで170曲近い楽曲を世に残すことになったのでした。












 ところで、京都市立病院では、今日は京都市立病院での初期臨床研修を希望する医学生に向けての病院説明会が開催されました。新館の7階大ホールには、54名の医学生が集まってくださいました。病院の概略紹介と各診療科からの自科紹介があり、その後、病院見学、先輩研修医・専攻医との談話がもたれました。
初期研修希望者への病院説明会風景

 集まった54名の中には、将来私たちの良きパートナーとなる人物がいるかもしれません。そして、彼らと一緒に仕事をすることで、社会や世界を大きく変えていくことがあるかもしれません。
 ちょうど、56年前のジョン・レノンとポール・マッカートニーのような出会いが、今日の病院説明会の場であったかもしれないと考えるとワクワクしてきますね。