2013年7月26日金曜日

私たちは植物が根づく土地を耕しているだろうか?

 サン・テグジュペリの『星の王子さま』の中に、こんな言葉があります。



 「人間?6人か7人はいるはずよ。何年か前に見たことがあるわ。だけど、どこにいるかは誰も知らないの。あれは風に飛ばされるでしょ。根がなくて生きるのって大変よね」
(池澤夏樹訳)

 砂漠に降り立った王子さまが出会った一本の花が、「人間はどこにいますか?」という王子さまの質問に答えたものです。

 しっかり大地に根をはった植物からすれば、人間というのは根がなくてどこにも落ち着けないように映るのでしょう。
 仏文学者の水元弘文北九州市立大学名誉教授によれば、私たちには植物のような根はありませんが、目に見えない根がある、と言います。




 家族、友人、学校、職場……等々。こうした根は時には不自由を感じさせますが、それでも何も結びつくものがない虚しさや不安定さよりはましで、その結びつきが自分の行動や自分の存在を意味あるものにすることに私たちは気づいているのです。

 「仕事にしろ、結婚にしろ、かなり自由を制限するものですが、それでも多くの人は就職を喜び、結婚を喜びます。私たちが求めているのは自由そのものではなく、自分を成長させ、花を咲かせ、実を結ばせそうな土地であり、そこに根づくことなのです。本当に欲しいのはそこで得られる充実です。」(100分de名著『星の王子さま』NHKテレビテキストより

ピエール・ブレーズ指揮・クリーヴランド管弦楽団
ストラビンスキー作曲『春の祭典』(1969年)
のLPジャケットより

 植物にとっての「土地」は、土壌そのものでしょう。しかし、人間にとっての「土地」というのは、たとえば、住んでいる家屋、学校の校舎、会社の社屋、あるいは病院の建物のことでしょうか?
 いいえ、私たちにとっての「土地」とは、そこでともに暮らす家族や、ともに学ぶ級友や学校の先生方、ともに働く会社や病院の同僚や上司…等々。
 つまり私たちの「土地」とは「人の集まり」なのです。











 どこに根を下ろすか、まわりの人とどのように過ごすか…それは、そこにいて自分自身が成長し、花を咲かせ、実を結ぶことができるか、そして充実感を感じられるかどうかで選ぶことができるかもしれません。

クリスタルキングのメンバー

 大都会のように人がいくら大勢集まっていても、「交わす言葉も寒い」クリスタルキング『大都会』[1980年])ようでは意味がないのです。

 若い間は、「土地」に頼るだけでも許されるかもしれません。でも、自分が部下や後輩をもつ立場になったときには、自らが「土地」の一部を構成しているということを自覚しなくてはなりません。
 いつも、植物がすくすく育ち、将来美しい花を咲かせてくれるように、植物にとって「土地」を豊かなものに保っておかなければなりません。

 毒に満ちた「土地」では、やがて、草は枯れ、花はしおれてしまうでしょう。