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今日は、さわやかな朝を迎えました |
昨日は、ゴールデンウィークの初日の土曜日でしたが、さっそく三件の臨時手術が入り、待機のM先生が活躍されました。
おつかれさまでした。
さて、今日は朝から内山興正さんの
『正法眼蔵 八大人覚を味わう』(大法輪閣)を読んでいました。
「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は道元が書いた大部の書物で、その中にある
「八大人覚(はちだいにんがく)」というのは、大人となるための八つの覚え書きといった意味です。
この八大人覚の第一は、
少欲です。無欲ではなく、少欲というところが仏教の面白いところです。必ずしも欲を否定はしていないのですね。
幼稚園児は、いつも「あれが欲しい、これが欲しい」と愚図っていますが、大きくなって社会に出たら、欲しいものがオモチャやお菓子から、ただカネや名誉に変わるだけのこと。カネが欲しい、名誉が欲しいという気持ちは、人間多かれ少なかれ、あって当然。けれど、自分だけカネが欲しい、もっと名誉が欲しいというのでは、幼児と変わらないのです。
家や車が欲しいと思ったときに、手元にお金がなければ、あきらめてしまうところが、やっかいなことに、現代社会ではローンという制度があります。つまり、ローンを組めば、欲の上限はどんどん上がってしまいます。
しかし、欲というのは、物がいったん足りてしまうと満足できるものでもなく、さらに物を求める新たな欲が生まれてきます。そのために更にローンを組む…悪循環ですね。このように、何かを得て欲を鎮めるということはできません。欲は、欲を手放すことによってしか克服できないようです。
むさぼるだけむさぼるという根性ではなく、
少しでも譲る、欲を少なくするという自制心をもつ、これが大人の目だと、内山さんは言っています。
だから、少欲というのは欲を少なくするというだけではなく、少なくした分(食べ物でもお金でも)を他人のために使うという姿勢を含んでいるのですね。
と、そこまで読んだところで、今日は筍掘りに出かけました。桂坂中央のロータリーを下ったところにある竹林で、大きな筍を4本掘ってきました。
わが家でこれだけ全部を食べられるわけもなく、「八大人覚」で、少欲を教えられたばかりだったので、当然のことながらご近所におすそ分けしました。
少欲、少欲…南無阿弥陀仏
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いちばん大きいのは6.6kgありました |