2012年12月31日月曜日

手術室の断捨離はできるのか?

 今日は大晦日。深夜には、新年にまたがって除夜の鐘がつかれます。

 除夜の鐘は108回つかれます。この108というのは、人がもっている煩悩の数だとか。煩悩は、自己中心の考えとそれにもとづく人や物や金などへの執着(我執)から生ずるとされています。


 このブログでも何度か登場した西院にある高山寺の門前の掲示板には、かつて住職の説法の一部が掲げられていました。(最近は残念ながら見かけることはありませんが)その中で、印象深く残っているものに、次のようなのがあります。

 「我が我がの『が』で生きるより、
        おかげおかげの『げ』で生きよ」

 「が」で生きるのは、煩悩にとらわれた自己中な生き方。それに対して「げ」で生きるのは、自分が無事に生きていけるのは他人のおかげと、常に人に感謝の気持ちを示そうという生き方なのでしょう。

 一時もてはやされた断捨離という言葉の「離」というのも、「物への執着から離れる」ことだとされています。

年末に手術室をふり返ってみると、この場で断捨離を貫くことのむずかしさを思い知らされます。
 小児の手術後、搬送用の小児用柵付きベッドを回復室から出そうとすると、顕微鏡や内視鏡用のテレビモニタートロリーをどけなければなりません。
 ナースのKさんは、ひとつひとつ器材をどけて小児用ベッドを運び出し、また器材を戻すのに苦労をされていました。




器材室のモニタートロリーたち
  内視鏡手術が増えてきたので、テレビモニタートロリーは、器材室だけでは収納しきれず、今や回復室や廊下にまであふれつつあります。その数、しめて16台。










回復室に置かれたモニタートロリーたち



 新しい手術室ができたあかつきには、これらのモニターたちが落ちつく場所も確保できるのでしょうか?












 とまれ、今年も暮れゆき、明日からは新たな年が始まります。来年は、新しい手術室ができ、新しい器材も増えます。
 それらを生かすも殺すも人次第。否、人と人との関わり次第、といった方がより適切かもしれません。
 「が」ではなく「げ」で関わることが大切になる年になるかも知れませんね。

 では、みなさま、どうぞよいお年を。