2013年9月30日月曜日

長月最後は月曜日

 今日は9月30日。ちょうど、月末が月曜日となりました。
 朝、東の空一面に広がった雲に朝日が当たって、幻想的な光景を見ることができました。
東の空一面に広がった雲が朝焼けに映えていました。

西の空の雲もあかね色。














 ちょうどこの時間には、頭の真上の雲も、西の空にあった雲もあかね色に染まっていました。





 今日から、2年目研修医のSb先生がほぼ一年ぶりに、麻酔科研修に戻ってこられました。10月からは、同じく2年目研修医のMd先生もローテーションされることになっているので、Kz先生とMw先生とが抜けて若手が減って、麻酔科の平均年齢が上がるところを、何とか食い止めていただけそうです。よろしくお願いします。


久しぶりのAライン確保。ちょっと緊張してます。

今日のお土産

 ナースのIsさんが鎌倉に旅行されてお土産にだいぶつくんのクッキーを買ってきて下さいました。ありがとうございました。
 


当のクッキーは、大仏というよりは、隣のオサムくんみたいな可愛らしい顔でした。







2013年9月29日日曜日

仕事で病気にならないために

 医師は、仕事の負荷は大きく、そこそこ裁量権はありますが、努力—報酬の不均衡度合いをみると、一番大きいそうです。医師は、社会的水準からみれば高収入ですが、その報酬に対する満足度は意外と低いようです。

 吉中丈志『仕事と生活習慣病』(幻冬舎 経営者新書)の中で紹介されていたデータによれば、最もストレスを感じるのは、仕事の負荷が高いにもかかわらず、裁量度の低い職種なのだそうです。つまり、要求されているハードルは高いけれども、思いどおりに仕事ができず、やらされている感覚だけが蓄積されるからです。逆に、もっともストレスがたまらないのが、負荷が低く裁量度の高い場合です。自分の思うように仕事を進められる上に、要求されるレベルが高くないような職種ですが、今どきこんな職場はありませんね。
 負荷が低くて、裁量度も低い、という仕事は学生アルバイトのようなものでしょうか。最後に、負荷は高いけれど、裁量度も高い仕事は、プロフェッショナルなどの専門職などが当てはまります。この場合は、求められるレベルは高く仕事量も多いものの、自分の力を思うように発揮できて、やりがいもあり、またプライドをもって取り組めます。
 最後の、仕事量は多いけれども、専門職なので裁量度も高いという職種の中に、医師は分類されます。(仕事はきついけれども、自分の能力を発揮できるやりがいのある職種ということですね)
 ところが、ワーク・セルフ・バランス調査を見ると、とりわけ男性医師は最もネガティブに感じていることが示されているのだそうです。これは、本来の仕事以外に、医療事故のリスクや患者からのクレームへの対応などの心理的なプレッシャーがのしかかっているからなのだそうです。

 一方、同じ医療職の中で、看護師という職種はどうでしょうか?看護師の仕事も、仕事で要求されているハードルは、けっこう高いでしょう。その割には、医師ほど裁量権を与えられていないのではないでしょうか?すると、これは、けっこうストレスフルな職種にあたりますね。

 『仕事と生活習慣病』の「病気にならず、健康で働き続けるために」という章の冒頭では、「夜間勤務は避ける」べきだと述べられています。しかし、現実問題として、看護職から夜勤をなくすことは不可能です。
 現行では、京都市立病院の看護師の勤務シフトは三交代制になっています。深夜入りの場合は、日勤を終えていったん帰宅し、仮眠をとって深夜勤、深夜明けは休みとなって、翌日は準夜勤、そして次の日が非番で、翌々日が日勤というシフトです。
 ところが、最近は、人のサーカディアン・リズムが25時間で、毎日少しずつ遅れてくることから、いわゆる正循環というシフトにする方が疲れが減ると言われています。正循環とは、日勤の翌日は準夜勤、準夜の翌日は丸一日休んだ後に深夜入り、深夜明けの翌日は休みで、翌々日から日勤、というシフトです。
青が従来のシフト。赤が正循環看護のシフト。

