左手の建物が新棟 |
手術室では、H先生が案内して下さり、システムの説明をていねいにして下さいました。
ありがとうございました。
手術室は10室。年間の麻酔科管理症例数は、約3700件。手術麻酔のみならず、外科系ICUの運営と救急救命室の外来および当直、さらに緩和ケアに、麻酔科が関わっています。
周産期センターは産婦人科を中心に充実しています。帝王切開は、このセンター内でできるように設備が整えられていて、年間240件以上の帝王切開が、麻酔科管理の下に行われています。
手術室内には、日勤帯は薬剤師が一名常駐し、麻薬を含む薬剤の管理をされています。聞けば、硬膜外用のPCAポンプへの薬剤充填も、手術室内に設けられた薬剤師用のブースで薬剤師さんがされているとのこと。
赤十字社は、スイスの実業家アンリ・デュナンが提唱して設立されました。もともとは戦争において、傷ついた兵士たちを敵味方関係なく助ける、ということから始まったムーブメントでした。1863年には「戦傷兵国際救済委員会」がデュナンらによって設立され、さらに「公平、政治・経済・宗教からの独立、普遍、各国機関の平等」という四つの原則を掲げてヨーロッパ各国に呼びかけて戦傷兵や捕虜の救済活動を展開します。やがて、1867年に、この会は赤十字国際委員会と名まえを変えます。
レストランのある第一日赤の5階の窓から北を望むと 比叡山の山の端が東山と稜線をそろえて見えました。 台風が近づいているせいか、空には怪しげな雲が 広がっていました。 |
林 洋海『医傑 凌雲』(三修社) |
凌雲は、パリのオテル・デューで研修を始めますが、そこで「病には身分の隔てがなく、治療を受けるのはすべての人の権利である」「病は貧困がつくる、貧困は病がつくる」という精神を身につけていきます。
そして、彼は、帰国後は貧民医療の重要性を政府に訴え、また自らも貧民医療を実践していきました。
フランスへ渡った当初は、己の名誉栄達を追い、己の出世の手段としてのみ医術を学ぼうとしていた凌雲でしたが、オテル・デューでの研修の中で、「医者は人のためにあり、病人に対してはその病を診て、貴賎貧富を質してはならない」という姿勢を身につけていったのでした。
これぞ、まさに赤十字精神なり |