2013年5月31日金曜日

目的を達成するには最適の手段が必要なのだ



 「坂本竜馬は、自由で平和な日本、そして海外に対抗できる強い日本を目的としてビジョン(展望)に掲げました。そのための最適な手段は何かを知恵を出して考え、行動に移した」のだと、西村克己氏は『竜馬塾』(海竜社)の中で述べています。

 諸外国に侵略されるスキを与えないよう、彼は、あえて犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩との間に同盟を結ばせました。その際に、両者のプライドを刺激しないように、両藩の間の経済交易という提案をするために、亀山社中を作り、交易の仲介役としたのでした。




 「知恵を出せば最適な手段は必ず見つかるはず。常に目的を見失わないこと、そして目的のための手段にある程度の柔軟性をもたせることが大切。手段は臨機応変に、最適なものを選択するという考え方が、何事かを成功に導くためには大切なのです」と、西村氏は分析しています。

 突拍子もない話のようですが、ひとつの病院の手術室あるいは麻酔科というものを考えてみましょう。
 たとえば、「自由で平等な手術室あるいは麻酔科、そして他の病院に対抗できる強い手術室、麻酔科」というのを目的として掲げたときに、どういう手段が最適でしょうか?

 今や死語となりつつある「大学の関連病院」という考え方にしばられてしまうと、院長自ら大学の麻酔科教授に頭を下げに行く、という手段しか思い浮かばないのではないでしょうか?しかし、果たして、ほんとうにそのような卑屈な姿勢で、先のような目的を達成できるでしょうか?

 逆転の発想で、「京都市立病院の関連大学」という考え方をすれば、全国にいくつもある大学がスタッフ供給の候補としてあがってくるのではないでしょうか?

 否否、今や、そのような縛り縛られるという関係自体、色あせつつあるようです。

 働くスタッフが充実して仕事ができ、研修医専攻医がのびのびと学び、育っていけるような京都市立病院を築き上げること、その目的を達成するために、もっと自由な人の往来を作ることこそが、病院組織の活性化にもつながるように思われます。

 今日のお土産。
今日で二ヶ月間の二年目麻酔科研修を終えたK先生が、ヴィタメールのチョコレート菓子を置いていって下さいました。二ヶ月間お世話になりました。ありがとうございました。


2013年5月30日木曜日

人を助けるとはどういうことか

エドガー・H・シャイン『人を助けるとは
どういうことか』(英治出版)


 エドガー・H・シャインによれば、「支援をする立場の人間と支援を受ける立場の人間は対等な関係にはならない。支援する側が一段高い位置にあり、支援を受ける側は一段低い位置にある」そうです。








 この関係は、指導医(上級医)と研修医の関係についても同様のことが言えます。指導する側の医師は一段高い立場にいて、研修医は一段低い立場にいます。これを図で表すとこんな風になります。


指導医と研修医の支援関係

 そして、この双方の間に支援関係がうまく機能するためには、支援する側が相手を理解しており、支援される側は支援者を信頼していなければならない、とシャインは述べています。

 医学部を卒業してすぐの研修医の先生方には、手先の器用さや知識の量、あるいはコミュニケーション能力などに関して、当然のことながら差があります。しかし、よい支援関係を築くためには、研修医の能力にかかわらず、指導医はまず相手の存在を認めることから始めなければなりません。この相手の存在を認めて理解するということが、よい支援関係を築く第一歩であると言えるのではないでしょうか?

指導医のT先生は、研修医のI先生に理解を示し、
研修医のI先生は、指導医のT先生を信頼しているからこそ
安心して麻酔科研修ができるのですね


今日のお土産

 実は、昨日の夕方に、M先生は、またしても宝塚観劇のお土産を置いて帰って下さいました。宝塚限定のチョコレートケーキでした。今日のおやつにみんなでいただきました。ありがとうございました。
 M先生は、このところ、毎週のように宝塚通いをされているそうです。




2013年5月29日水曜日

来世か明日か

 チベットの古い格言に、「来世か明日か」という言葉があるそうです。
 つまり、どちらが先に来るかは誰にもわからない、という意味です。

 今朝、一人の幼児が亡くなりました。
 昨日、小児科病棟から麻酔科に挿管を依頼された子どもでした。重症の免疫不全症があって、間質性肺炎をくり返していましたが、治療に反応せず短い人生の幕を閉じました。再起をかけた二度目の骨髄移植を試みる直前でした。

ダライ・ラマ『いのちの言葉』
(世界文化社)