 日本看護協会では、看護師のシフトをこの正循環にするように勧めています。(看護職の夜勤・交代制勤務に関するガイドライン)吉中丈志先生が院長をされている京都民医連中央病院では、半年間の議論を経て、2012年6月から正循環勤務を全面的に導入したそうです。結果、看護師からは「夜勤明けが楽になった」「深夜入りのスタッフを早く帰さなくていいので日勤後の残業が減った」といったプラスの評価が出ているそうです。
 慣れ親しんだシフトを変えるときには必ず抵抗があるものですが、健康で働き続けられる職場という視点で看護シフトを見直すことが必要かもしれませんね。

2013年9月28日土曜日

ジャケット買いではないのだけれど…

 LP時代、レコードを入れているジャケットのデザインというのは、けっこう重要な要素でした。

 最近では、インターネットで音楽をダウンロードできてしまうので、音楽の媒体であるCDやLPの存在すら不要になってしまった感があります。確かに、音楽は耳で聞ければそれで事足りるのですが、かつては、その入れ物にまでこだわっていた時代がありました。

ビル・エヴァンス・トリオ
《ワルツ・フォー・デビィ》

 京都府立医大麻酔科学教室の佐和貞治教授は、アナログのLPにこだわっておられます。佐和先生の場合は、LPのジャケットではなくて、音そのものへのこだわりのようです。
 ビル・エヴァンス・トリオの《ワルツ・フォー・デビィ》は、リバーサイドのオリジナル盤、日本盤、オランダ盤のみならず、100%ピュアLPという音質を追求してカーボンを含まない塩化ビニルだけでプレスした「白いLP」まで、数種類の《ワルツ・フォー・デビィ》を持っておられます。






 LPにこだわる理由は、その音質ばかりではなく、ジャケットデザインにもあるようです。いわゆる「ジャケット買い」と言われるLPの買い方がありました。音楽の内容は二の次にして、ジャケットの見た目だけで買う、という買い方です。

ピエール・ブレーズ指揮
ストラヴィンスキー《春の祭典》

 クラシック音楽のジャケットは、演奏家や指揮者の写真を配したものが多く、あまり魅力的なものはありません。
 手元にあるものでは、ピエール・ブレーズ指揮クリーブランド管弦楽団による、ストラヴィンスキー《春の祭典》のジャケットが、クラシックのアルバムにしては珍しく、アニメ風でしゃれています。

 







キラパジュン《不屈の民》

 フォルクローレ(民族音楽)のジャンルでは、キラパジュンの《不屈の民》のジャケットが印象的でした。
 かつてチリでアジェンデ政権がピノチェトが率いるクーデターによって倒されてしまい、祖国に帰れず、世界中で演奏活動を続けざるを得なくなったフォルクローレ・グループ、キラパジュンのアルバムです。握りしめたこぶしにチリの国旗をあしらった絵は、いつかはピノチェトをやっつけてやるもんね的意志を感じさせていますね。






 他のジャンルに比べて、ジャズのジャケットには魅力的なものが多いように思うのは贔屓でしょうか?
 ジャコ・パストリアスの《ワード・オブ・マウス》のジャケットには、白夜の沈まぬ太陽の連続写真が使われています。このジャケットの表が夜、そして裏が昼の太陽になっています。そう言えば、このアルバムでは、ジャコがバッハの〈半音階的幻想曲とフーガ〉をエレキベースのソロで弾いていて、最初に聞いたときには度肝を抜かれたのを思い出しました。
ジャコ・パストリアス
《ワード・オブ・マウス》表
ジャコ・パストリアス
《ワード・オブ・マウス》裏














リターン・トゥ・フォーエヴァー
《ライト・アズ・ア・フェザー》


 チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーのアルバムと言えば、グループと同名の《リターン・トゥ・フォーエヴァー》という、海の上を飛んでいるカモメをジャケットに配したアルバムの方が有名なのですが、ジャケットデザインは、二作目の《ライト・アズ・ア・フェザー》の方が好きです。








