2013年10月31日木曜日

硬膜外穿刺の間もバイタルに気を配るためには

 京都市立病院新館に新しく作られた手術室は、画像システムが充実しています。

 天井から吊り下げられたモニター画面の画像は、麻酔の生体情報モニター、術野カメラ、顕微鏡や内視鏡の映像、電子カルテから開いた画像など、任意の画像を任意のモニターに呈示することができます。
硬膜外穿刺を左側臥位で行う場合、モニター画面は、
麻酔科医の左手にあって画面が見づらくなります。

 たとえば、硬膜外穿刺を左側臥位で行う場合、麻酔器と生体情報モニターは、麻酔科医の左手に当たる場所に置かれるので、穿刺中のバイタルなどが確認しづらくなっています。

 






正面の吊り下げモニターに患者の生体情報を
呈示すると、首をひねらなくても画面が見えますね




 こんなときに、穿刺をしている麻酔科医の正面にある吊り下げモニターに患者の生体情報をリアルタイムで表示すれば、麻酔科医は首を左にひねって見づらいモニター画面をのぞきこまなくてもその都度、患者のバイタルサインを参照することができます。
 これは確かにありがたいですね。














壁面の大型モニターでは、外科医が電子カルテの画像を
見ながら、術直前カンファレンス中

















 さて、二年目研修医のSb先生は、今日が麻酔科ローテーションの最終日となりました。明日からは、精神科の研修が始まるのですが、精神科の研修は、他病院で行われるため、11月1日が初日となるからです。
 最終日には部長から評価をしてもらうのですが、すべてA判定をもらったSb先生は、思わずピースサイン。
Sb先生、麻酔科研修、お疲れさまでした!

 この初期臨床研修での評価には、実は二種類あります。すなわち、形成的評価総括的評価です。形成的評価(Formative Evaluation)とは、テーマ(研修単位)の目標を修得しているか否か、つまり研修中にその形成過程の改善を目的とする評価です。その結果は、研修医の学び方や指導者の教え方を是正して、研修内容改善へのフィードバック資料とされます。
 一方の総括的評価(Summative Evaluation)は、達成された研修成果の程度を総括的に把握するための評価で、通常、全プログラムの終了した時期に〈合否や及落判定のために〉行われます。従来わが国の医学教育で行われてきた試験の大部分はこれに当たります。
 総括的評価だけで学科の研修目標に到達したか否かを判断すると、「一夜漬け」で合格点を取るような研修医が出てくるかもしれません。それに対して、1研修単位ごとに形成的評価からのフィードバックを受けながら研修すると、その後、研修内容を忘れていくスピードもゆっくりするだろう、と考えられています。

2013年10月30日水曜日

障害者医療は充実しているのだろうか?

 歯科では、障害者を専門に治療対象とする、障害者歯科学という分野があるそうです。障害者歯科学会という学会まであります。

 水曜日に京都市立病院に来ていただいているOn先生は、歯科麻酔専門医の資格をもっておられます。今日、話をしている中で、「医科には障害者を扱う分野ってあるんですか?」と質問をされました。
 確かに、聴覚障害者や視覚障害者の方々や精神発達遅滞のある方々も手術を受けに来られます。しかし、それらの方々を特別に扱う、診療科や麻酔科の分野というのはありません。
 聴覚障害者の場合には、手話通訳の職員が院内におられるので、麻酔の術前説明などのときには同席してもらっています。文字ボードの読める方だったら、手術室に入室後に文字ボードで伝えたい内容を伝えたりしています。手術室では、みなマスクをしているので、読唇もできませんから、それが唯一のコミュニケーションツールとなる場合もあるのです。
 
 以前、全盲で聾唖という男性の麻酔を担当したことがあります。このときは、コミュニケーションをどうしようかと頭を悩ませました。文字ボードも使えません。唯一のコミュニケーションは、手のひらに文字を書くと分かる患者さんでした。全身麻酔を導入するまでは、手のひらに文字を書くのでよいのですが、覚醒させるときには、肩をたたくなどの合図を送ることを、あらかじめ約束していたように記憶しています。この患者さんの麻酔を経験した後、たとえ外国語で内容が理解できなくても、聞こえてしゃべれる患者さんの方がずっとコミュニケーションがしやすい、と思ったものでした。

 いずれにしても、障害をもった患者さんとコミュニケーションをはかるには、健常者に対するよりも、長い時間を必要とします。焦らず、じっくり構える姿勢が肝心のようです。

今日の逸品

 嵐山の渡月橋北詰にある、琴きき茶屋の桜もちをご近所の方からいただきました。9月の台風18号の影響で、桂川が氾濫し、付近の土産物屋などが床下浸水して大変でしたが、今ではすっかり復旧して、観光客でにぎわっている様子です。


 この琴きき茶屋の桜もちには二種類あります。ひとつは、着色料を使わない白い道明寺もちを、塩漬けされた二枚の桜の葉ではさんだもの。餅の中には餡は入っておらず、食べるとほのかな甘みと、塩味がきいた桜の葉の香りが口の中で溶け合います。もうひとつは、道明寺もちをこしあんで包んだもの。形は、嵐山を型どっているそうです。
















人はみな、ほめて伸ばすのがよい

 赤坂で四川料理の店を経営する陳健一さんは、「自分は、どちらかというと、ほめて教えるタイプだ」と言います。



 「だから、まずはうまくできたり、美味しい料理を作ったりしたときには、「そうそう、うまくできてる!」「美味しくできたじゃん!」としっかり褒めてやる。逆の立場になってみると、自分が一生懸命やったことを褒められたら嬉しいからだ。ダメなときは「これはこうやったほうがいいな」と教えることもあるが、頭ごなしに怒鳴るということはない」のだそうです。(陳健一『陳家の秘伝』[日経プレミアシリーズ]









