菟原処女は、とても美しい可憐な娘でした。あるとき、菟原処女は、二人の男性に言い寄られ、結婚を迫られます。しかし、彼女は、どちらの男性を選ぶかを決められず、生田川(今の神戸市にある)に身を投げてしまいます。そして、そのことを知った二人の男性も娘のあとを追って、生田川に身を投げてしまいます。そして、川辺には、菟原処女の墓の両側を二人の男性の墓がはさむように、結局三つの墓が並ぶことになったそうです。
この悲話をひいて、小惑星探査機はやぶさのプロジェクトマネジャーを務めた川口淳一郎さんは、feasibility(実現可能性)について説明しています。
最適なもの、つまり一つの正解を突きとめるために、私たちは何度も検討を加えます。しかし、現実には、正解と言えるものがなかったり、無数にあったり、分からなかったりします。そこで「解がない」と言って、頭をかかえこんでしまえば、菟原処女と同じ結果になってしまうのだ、と川口淳一郎さんは指摘しています。(川口淳一郎『「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言』[飛鳥新社])
そして、検討と熟慮を重ねれば、もっといい方法が見つかるかもしれないけれど、私たちには永遠の時間が与えられているわけではないのだから、とりあえず、今、示された提案の実現方法を考えてみる。それがfeasible(実現可能)であるならば、その提案の採用を後押しする。大きなプロジェクトを成功させる際には、そういう方法も必要なのではないか、と提言しています。
人間が関わるプロジェクトの場合、複数の人の意志や判断というものが介在してくるので、こんなややこしいことになるのでしょうね。ましてや、「解」の中に、たとえば、人員を削減するなどといった「人材の問題」が介在している場合には、問題はことのほかむずかしく、また相手の意思もあるためにドロドロとしてくるのではないでしょうか?
指の間の膜はやがて アポトーシスによって 無くなってゆきます |
その点、生物の世界はうまくできています。たとえば、ヒトの発生過程の中で、指の間の膜は、生まれるまでになくなって指が形成されてゆきます。この現象は、アポトーシスといって、文学的な表現をすれば、細胞自身が自ら死を選ぶかのように、身を引き、消えてゆく現象です。このアポトーシスによって、ヒトの指は、ヒトの指となるために、自らの体細胞の一部に身を引いてもらっているのです。
手術もひとつのプロジェクトと見た場合、ある局面では、正解ではなく実現可能な解を求められる場合もあると思われます。そして、むずかしいのは、手術の場合、もう一度別の方法を試みるということができない、という点ですね。