リターン・トゥ・フォーエヴァー
リターン・トゥ・フォーエヴァー















トミー・フラナガン・トリオ
《オーバーシーズ》初版デザイン

 ジャズのジャケットでは、文字もデザイン的な配慮がなされている場合が多いようです。トミー・フラナガン・トリオの《オーバーシーズ OVERSEAS》というアルバムは、当初は、トミー・フラナガンの肖像をジャケットに採用していました。しかし、後に、《OVERSEAS》という発音と同じ《Over Cs》というダジャレ的発想から、「CCCC……」というデザインのジャケットになりました。確かに、この方が印象的ではありますね。






トミー・フラナガン・トリオ
《オーバーシーズ》普及版














 ぼくが気に入っている文字主体のデザインは、ジョン・コルトレーンの《オレ》というアルバムジャケットです。シンプルでいて力強い。魅力的なジャケットです。
 コルトレーンは演奏活動の後期になるにつれ、1曲の演奏時間がだんだん長くなる傾向がみられました。この《オレ》でも、LPには、たった3曲しか収められていません。A面は、タイトル・チューンの〈オレ〉1曲(18分5秒)のみです。
ジョン・コルトレーン
《オレ》

2013年9月27日金曜日

歓迎・送別・安産祈願

 今日は、西院のすいしんで、Hn先生の歓迎会、Kz先生の送別会、そして、Mw先生の安産祈願の会がありました。夕方に、臨時が二件入っていて、遅れるスタッフもいましたが、予定参加者全員がそろいました。麻酔科のスタッフばかりでなく、研修医の先生方およびナースも大勢参加して下さり、総勢31名のにぎやかな会になりました。

 Tm師長さんからのシメの言葉にもありましたが、麻酔科スタッフとナースが合同で歓送迎会を開くのは以前にはなかった光景です。若い研修医の先生方も忙しい仕事の合間をぬって参加して下さり、なごやかなノミニケーションがはかれたようです。










 Hn先生は、これまで京都市立病院になかったペインの分野を開拓するために、みんなの力を貸してほしいと、あいさつの中で述べておられました。
 どうぞ、よろしくお願いします。











 Mw先生は、専攻医としてやってきた四月に妊娠していたことが分かって、とても言い出しにくかったのだそうです。途中、つわりに悩まされながらも、これまで研修に励んでこられました。来月10日から産休入りになります。12月の初めには、女の子が生まれる予定なのだそうです。
 元気な赤ちゃんを待ってます。







 Kz先生は、昨年の九月から一年間研修を続けてこられました。今後は、大学の研究室に戻って、上気道閉塞の臨床研究を続けられるそうです。
 ほんとに長らく、ありがとうございました。


 







2013年9月26日木曜日

働く幸せを忘れていませんか?

 あなたは何のために働いているのですか?という問いかけをされたら、何と答えるでしょうか?

 家族を養うため、ローンを返すため、海外旅行を楽しむための資金を得るため、衣食住のため…。
 その理由はさまざまでしょう。




 日本理化学工業という会社は、主にチョークを作っている会社ですが、この会社の障害者雇用率は7割に及んでいます。日本理化学工業の会長、大山泰弘さんは、『働く幸せ』[WAVE出版]の中で、障害者を雇用することになった経緯について書いています。障害者を雇用して会社を経営している内に、大山さんは、障害者から「働く」ことの意味を教わったと述べています。



 導師は人間の究極の幸せは、
 人に愛されること、
 人にほめられること、
 人の役に立つこと、
 人から必要とされること、
 の4つと言われました。
 働くことによって愛以外の3つの幸せは得られるのだ。
 私はその愛までも得られると思う。

 これは、日本理化学工業の工場敷地内に建てられた「働く幸せの像」の台座に刻まれた言葉なのだそうです。
日本理化学工業にある
働く幸せの像

 この4つの幸せは、よく見ると階層があるように思われます。
 一番下の土台にあるのが、「人から必要とされること」です。そして、その上に「人の役に立つこと」が乗っかり、さらに「人にほめられること」が乗り、最上階に「人から愛されること」が乗るのではないでしょうか?