鈴木義幸『コーチングのプロが教える
「ほめる」技術』(日本実業出版社)


 コーチングの指導者である鈴木義幸氏は、「ほめることは技術」だと言っています。
 何気なく人がほめられるかというと、そんなことはないのです。相手をよく見て、相手が日々どんなことを思っているのかを洞察して、どんな言葉を投げかけられたいのかを熟慮して、初めて「ほめ言葉」は発せられるべきものなのだそうです。
 ただただ、「すごい!」「すばらしい!」と美辞麗句を投げかけるだけではダメで、相手が心の底で、他人から聞きたいと思っている言葉を伝えて初めて、「ほめる」という行為は完結するのだそうです。










 「期待された人ほど、伸びる」ということを示した、ローゼンタールという心理学者がいました。
 彼は、ある学校の小学生に知能テストを行い、その中から無作為に数名の生徒を選んで、「この子たちは伸びる」という偽りの情報を教師たちに伝えました。すると、それを信じた教師たちは、期待をこめてその子たちの指導にあたると、本当にその子たちの成績がぐんぐん伸びたのだそうです。
 このような、「期待された人ほど、期待された通りの成果を出せる」という説を、ピグマリオン効果と呼ぶことがあります。このピグマリオンという名前は、ギリシャ神話の寓話に由来しています。
 ピグマリオンは、キプロスの王でした。彼は彫刻家で、ある日、自分が作った理想的な女性の彫像にすっかり惚れ込んでしまいます。そして「こんな女性を妻にできたらいいのに…」と来る日も来る日も彫像をながめては願っていました。この熱心なピグマリオンの姿を見ていた、愛と美の女神アフロディテが、彫像を本物の女性に変え、ピグマリオンの願いをかなえました。

鮮やかに挿管を決めて、気管チューブの位置を
聴診で確認するNs先生。すばらしい!
だから、研修医の先生方も、どんどんほめて、期待をかければかけるほど伸びるのです。

2013年10月28日月曜日

山中伸弥教授と42.195 kmを走る

 昨日、27日は、第3回大阪マラソンが秋空の下に開催され、約3万人が大阪の街を駆け抜けました。現在、麻酔科をローテート中の一年目研修医のNs先生も、この大阪マラソンに参加しました。
大阪マラソンを完走したNs先生

10月28日付 京都新聞朝刊より

 今回の大阪マラソンには、2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞した、山中伸弥教授も参加されていました。山中先生は、2011年の大阪マラソンで約20年ぶりにフルマラソンを走ったそうです。そのときのタイムは4時間29分53秒。そして、今回の成績が、4時間16分台だったとのこと。
 京都新聞の記事によれば、完走後、山中先生は次のようなコメントをされました。

 「受賞後は練習不足で体力が落ちてしんどかったけど、途切れることのない応援のおかげで完走することができた」




山中伸弥『山中伸弥先生に
人生とiPS細胞について
聞いてみた』(講談社)

 iPS細胞の研究でノーベル賞を受賞されたときも、成果を独り占めせず、一緒に研究をしてきた研究者の努力をたたえるなど、謙虚な態度を示しておられましたが、山中先生らしいコメントだなと思いました。











 さて、我らがNs先生はというと、タイムは5時間を超えましたが、見事完走されました。(拍手!)そして、山中伸弥先生とも、しっかり握手をしてこられたそうです。(拍手!)
 実は、京都市立病院には、まだまだすごいマラソンランナーがいらっしゃいます。整形外科専攻医のKt先生です。彼は、フルマラソンで3時間を切るという記録保持者なのです。今は、お仕事が忙しそうですが、いずれまた、フルマラソンに挑戦してほしいですね。
フルマラソン、サブスリー記録保持者のKt先生

2013年10月27日日曜日

初期臨床研修にも感性教育を取り入れてみよう

 今月初めに『言える化』(潮出版社)を出版された、遠藤功氏の講演会を神戸まで聞きに行ってきました。


 『言える化』の中で紹介されているのは、「ガリガリ君」を作っている赤城乳業という会社です。講演は、大体著書の内容に沿っていたので、目新しい点はなかったのですが、話で聞くと印象に残った部分が本とは違いました。



 赤城乳業が奨励しているのは、感性教育。
 人間としての情緒性を育むことを目的として、ミュージカルや演劇、映画などを鑑賞するのが、その内容です。この費用は、すべて会社持ちです。ただし、演劇などに出かけるときの条件は、入社同期のメンバーと一緒に行くこと、なのだそうです。
 同期入社の仲間たちは、入社時にはとても高い絆を持っているのに、時が経ち、働く部署も異なってくると、お互い接触する機会がどんどん減っていきます。せっかくの仲間意識が薄れると、仕事をする上でも何となく敷居が高くなってしまい、人間関係という貴重な財産が失われがちになります。
 赤城乳業の同期入社の仲間で取り組む「感性教育」には、こうした仲間意識の薄れを防ぐ意味もあるのだそうです。






 ところで、医師の卒後臨床研修においては「感性教育」に十分な注意が払われているでしょうか?

