2013年3月21日木曜日

紙の本はどのようになっていくのだろうか?

 京都市立病院には、現在、北館の2階に図書室があります。
京都市立病院図書室の風景


 将来は、本館の4階(今の医局の場所)に図書室を設置し、さらには新館の2階、コンビニの隣あたりに患者用図書室を新たに作る予定だそうです。

 図書室には、各診療科が利用する内外の雑誌のバックナンバーや新着刊のほか、単行本も所蔵されています。また、インターネットを介して、契約のある医学雑誌の電子版も閲覧することができます。


漱石全集(岩波書店)とkindle版『吾輩は猫である』



  近年、kindleや青空文庫など電子書籍が普及しつつあります。これによって、紙媒体の書籍は衰退していくのではないか、という悲観的な見解も聞こえてきます。









kindleのフォント
漱石全集の活字












 でも、紙の本に馴染んできた世代としては、手に持ったときの本の重量感、紙の質感、匂い、ページをめくるときのそこはかとない音なども、捨てがたい魅力のひとつなのです。

 ただ「情報」として文章を読むだけなら電子書籍で十分なのでしょうけれど、読書を楽しむ場合には、やはり紙の本でなければ、と思ってしまうこともあります。

 それに、「本」全体をひとつの作品とみなすときには、装丁というのがかなり大きなファクターとなります。ずばり、『装丁道場』[グラフィック社]という本には、28人がデザインした、漱石の『我輩は猫である』の実にさまざまなオリジナル装丁が紹介されています。
帆足英里子さんの可愛らしい装丁
(『装丁道場』より)


 表紙に猫の足型を浮き上がるようにつけたものや、しおりの端に猫のしっぽをつけたもの、ページの下に点々と猫の足跡がついているものなど、電子書籍では表現できない「遊び心」があります。









 電子書籍には、大部の本を持って歩かなくてもよい点とか、瞬時に英語の日本語訳や、むずかしい日本語の語釈が調べられるなど、利点があります。だから、どちらが優れているとか便利だとか言い合うのではなく、本を読む手段が多様化した時代を生きることができた、ということに感謝すべきなのだろうと思います。