 クールな企業経営者目線で見ると、その人が愛されているからといって、必ずしもその人が必要とされているわけではありませんし、役に立つとも限りません。企業経営者の立場に立てば、企業の目的を追求するために、人材を求めています。企業は、企業の理念、ヴィジョンを理解して共に働いてくれる人材がほしいのです。だから、やはり、その人自身が「人から必要とされているかどうか」が最初に来るのです。
 つまり、私たちの働く目的が何であろうとも、企業経営者は、そんな事情には、まったく関心はないのです。

 私には、まだ住宅ローンも自動車のローンも残っているので、給料を上げて下さいなどと頭を下げたところで、その人の事情は、給料の査定にはまったく関係ありません。ましてや、海外旅行に行く資金を作りたいからここで働かせて下さい、と頭を下げても誰も雇ってはくれないでしょう。
 どこかで働こうとするのならば、自分がその企業に必要とされる人材であることを示すために、自分はこれこれのことで貴社に貢献ができます、と示すことがまず第一なのです。そうすれば、自分がやっていることがお役に立てて、ほめられて、最後に、職場になくてはならない愛すべき存在となれるのではないでしょうか?そうすれば、働く幸せも感じられるようになるのではないでしょうか?



 マザー・テレサは、「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていないと感じることです。」と語りました。
 この言葉は、裏返せば、「だれからも(だれかからでも可)必要とされるような人物になれば、幸せになれる」ということなのかもしれませんね。

2013年9月25日水曜日

秋の空はなぜ高いのか?

 日の出時は雲が少し広がっていました。でも、通勤時間には、すっかり雲がなくなり、空が突き抜けるように真っ青でした。

東雲を照らす朝日
真っ青な空。街灯の右の白い点は、月齢20.0の月

 「天高く馬肥ゆる秋」と言われますが、秋の空はどうして高く見えるのでしょうか?
 空が青く見えるのは、大気中にある分子で太陽光が散乱(四方八方に散らばること)されるとき、いちばん波長の短い青い光がもっとも散乱されやすく、私たちの眼に青い光が届くからです。
 大気中にホコリや水蒸気がたくさん含まれていると、光の波長とおなじくらいの物質にぶつかって散乱するので、ほかの波長の光もちらばって、白っぽく見えてしまうのだそうです。
ピンク・フロイドの
《ザ・ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン(1973年)》
太陽光の青い光がいちばん散乱されやすい。
でも、このアルバムを日本語では《狂気》と名づけたのは
なぜかしら?

 秋の大気は、大陸からの高気圧が張り出してきます。この大気は乾燥していて、大気中に含まれている水蒸気が少ないため、レイリー散乱がおきやすいのです。そのために、空が青く澄んで、高く突き抜けるように見えるのだそうです。

 さて、今日は、歯科大から医科研修に来られていたKz先生が最後の出勤日でした。昨年の9月から一年間、専攻医のAk先生とタグを組んで、オペ室の「龍虎」として活躍されました。今週の金曜日には、改めて送別会が催されますが、ひとまず、おつかれさまでした。そして、長らくありがとうございました。
Mk先生からお餞別にもらった
ゆずジュースをかかげるKz先生

 Kz先生から、藤岡、珈琲をいただきました。先日、Mw先生にいただいたバリィさんコーヒーと比べると、重厚感が違いますね。Kz先生によれば、この藤岡、珈琲は、大のコーヒー通の藤岡弘さんがチョイスした豆なのだそうです。藤岡さんは、水からこだわり、朝のコーヒーを淹れるために、わざわざ数時間かけて、富士山麓まで行って水を汲んでくるのだそうです。
わ、わたし負けてるかしら……(^^;)