 厚生労働省がかかげる「臨床研修の到達目標」の基本理念は、次のような内容になっています。

 臨床研修は、医師が、医師としての人格をかん養し、将来専門とする分野にかかわらず、医学おより医療の果たすべき社会的役割を認識しつつ、一般的な診療において頻繁に関わる負傷又は疾病に適切に対応できるよう、基本的な診療能力を身に付けることのできるものでなければならない。

 医師臨床研修では、知識領域、技能領域とともに態度領域の教育が必要であると言われています。この態度領域の教育が目指しているのが、「医師としての人格をかん養(涵養)」することなのです。しかしながら、この「医師としての人格」の具体的な内容については、基本理念の中では触れられていません。

 赤城乳業で行われているような「感性教育」を、この態度領域に含めてもよいかもしれないな、と講演を聞いていて思いつきました。
 医師としてのあるべき姿を、研修医の先生方は、どのようにして学んでいるのでしょうか?たいていは、先輩ドクターの診療態度を見て学んでいる(ロール・モデル)のかもしれませんが、医学や医療を描いた小説や映画などからも、医師のあるべき姿勢を学べる場合があるのではないでしょうか。




 「映画を観ながら生命倫理学を学ぶことの利点は、問題を実感できる、強い感情が引き起こされる、さまざまな立場を追体験することができる、登場人物に対する反応を通して「どのような人間であるべきか、どのような性質(徳性)をもつべきか」という問題を考えることができることにある。
 物語は多くの場合フィクションなので、鑑賞者は第三者としてある程度距離を置きながら作中の出来事や人物について考えることができる」と、浅井篤先生は述べています。(宮崎仁・尾藤誠司・大家定義編『白衣のポケットの中 医師のプロフェッショナリズムを考える』(医学書院)





 自分自身の姿は、なかなか客観的にながめられないもの。映画に出てくる医師に自分自身を投影してみれば、映画鑑賞も十分に「医師としての人格をかん養する感性教育」となるのではないでしょうか?

 あ、それから、今日の講演会で遠藤功氏が教えてくれた情報です。あさって、10月29日には、クリームシチュー味のガリガリ君が新発売されるそうです。遠藤氏は、先日試食されたそうですが、なかなかおいしかった、とのことでした。
 

2013年10月26日土曜日

何も書くことがない日もある

 もう11時PM前ですが、今日はまだ、書くべきことが見つかっていません。

 このブログを始めたときは、「何も書くことがなくても毎日書こう」という姿勢でいたので、今日は何も書くことがないことを書いておくことにしました。

 何も書くことがない日というのは何もしなかった日ではありません。ただ、ここに書く必要がある、ないしは書くだけの意味のあることがなかった、あるいは考えなかった日だったということなのです。
 たとえば、今日は夕方に、久しぶりに横綱のラーメンを食べました。厚切り焼き豚チャーシュー麺というのが新しくメニューにあって、これを食べたのですが、このことをお伝えするのは、あまり有意義なこととは思えませんでした。(確かに食べごたえはありましたが、やはり薄切りチャーシューの方がよいと思いました)
厚切り焼き豚チャーシュー麺

 京都市立病院は、週休二日で、土曜日は公休日になっています。麻酔科の待機当番がないときは、臨時手術で呼び出されることもありません。麻酔科は、主治医として病棟に患者を持っていないので、終日、麻酔のこと、病院のことを考えないこともあり得るのです。

 実は、このブログには、書いている本人だけが見ることのできる「統計」のページというのがあります。毎日、何人くらいの方々にページをのぞいてもらっているのか、どういう端末機で見てもらっているのか、どの時間帯に沢山見てもらっているのか、どのページを見てもらっているのか、等々が毎日分かるのです。

 その中に、どこの国から見てもらっているのか、という項目がありますが、日本語のブログなので、当然日本(1407)からの閲覧がいちばん多いのですが、二番目がアメリカ合衆国(239)、その他、ドイツ(8)、オーストラリア(5)、大韓民国(5)、ホンジュラス(2)、ウクライナ(2)、中国(1)…などという国々からも閲覧してもらっているようです。(2013/10/20/0:00 - 2013/10/26/23:00の集計)
閲覧してもらっているアクセスの国別表示

 海外にも日本語が分かる方がいるのだなぁ、と関心していたら、「それは、向こうにいる日本人がたまたまアクセスしただけでしょう」と同僚に言われてしまいました。そう言われれば、そうかもしれませんね。
 最近では、おかげさまで毎日200前後のアクセスがあるようなので、そうなるとますます一日たりとも穴を開けるわけにいかなくなってしまいます。

 というわけなので、何も書くことがない日でも、こうして何かを書いています。

 明日は、先に紹介した『言える化』の著者、遠藤功氏の講演会を聞きに出かける予定ですので、明日はそのご報告ができるはずです。

2013年10月25日金曜日

シェイクスピア劇から学ぶ人生の教訓とは

 ケン・ロビンソンのTEDトークの中で、シェイクスピアに関するジョークを語る部分があります。

 シェイクスピアにも子どもの頃があったなんて考えたことがありますか?
 7歳のシェイクスピアなんて想像できます?私は想像したこともありません。
 でも、たしかに彼にも7歳の頃があったんです。誰かの国語の授業を受けていたんですよ。うっとおしかったでしょうね。「もっと一生懸命やりなさい」とか言われていたんでしょうか。父親がベッドまで引っ張っていって「早く寝ろ」とかシェイクスピアに言ってたんでしょうね。あのウィリアム・シェイクスピアにですよ。「鉛筆を置きなさい。そんな話し方をするんじゃありません。みんな混乱するでしょ」とかね。(TED2006:ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」より)

 このシェイクスピアが残した戯曲は、今でも世界中で上演され、映画にもされています。セリフの端々に生きていく上での教訓が散りばめられています。
 ビジネスの世界でも活かせる教訓があるのだ、ということを紹介したのが、ノーマン・オーガスチン&ケネス・エーデルマン『古典に学ぶリーダーの掟 最高経営責任者シェイクスピア』(日経BP社)です。

 ビジネスに関する教訓も興味深いのですが、この本のエピローグに、「人生の決算」という章があって、ここにはビジネスだけでなく、人生全般にかかわる問題で、シェイクスピア劇から得られる教訓が取り上げられています。

 シェイクスピア劇では、仕事の成功と人生の幸福の相関関係は弱いようです。登場人物のなかでもっとも不幸な描かれ方をしているのは、実は王様なのです。ヘンリー四世は暗い独白の最後にこう言っています、「王冠をいただく頭には安らぎが訪れることはない」と。
 人生の決算を左右する要因を見失うと、マクベスのような最期を迎えることになってしまいます。
 「おれの人生は黄ばんだ枯れ葉となって風に散るのを待っている。それなのにどうだ、老年にはつきものの栄誉、敬愛、服従、良き友人たちなどなに一つ、おれには期待できそうにもない」

 著者らは、マクベスのような最期を迎えないように備えるために、シェイクスピア劇から得た人生の水準を高める九つの教訓を紹介しています。
 その中でもいちばん大切な教訓がこれです。

教訓:人生の決算で、なによりも大切なのが名誉
 イアーゴーはオセローに言います。「いい評判(名誉)というものは、男にとっても女にとっても魂のいちばん大切な宝石です。盗まれても財布ならたかが金だ — 事は事だが大した事じゃない、私のものがそいつのものになるだけ、どうせ天下の回りものですからね。
 しかし、盗まれたのがいい評判(名誉)だとなると、盗んだやつらには何の得にもならないが、盗まれたほうは大損です」
 『リチャード二世』でモブレーは言います。「このはかない人生がわれわれに与えうる最高の宝とは、斑点のような汚点(しみ)がかつて汚したことのない名声です」。そして、一度ついた汚点はそう簡単には消えません。
 名誉を失えば、あとに何が残るか。『オセロー』でキャシオーは言います。「名誉、名誉、名誉!ああ、おれは名誉をなくしてしまった!いのちより大切なものをなくしてしまった、ここにいるのは畜生同然の残骸だ」

2013年10月24日木曜日

うなぎパイ VSOPの予感

 一年目の研修医の先生方の麻酔科ローテーション期間は、一年目は1ヶ月半なので、あっという間に研修が終わってしまう感じがします。

 Nk先生の研修も、いよいよ明日の金曜日が最後となってしまいました。
 

 今日は、午後にMs先生が訪ねてきて下さいました。Ms先生は、11月から京都市立病院に常勤麻酔科医として赴任される予定になっています。

 現在は、伊豆半島の病院に勤務されていますが、その病院は麻酔科医が少なく、けっこうハードな勤務のようです。11月からは、大きな力を発揮して下さることと期待しています。
 どうぞよろしくお願いいたします。

今日のお土産
 真夜中のお菓子うなぎパイをMs先生からいただきました。
ありがとうございました。
何と、ブランデー味のうなぎパイです

2013年10月23日水曜日

病院の黒字はどうしたら実現できるのか?

 病院が利益(黒字)を出す(あるいは赤字を出さない)ためには、どうすればいいのでしょうか?

病院を維持するためには費用がかかります。その大半は、数多くの職員の給与です。その他に、設備を維持するための光熱費や消耗品などの費用がかかります。
 収入はというと、外来患者や入院患者が支払う医療費と医療保険から得られます。しかし、これらがすべて病院の利益となるわけではありません。外来患者や入院患者一人あたりに発生する経費というのがあります。たとえば、手術をすれば、いろんな器械や材料費、高額機器の減価償却費などが必要です。麻酔でも挿管チューブや点滴セットなど、いろいろな道具が必要です。

 これらの関係を図に表すとこんな感じになります。

 オレンジ色の矩形の部分は固定費と呼ばれています。職員の給与は、ここに属します。赤い線は固定費に患者の数に応じて変化する変動費を加えた総費用線です。このふたつはいずれもコストです。青い線で示される部分は収益線で、これは患者数に比例して増加します。
 赤の線と青い線が交わるA点では、総費用線と収益線の高さが等しく、つまり支出と収入が等しくなっています。いわば、トントンと表現される地点です。A点より左に患者数が減ると総費用線が収益線を上まわって赤字になります。A点より右に患者数が増えると、今度は収益線が総費用線を上まわるので、黒字に転ずるわけです。このような赤字と黒字の分かれ目にあたる部分を損益分岐点と呼んでいます。

 このグラフから、経営を黒字にするためにはどうすればよいかが見えてきます。もちろん、患者数がどんどん増えれば問題ないわけですが、患者数は変動します。もしも、患者数が減っても赤字にならない経営体質にしようとするならば、損益分岐点をグラフの左にシフトさせるような方法を工夫すればよいということになります。
 その方法は三つあります。

①固定費を減らす(オレンジのラインを下げる)
 具体的には、一人ひとりの給料を下げるか、いっそ解雇する、ということですね。病院という組織は労働集約型組織といって、サービス業の中でも人件費の占める比率が大きいという特徴があります。だから、必要以上に人を雇うことは収益構造からみて不利になるのです。