2013年9月24日火曜日

おみやげはむずかしい

 先週は、敬老の日、今週は秋分の日で月曜日が祝日となって、三連休が二週続きました。近年は、4月29日あたりから始まるゴールデンウィークに対して、この秋の連休が二週続けてある週を、シルバーウィークと呼んでいるようです。

 連休明けの今日は、たくさんのおみやげがありました。

 Hn先生は、奥さまとフランスへご旅行されて、モン・ブランに登ってこられました。
 Fm先生は、台風19号が迫る中、竹富島へご家族でご旅行されました。風は強かったそうですが、一度だけ雨にたたられただけで、無事に帰ってこられました。
 Sm先生は、ご実家の愛媛に帰って、親孝行をして来られました。
 ナースのKwさんは、ハウステンボスで、九州一と言われる花火大会を見物して来られました。
 みなさま、どうもありがとうございました。

 おみやげ、というのは英語ではsouvenirという単語をあてることがあります。しかし、このsouvenirは、「自分が訪れた土地を思い出すために買い求めた品物」という意味があり、自分自身に買ってくるものを指すようです。
 日本では、おみやげというと、「しばらく休みをもらって旅行に行かせてもらって感謝してます」的発想から、職場や家族に買って帰る品物、という印象がありますね。手術室のようにスタッフが多い職場では、みんなにモレなく当たるように、と気をつかって、まず何個入りか、という個数が気になります。
みやげ物屋を物色する時間は、案外バカにならない気がします。

 おみやげ用のお菓子の中には、その土地で作られたものではない場合が時々あるので、注意をしなければなりません。ぼくは、以前に福井県の恐竜博物館に行ったときに、恐竜の卵型のチョコレートを見つけて、これは面白そうだ、と思って手術室へのおみやげにしたことがありました。ところが、このチョコレート、裏に貼ってあったシールをよく読むと、製造されたのは何と病院のすぐ近く、西院あたりの製菓工場でした。職場の仲間に指摘されて、笑い話になりました。
 海外旅行では、置物などをおみやげにするときには、よくよく確かめないと、裏にMade in Chinaという表示があったりするのです。以前に、ボストンで買ったミニチュアもそうでした…。
ボストンで買った紅茶カップとソーサーのミニチュア。
フリーダムトレイル沿いの名所を
ソーサーに描いて、しゃれているなぁ〜…


…と思って買い求めましたが、
日本に帰ってソーサーの裏を見ると
何と中国製でした。






















 買った品物が他府県製や中国製であっても、旅行に行った人が、職場や家族のことを忘れずにいて、おみやげを買ってきてくれたこと自体がうれしいですね。もらったおみやげをただ単にいただくだけではなくて、お礼の言葉とともに、「どうでした?」と、ひと声かけて、職場の和を保つきっかけにできるのが、おみやげの効用かもしれませんね。

2013年9月23日月曜日

A DAY IN THE LIFE

 今日は、秋分の日でした。昼夜が等しくなる境目の日の出と日の入りを見ようと思っていたのですが、日の入りは見逃しました。で、しかたなく金星を撮影してみました。
秋分の日の日の出

秋分の日の日没後の一番星、金星(中央からやや左下)


 朝から、第13回バスまつりに行ってきました。会場は、大阪南港にあるインテックス大阪。バスの展示が屋内で、各社のグッズ販売ブースと同じ空間だったので、人がごった返して大変でした。











 ところで、ビートルズの《サージェント・ペバーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(1967年)》というアルバムに、〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉という曲がありますが、この中に、バスが登場します。
 
ザ・ビートルズ
《サージェント・ペパーズ・ロンリー・
ハーツ・クラブ・バンド》
   Woke up, fell out of bed,
   Dragged a comb across my head
   Found my way downstairs and drank a cup,
   And looking up I noticed I was late.
   Found my coat and grabbed my hat
   Made the bus in seconds flat
   Found my way upstairs and had a smoke,
   Somebody spoke and I went into a dream