②変動費を減らす(赤い線の傾きを小さくする)
 これは、患者一人あたりに発生するコストを下げることです。DPC(診断群分類包括制度)の場合、診断された疾患の治療に対して支払われる医療費が一定なので、クリニカルパス通りに治療して、できるだけ合併症を起こして入院を長引かせないことが重要になるゆえんです。
 これを一人ひとりに還元してみると、たとえば、点滴を一回で入れて留置針を節約する、1枚で事足りるガーゼを2枚も3枚も使わない、という些細なことにまで影響してきます。




③収益線を上げる(青い線の傾きを大きくする)
 これは、患者一人あたりの収入(単価)を上げるということです。外来で紹介患者率を増やそうとか、入院期間を短縮しようとか、7:1看護を導入しようというのは、すべて収益線の傾きを大きくするためのものなのですね。

 

2013年10月22日火曜日

斜陽の姿をさらさず、堂々と退場する

 ソニーが、カセットテープ対応のウォークマンの販売(1979年〜)を停止したのが、2010年の今日、10月22日なのだそうです。

 エジソンが発明したと言われているレコードの前身であるフォノグラフに始まり、LPレコード、オープンリールテープ、カセットテープ、CD、MDと推移してきた音の媒体は、iPodに至って、デジタル式記憶媒体となりました。



 実は、わが家には、まだ、録音済みのカセットテープが何本も残っています。でも、カセットテープレコーダーがないので、これらのテープを聞くすべはありません。
 ジャズに興味を持ちだした頃、LPレコードを買うお金がなかったときに、友だちが、自分の持っていたLPレコードを録音してくれたものだったり、先輩から借りたLPを録音したものだったりするので、なかなか捨てられないでいるのです。






 バルタザール・グラシアンは、17世紀のスペインで活躍した著述家で、イエズス会の修道士だそうです。彼の残した著作は世界中で翻訳されて、多くの人々に愛読され続けています。日本では、2006年に『バルタザール・グラシアンの賢人の知恵』(ディスカバー・トゥエンティワン)として出版されました。
 この本の中に、次のような項目があります。





 堂々と退場する
 堂々と退場することは、登場よりも重要だ。威風堂々と入ってくる人は、去るときはきっと惨めなはず。役者は誰でも登場したときに拍手で迎えられるが、満場の拍手喝采の中で退場できるのは優れた演技を見せた者だけである。最終幕後に残る印象こそが目指すべきもの。もしアンコールの声が湧いたら、それこそ実に素晴らしい、願ってもない結末だ。


 また、こんな項目もありました。


 斜陽の姿をさらさない
 忘れ去られてしまうより、自ら去るほうがいい。華のあるうちに身を引くことが重要だ。太陽でさえも雲の陰に隠れると、沈んだのかどうかわからなくなる。引き際を見誤ることは雲の陰にある太陽と同じ。生きているうちに人々に葬り去られてはいけない。調教師はレースに勝っているうちに馬を引退させ、美女は美貌が衰える前に人前から姿を消す。


 ウォークマンは、登場したときには「自分のお気に入りの音楽を持って歩ける。しかもステレオという良質の音で再生できるのだ」という華々しい評価で一世を風靡しました。まさしく、「威風堂々」と登場し、世界中の若者から「拍手喝采」で迎えられました。そして、しばらくは「優れた演技」を見せてくれました。
 でも、CDから、さらにはiPodへと役者が変わり、カセットテープ・ウォークマンが姿を消したときは、誰もアンコールの声をあげませんでした。

 確かに、カセットテープ仕様のウォークマンが今発売されても誰も手に取らないかもしれませんね。LPレコードには、今でも一部の愛好家がいて、根強い人気が持続しているのに、カセットテープはもはや過去の遺物になってしまったようです。

今日の逸品


 京都府の南、相楽郡精華町光台にル・パティシェヤマダというケーキ屋さんがあります。
 ここの半熟チーズケーキは、ベイクト・チーズケーキなのですが、ニューヨークタイプのようにしっかりした生地ではなく、かといってレアでもない独特のふんわりとした生地です。大きさも縦6cm、横4cm、高さ3cmと可愛らしいのですが、一口で食べてしまうのがもったいない味です。
「ひかり台 はんじゅくちーず」
このロゴは昔から変わっていません

お店の右手には喫茶室もあって
好きなケーキを店内で食べることができます

2013年10月21日月曜日

コロネの形から脊椎麻酔時の体位を考察してみました

 Eテレ(NHK教育テレビ)で、ウィークデーの朝6時55分から放映されている『0655』という番組で、今朝から「チョココロネをたべるの どっちから?」というおはようソングが登場しました。
朝にコロネの歌を聞いたので、今日は何となく
コロネを買いたくなってしまいました

 わずか5分間の放送ですが、なかなかの人気番組です。佐藤雅彦さんが企画にかんでいるだけに、ウィットに富んだ内容になっています。
 「日めくりアニメ」では、単に日めくりをめくる、という動作に対して、毎日さまざまな方法が展開されています。
 「わたしネコ」の歌のバックでは、視聴者から送られてきた飼い猫の写真が使われていて、いやされます。
 おはようソングもいろいろあるのですが、「チョココロネをたべるの どっちから?」は今朝、初登場です。

 チョココロネ食べるの どっちから?
 あたまから派?
 おしりから派?
 そもそもこっちがおしりでしょ
 いえいえそっちはあたまでしょ

 そもそも、コロネというパン。どちらが頭でどっちがおしりなのでしょうか?

 頭なら顔があるだろうな、手足をつければ上下関係がはっきりするのでは…などと考えて落書きしているうちにある発見をしました。

 コロネを立てたとき、細い方を頭に、太い方をおしりに見立てると、これは女性的な感じがします。逆に太い方を頭に、細い方をおしりに見立てると、これは男性的な感じがするではありませんか!
 中学生の頃に読んだ、古生物学者の井尻正二さんの『ヒトの解剖』(築地書館)という本の中にあった表現を思い出しました。
「ヒトの体を三角形で示すと、女性はおしりが大きく、頂点を上にした三角形で表され、男性は肩幅が広くて、頂点を下にした逆三角形で表すことができる」
 ということは、コロネを女性と見るか男性と見るかで、どちらが頭でどちらがおしりか、という解釈は変わってくるのではないでしょうか?

 人体を三角形でとらえる、という考え方は、実は脊椎麻酔でくも膜下穿刺をするときに必要となる場合があります。フラットなベッドで側臥位をとった場合、女性は肩幅にくらべて骨盤部があついので、脊椎の並びは頭の方が低くなっています。逆に男性の場合は、骨盤部に比べて肩幅が広いので、頭の方が高くなっているのです。だから、横山和子先生は、「側臥位をとった後、脊柱が床に水平であるか否かをみきわめ」なさい、と勧めています。
 ちょっとした差ですが、脊椎麻酔にこだわりをもっている麻酔科医は、この差を気にしているようです。
横山和子『臨床医のための脊椎麻酔』(HBJ出版局)より

 ところで、コロネを立てずに横に寝かせたままながめると、モスラの幼虫のようなイモムシに見えてきました。頭を小さくすると、かなりアブナイ昆虫のようにも見えてきますね。

 さてさて、みなさんはコロネをどちら側から食べているのでしょうか?
  
  

2013年10月20日日曜日

百聞は一見にしかず

 「百聞は一見にしかず」ということわざがあります。

 これは、百回聞くよりも、一度自分の目で見た方が確かだという意味ですが、もう少し拡大解釈すると、教科書を読んだり、ビデオを見たりして学ぶよりも、自分自身が経験する方がよく身につく、ということを言っているように思います。

 とりわけ、医学のような実学では、分厚い教科書を熟読し、沢山の論文を読むよりも、ひとりの患者さんに実際に接する方が、疾患に対する理解は確かなものになるようです。

 今日、『グッド・ウィル・ハンティング』(ガス・バン・サント監督 1997年作品)をDVDで見直しました。


 ウィル・ハンティング(マット・デイモン)は、労働者階級の出身で、身寄りがありません。友だちと遊び歩き、夜は大学の建物の床掃除の仕事をしていました。
 このウィルには特異な才能がありました。フォトリーディングのように、見たページをそのまま頭に入れ、またたく間に本を読んで暗記してしまうのです。さらに、難解な数学の問題も簡単に解いてしまいます。
 ある日、数学のランボー教授が廊下の黒板に書き出した数学の難問に解答を書きこみました。さらに、難解な問題が出題されたとき、ランボー教授は、床掃除の少年が解答を書いていたのを偶然目撃しました。

 天才的な頭脳をもっているウィルでしたが、日常生活では、ケンカっ早くて、数々の傷害事件を起こしています。ある日、ウィルは、暴行事件で警官を殴ってしまったことから刑務所に拘置されます。これを知ったランボー教授は、ウィルの身元引受人となって、彼を保釈します。ただし、条件として、自分の研究室で数学の議論に参加してくれること、そして、週に一度、カウンセリングを受けること、を課します。
 ところが、5人のカウンセラーからカウンセリングは無理だと匙を投げられます。最後にランボー自身の大学時代のルームメイトである、心理学者のショーン・マグワイア(ロビン・ウィリアムズ)に望みを託します。
 そして、ショーンと出会って、ウィルは次第に心を開いていくのですが…
 というお話です。

 このショーンがウィルのことを分析して、彼の本質を暴いたときに、「お前は、本ばかり読んでいて、実際の経験は何ひとつしていない。本を通して得た知識だけで語ろうとするただの子どもだ。たとえば、ミケランジェロの絵に関する知識や、彼の生い立ちについては詳しく語れても、システィーナ礼拝堂に入ったときのちょっとかび臭い香りだとか、天井をあおいだときの絵が圧倒するような雰囲気については何も知らない」と批判します。

 ウィルは、文字通り「百聞」ばかりで、まったく「一見」していなかったのですね。



 アンドリュー・J・サター/ユキコ・サター『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(インデックス・コミュニケーションズ)の中では、本を子どもの周りに置いておくことが大事だ、ということと同時に、何でも実際の体験をさせる、実物にふれさせることの重要性を説いています。ユダヤ人は故郷を持たず、世界中に分散していますが、こうした教育に対する姿勢は一貫しているそうです。そして、そうした教育の中から大勢のノーベル賞受賞者を輩出したのだ、と言っています。
 博物館、美術館、コンサート、史跡など、実際にその場に子どもを連れて行く。子どもが目を輝かせるまで、いろいろなところへ連れて行き、体験させればよいのだ、と言います。





 医者の修行も同様かもしれませんね。机に座って教科書とにらめっこばかりせず、患者のベッドサイドに行きなさいと、かのウィリアム・オスラー博士も言っていました。
 ただし、ただ経験すればいいというものでもありません。単に経験を食い散らかしているだけでは、がつがつ食事をするのと同じで、体は大きくなるかもしれませんが、それでは何を食べても同じ味がするのではないでしょうか。同じ、肺炎、喘息、あるいは同じ手術の麻酔であっても、ひとつひとつの経験は一期一会。
 ひとつひとつの症例をじっくり味わってみるのもいいのではないでしょうか。