 (今、こうして書き写してみて、けっこう韻を踏んでいる歌詞だったんだと気づきました。)
 これが発表された当時は、麻薬を連想させる歌詞があるということで、BBCでは放送禁止になったとか。曰くつきの曲ですが、ここに出てくるバスは、ロンドンの二階建てバス。だから、上に上って煙草を吸うのですね。

ザ・ビートルズ《リボルバー》

 このアルバムのアシスタント・エンジニアは、ジェフ・エメリックという人でした。彼は、《リボルバー(1966年)》というアルバムからビートルズとともに仕事をしていました。《リボルバー》を最初に聞いたとき、ポール・マッカートニーのベースの音が、それ以前のアルバムと比べて変わったなと感じました。こもらず、前に飛び出したような感じのベースの音は、ジェフ・エメリックによって実現されたのでした。
 このアルバムでは、ジェフは、ビートルズの要望に応じて、その他にもさまざまな音の冒険をしています。トランペットのラッパの中に直接マイクをつっこんで、その音に思い切りリミッターをかけて録音したり〈ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ、クラシックの演奏家との共演では、弦楽器から1〜2cmの所にマイクロフォンを置いて録音したり〈エリナー・リグビー、フレンチホルン奏者に、むずかしい高音のソロを要求したり〈フォー・ノー・ワン〉等々…。

 こうした経験を踏まえて作られたトータル・アルバムが、《サージェント・ペパー》でした。その中の〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉は、アルバムのラストにおさめられていますが、アルバムの中の曲では、いちばん最初に録音されました。
 もともとは、ジョン・レノンがギターで弾き語ったものに、その後ダビングを重ねて重厚な曲となっていったようです。当初は、上の歌詞が入る24小節は空白でした。歌詞は後になって作られました。ポールが、この’Woke up, fell out of bed,’の歌詞を歌い出す直前に目覚まし時計の音が入っていますが、歌詞の内容からして、これは意図的に入れたものだとぼくはずっと思っていました。ところが、ジェフ・エメリックによれば、この目覚まし時計は、オーバーダブで出番となったときにリンゴ・スターを起こすのに便利だろうと、ジョン・レノンが冗談半分でもってきたものでした。これをマル・エヴァンスが中間の24小節をカウントするときに、いたずらっ気を起こして、その冒頭に鳴らしてしまったのだそうです。さらに、かれは24小節のカウントをしていたのですが、声がだんだん大きくなってきてしまったために、最終的なミックスにも声の一部が生き残ってしまったのだそうです。

ジェフ・エメリック
『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』
録音現場にいたジェフ・エメリックは、ビートルズとのこうした録音風景を『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』[白夜書房 2005年]に書き残しました。

 ロック史上に残る《サージェント・ペパー》のアルバムが制作される過程、とりわけいちばん最初に録音された〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉ができあがる過程で、かくも沢山の偶然の産物があったとは思いもよりませんでした。
 思いがけないハプニングをも取りこんで音楽を創り上げてしまうビートルズの「しなやかさ」は素晴らしいと思います。しかし、偶然の音を音楽として残せるかどうかについては、ジェフ・エメリックのような優秀なエンジニアが必要だったに違いありません。ジェフがいなかったら、単なるおふざけに終わってしまったかもしれませんから。

2013年9月22日日曜日

PowerPointよ、さらば!

 秋と言えば、学会の季節。最近はポスターの発表が多くなってきましたが、口演と同様に聴衆の前で話をする、という形式は変わっていません。

 近年は、PowerPointを使って、ポスターや口演でのスライドを作製することが主流となってきたようです。みなさんも、最初からパソコンに向かって、一枚一枚スライド原稿を作っているのではないでしょうか?
 でも、果たして、それで満足のいくプレゼンテーション(プレゼン)ができるでしょうか?自分自身の経験を振り返ってみても、完成までに四苦八苦したことしか思い出せません。あれもこれもと盛り込んでいくと、プレゼンの制限時間を超えてしまうし、一枚のスライドに載せる本文の行数が増えていくばかり…。

ガー・レイノルズ
『シンプルプレゼン』
(日経BP社)
プレゼンを準備する段階では、「パソコンを閉じて、作業はアナログで」と勧めているのは、ガー・レイノルズさんです。アイデアを練る段階ではパソコンを閉じて、一人になる時間を作ること。そして、ノートやスケッチブック、付箋(ポスト・イットなど)を使ったり、ホワイトボードに描いたりするのがいいそうです。

 そして、このとき、最も重要なことは、メッセージをしぼり込むこと。何を加えて何を省くか、が大事なのです。たとえば、症例報告のようなプレゼンであっても、学会前ともなると、文献を沢山読みこんで、知識があふれんばかりになっているだけに、あれも言いたい、これも伝えたい、となりがちなのではないでしょうか。
 ここで忘れてならないのは、自分がどれだけ勉強をしたかを伝えるのではなくて、聴衆のために何を語ればよいのか、という姿勢です。
話し終わったとき、聴衆の意識や行動をどのように
変えたいのか?それが問題だ


 ガーさんは、プレゼンテーション・アークというコンセプトを意識することが大事だと強調しています。つまり、プレゼンを聞くまえの聴衆の意識や行動を、プレゼンを聞いた後に、どのような状態に変えたいのかを、何より優先して考えるべきなのです。(たぶん、聴衆は誰も、あなたがどれほど文献をあさってどれほど勉強したか、ということには興味はないはずです)


 次に、スライドやポスターのデザインについては、シンプルさ(Simplicity)を意識するようにとガーさんは言っています。彼が最も勧める方法は、テキストの量は最低限に抑えて、そこで訴える効果的なビジュアルを使う方法です。ビジュアルは必ずしも写真である必要はなく、グラフなどでも構わないそうです。

 『シンプルプレゼン』には、DVDが付録についていて、ガーさんが勧めるプレゼンの実際を、彼自身のプレゼンで見せてくれます。

 この本以外に、プレゼンのときの訳に立ちそうな本を紹介しておきましょう。

・池上彰『わかりやすく〈伝える〉技術』(講談社現代新書)
池上彰『わかりやすく
〈伝える〉技術』
(講談社現代新書)

 これは、NHKでニュース解説員を務めてきた池上さんが、自らのテレビでの現場での経験から培ったノウハウを紹介したものです。〈わかりやすさ〉を実現するためには、最初に、聞き手に「地図」(つまり、話そうとする中身の目次のようなもの)を示すことが大事だと強調しています。確かに、スライドを用いた、ちょっと長めの講演では、今話されている内容が全体の話の中で、どのような部分に当たるのかをときどき示してもらった方が、理解しやすいことはしばしば経験します。









・ビル・レーン『ウェルチの「伝える技術」』(PHP研究所)
ビル・レーン『ウェルチの
「伝える技術」』
(PHP研究所)

 この本は、プレゼンの方法についての本ではありません。20年以上にわたって、GEの元CEOであるジャック・ウェルチの専属スピーチライターを勤めた著者が明かした苦労話なのですが、人に印象を与えるスピーチとはいかにあるべきか、を学ぶ上で大いに参考になる本です。
 印象的だったのは、次の件でした。
 「私がこれまで見た中で最高のプレゼンテーションのうちのいくつかは、私がこれまで会った中でもっとも寡黙でおとなしい人間によるものだった。彼らのパワーは、派手な動作の中ではなく、仲間に伝えようとする思いの中にあった。
 たとえば学会会場で、たとえば病院内や会社の中で、自分がプレゼンテーションするときに、PowerPointを使いこなせず、手書きのポスターになって、たどたどしく、たとえどもりながらの説明であったとしても、どれほどの情熱をもって仲間に伝えようとしているのかどうかという点が、そもそもの出発点なのかもしれませんね。