2013年10月19日土曜日

子どもが望むこと ≠ 親が望むこと

 「這えば立て、立てば歩めの親心」というのは、子の成長を待ち望む親の気持ちを表現した言葉としてよく知られています。

 しかし、「早く這ってほしい」「早く歩いてほしい」という期待が過剰になると、子どもには、必ずしもいい影響を与えないようです。
 「テストでもっといい点をとってほしい」「運動会のかけっこでは一番になってほしい」という気持ちが強ければ強いほど、子どもは「親から本当に愛されている」という実感をいだかなくなるのだそうです。そして、そのように感じる子どもは親に愛着形成できなくなると言います。過剰期待は、子どもに「現状のあなたには満足できません」というメッセージを送るのと同じことだからなのです。

佐々木正美『子どもの成長に
飛び級はない』(学習研究社)


 児童精神科医の佐々木正美先生は、アメリカの精神分析の大家、エリクソンの信奉者ですが、今の日本には、このエリクソンの考え方を導入することが大切だと主張されています。
 エリクソンは、大人になるまでの成長に応じて、「乳児期」「幼児期」「児童期」「学童期」「思春期」という5つの区分けをしました。そして、それぞれの時期に何が最も重要なテーマとなるのかを考察しました。
 「乳児期」には、「基本的信頼感(basic trust)」が最も必要なのだそうです。「基本的信頼感」を育むことができず、周囲の人に対して不信感のような感情をもってしまうと、子どもは希望をもって生きていくことができなくなると言います。
 ひと頃、抱き癖がつくので、子どもが泣いたからといって、すぐにだっこしてはいけない、という「子育て法」が主張されたことがあります。それは間違いで、泣く子にはすぐにかまってあげて、どんどん赤ちゃんはだっこしてあげて、と佐々木先生はすすめています。



どんぐりは、まだ緑色でした

 現状では、子どもに対して「親が望んだ」愛し方をしているようだ、と佐々木先生は指摘しています。つまり、お金や時間をかけて、子どもに自分たちの夢を託しています。しかし実際は、親は、自分の都合や思いを基準に子どもを愛するだけで、「子どもが望む」ようには愛していないのです。自分の希望や夢を子どもに伝えることはできても、子どもの望みに合わせることができないのです。たとえ、親が子どもの将来のために、と思っていることであっても子どもが望んでいなければ、それは過剰期待になってしまいます。

 思春期・青年期に子どもが荒れることの背景には、この過剰期待があるとも言われています。

 「乳児期」に「基本的信頼感」が育まれた後に、「幼児期」では「自律性を培う」、「児童期」では「自発性を育む」、「学童期」では「勤勉性を身につける」そして、「思春期・青年期」では「アイデンティティを確立する」と続きます。
緑の葉と紅葉のグラデーション

 これらの中でも一番大事なのが「乳児期」で、各々の段階は、飛ばして次に進むことができないので、遅れていても「基本的信頼感」を育むことが第一番目の課題になるのだそうです。
 そう言えば、コーチングの技法の中で、「承認(アクノレッジメント)」が、クライアントの自己成長に対する認知を促進するスキルとして重要な柱になるとされていますが、ひょっとしたら、大人になっても人の成長過程には差がないのかもしれませんね。

 

2013年10月18日金曜日

携帯の呼び出しへの対応:マナーか品格か

 たとえば、術前訪問した患者さんと向かい合っている途中であっても、院内のPHSの呼び出し音が鳴ることがしばしばあります。

 電話をかけてくる相手には、こちらがどんな状況であるか分からないわけですから、いたしかたがないことなのですが、「取りこんでいるから後で電話して下さい」と頼むときでも患者さんとの話を一時中断しなければなりません。そんなときは、一応「すみません」とひと言患者さんに断ってから電話に出ることにしています。

 「みやざき中央新聞」10月14日(月)付けを読んでいると、水谷謹人(もりひと)編集長の社説にこんな記事が載っていました。


 最近、ちょっと気になる光景を垣間見るようになった。仕事の打ち合わせをしている時、仲間と食事やお茶の席でおしゃべりしている時、わざわざテーブルの上に携帯電話やスマホを置く。電話が鳴ったら、すぐ出る。
 「すみません。ちょっと失礼します」と一言あれば、それほど気にならない。また、電話に出ても、「すみません。後で掛け直します」という言葉を聞くと、こちらが優先されていると思えるので、ちょっと嬉しくなる。
 しかし、そんなお断りの言葉もなく、当たり前のように長々としゃべり始められると、その人の品格を疑いたくなる。…(中略)
 電話はバスの中では使用を控える、映画館では電源を切る、そういうマナーは随分定着してきた。しかし、先に述べたことはマナーの問題ではない。プライオリティ(優先順位)と品格の問題なのだ。
 
 院内でかかってくる電話は、こちらに伝えなければならない情報があるときがほとんどなので、無視してばかりいるわけにもいきません。でも、最近の携帯やスマホは、情報伝達という役割以上に、精神安定剤の役割を果たしていて、それが手元にあるだけで安心できる何かがあるのだそうです。

 そうは言っても、人は誰でも「自分は大切にされたい」という自己重要感を持っていて、その気持ちを満たしてくれる人に心が惹かれ、仕事においても、プライベートにおいても、いい人間関係がつくられる。と、水谷氏は続けます。
 電話やメールが来たら、すぐ対応できる体勢を作って会合やおしゃべりにのぞんでいる人は、決して目の前の人の自己重要感を満たさない、のだそうです。

今日のお土産

 スコットランドのエディンバラで開催された学会に出席されたOt先生は、今日はスコットランドのお土産を持参して、関空から京都市立病院へ直行されました。
 エディンバラは、北海道より少し北に位置して、天気も曇りばかりで、向こうではコートなしでは過ごせなかったそうです。
ありがとうございました。


2013年10月17日木曜日

ヒンクリーはなぜエーテル・デイを描いたのか?

 10月16日は、アメリカではエーテル・デイと呼ばれています。
 
 それは、ボストンのマサチューセッツ総合病院で、エーテル麻酔による公開手術が行われた日が、1846年の10月16日だったからです。
 この日、歯科医のウィリアム・モートンは、エーテルという名前を伏せて、自らが「開発」したと称する麻酔薬を用いて、頸部の腫瘤摘出術の手術の麻酔を行いました。画家のロバート・ヒンクリーが、この日の出来事を絵に描いたのは、モートンによる最初のエーテル麻酔から約40年後のことでした。絵の片隅に記入された年号は「1882〜1893年」となっています。とすると、ヒンクリーは、この絵を仕上げるまでに約10年の歳月をかけていたことになります。
Robert Hinckly "The First Operation Under Ether"(約2.4×3.0 m)
The Boston Medical Library in the Francis A. Countway Library of Medicine

 10年も費やして、ひとつの絵を描き上げた情熱の源は何だったのでしょうか?

 その理由のひとつには、ヒンクリーがボストンの出身であったことがあげられるでしょう。つまり、この医学史上の有名な出来事は、彼の地元で起こったことだったのです。
 そして、もうひとつの理由は、彼の親戚(叔父)に医者が二人もいた、ということではないでしょうか?想像するに、彼は子どもの頃から叔父さんのところに遊びに行った折りなどに、叔父たちが若い頃に見聞した、エーテル麻酔のすごさについて聞かされていたのではないでしょうか?

 ヒンクリーは、十代にフランスに渡って、絵の修行をしています。この時の彼の師匠は、カロルス・デュランという、肖像画を得意とする画家でした。ヒンクリーは彼の下で、アレキサンダー大王がペルセポリスの都を焼き払ったときのエピソードを描いた壁画サイズの絵を描き上げています。これが、1882年のことです。
 モートンのエーテル麻酔を題材に絵を描き始めたのは、ちょうどこの年から、ということになります。おそらく、ヒンクリーの頭の中には、フランスにいる間から、叔父たちに聞かされていた、地元の大事件を絵にしようという目論見があったのでしょうね。
 実際、1883年には、ヒンクリーはボストンに戻って、いろいろ資料を集めたり、生存者に話を聞いて回ったりしていたようです。

 彼の意図は、史実を正確に再現することではありませんでした。それは、絵の構図を見ても明らかです。エーテルで麻酔された患者を中心にすえ、この部分は、白い色合いで、ひときわ強調されています。患者を一番低い位置に置いて、その両側にせり上がるようにふたつの三角形の形に見学者が配置されています。一番左端で、椅子に載ってのぞきこんでいるのは、新聞記者だとされていますが、この人物などは、構図のために配置されているようです。
 ここに描かれた人々が誰であるのか、というのは今でも謎の部分があると言われています。というのは、実際にその場に居合わせた人物もいれば、明らかにいなかった人物も描かれている一方で、いたと考えられている人物が描かれていないからです。中央舞台には、当時はまだ学生だった医師まで描かれているとも言われています。
 どうやら、ヒンクリーは、この公開手術のときの主要な関係者以外は、適当な肖像画を元に描いていたのかもしれませんね。
今朝は、日の出前の一瞬、
東の空が燃え上がるように見えました

 

2013年10月16日水曜日

秋は柿ダイエットのチャンス

 台風26号は、関東地方に大きな被害をもたらしましたが、幸い京都は大きな被害は出なかったようです。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

 今朝の出勤時、雲間から朝日が差したとき、きれいな虹が見えました。大きな弧を描いて、その一方の足下は、歩いて行ったらたどり着けそうな距離に見えました。

 よ〜く観察してみると、虹の外側にもうひとつうっすらと虹が見えました。ダブルレインボーですね。


 今日は、Tk先生から柿の差し入れがありました。
ありがとうございました。

 柿にはいろいろな種類があります。調べてみると、この柿は、どうやら西条柿という品種のようです。中国地方、とくに島根県で多く作られている渋柿です。今では、渋抜きの手が加えられて、糖度の高い柿になっているようですが、熟すのが早いために、渋抜きをした後は、できるだけ早く食べないといけないのだそうです。10月初旬から11月にかけてが食べ頃とのことでした。
 道理で、いただいた柿たちも手に持つと、かなり柔らかくなっていました。

 柿の渋みの原因は、柿タンニンです。柿タンニンには臭いを抑える作用があるようです。
 口臭、便臭、オナラの悪臭、体臭や靴下の悪臭などを抑えるのだそうです。また、胃腸からのアルコールの吸収を抑制するとともにアルコールの中間代謝産物であるアセトアルデヒドを速やかに排泄するので、二日酔いにも効くそうです。さらに、柿タンニンは腸からの糖質、脂質の吸収も抑制するので、肥満防止にも役だつのだとか。