 ダライ・ラマ14世は、仏教では死は終わりではないと説いています。

 「誕生は人生の一部であり、死もまた人生の一部。すべてのいのちあるものが通る道なのです。仏陀も多くの人と同じように世を去りました。」

 「私たち仏教徒は、数え切れないほど多くの前世があり、数え切れないほどの来世があると信じています。今世だけがすべてではないと考えれば、自然にゆったりとした気持ちになれます。死は来世への旅立ちにすぎません。」

 「死が訪れても驚くことはありません。心配もいりません。死とは衣装を着替えるようなものです。」

 幼い子どもには、「命」に対して打算も欲もありません。「命」というものが今世の借りものの体に、一時的に宿っているのだと考えれば、幼くして亡くなる子どもは、その体が弱かったのだと考えればよいのでしょうか?この宇宙のどこかに体を離れた「命」というものが漂っているのでしょうか?

 人は誰でも必ず死ぬ。確かにそうなのですが、親より先に自分の子どもが死んでしまうというのは、そう簡単には受け容れられそうにありません。

2013年5月28日火曜日

狂言に登場した麻酔科医

 5月23日に亡くなった大蔵流狂言師の茂山千作さんの葬儀が、京都市左京区の金戒光明寺で営まれたとのニュースを、今朝の新聞で知りました。
『王様と恐竜』で「太陽の国の王」
トットラーを演ずる故・茂山千作さん

 京都の茂山家は、伝統的な狂言を現代に活かすべく、これまでにさまざまな挑戦をしてきました。スーパー狂言というのもそのひとつ。
 歌舞伎の市川猿之助さんのためにスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の脚本を書いた梅原猛さんが、千作さんの弟の故・千之丞さんに頼まれて書いた『ムツゴロウ』(2000年初演)が大当たりをしました。そのとき、この狂言はスーパー狂言と名づけられましたが、それ以降『クローン人間ナマシマ』(2002年初演)、『王様と恐竜』(2003年初演)と続きます。





『ムツゴロウ』
環境破壊を風刺
『クローン人間ナマシマ』
遺伝子操作を風刺













 

 狂言の笑いの本質は、ひと言で言うと「風刺」でしょうか?地位のある大名や僧侶などが笑いの対象とされます。医師が出てくる狂言もひとつ存在しています。『神鳴(かみなり)』がそれです。

 都で仕事をしていた、あまりパッとしない藪医師が、仕事を求めて東へ下ります。その途中、広い野原で神鳴が鳴り出します。急いで里近くへ逃げようとしているところへ、「ヒッカリ ヒッカリ、グヮラリ グヮラリ グヮラリ グヮラ グヮラ ドー」と言いながら神鳴が舞台に登場します。この神鳴さん、調子に乗って雲間を踏み外して地上に落ちてきたのでした。
 落ちたときに腰の骨をしたたかに打ったと言います。ちょうど、落ちたところに医師を見つけたので、「まことの医師ならば、某が腰を療治してくれい」と言います。最初は怖れて治療を断っていた医師は、神鳴におどされてしぶしぶ治療を始めます。医師は針を取りだし、横になった神鳴の腰に槌で針を打っていきます。「グヮッシ」「アア痛」「グヮッシ」「アア痛」というやりとりをくり返すうち、神鳴の腰の痛みが取れていきます。
 腰痛が軽快して、天上に帰ろうとする神鳴に、医師は「薬礼」をくれと要求します。神鳴は、「きょうは ふと落ちたことじゃによって、何も持ち合わせがない」と言って、太鼓やばちを医師に与えようとしますが、医師はそんなものはいらないと断ります。結局、交渉の結果、神鳴に雨風を自由にする力があることを聞いて、向こう八百年間日照りや水害にあわぬようにしようという約束を神鳴からとりつけます。そして、神鳴は天上へと帰って行きます。

 この医師の針治療は、今で言えば硬膜外ブロックか神経ブロックのようなもので、麻酔科のペインクリニックのような治療ですね。
『王様と恐竜』
戦争を風刺

 リサ・サンダースは『患者はだれでも物語る』(ゆるみ出版)の中で、「医者の主たる仕事は、痛みをとり、苦しみを和らげることである」と述べています。神鳴の腰の痛みをとった藪医師は、医師としての役目を立派に果たしたと言えそうですね。

2013年5月27日月曜日

札幌土産の波状攻撃だ!

 学会開けの月曜日。
 京都市立病院南駐車場の桜の木は、幹まで葉で覆われていました。












 ふと見ると、五条通に面した花壇には、鮮やかな青いアジサイが、風にゆられていました。季節はいつの間にか初夏に向かっています。
 先週の札幌では、街行く人がコートやカーディガンを着ていたというのに…。意外と日本は広いのだなぁと思いました。









 学会会場の札幌で土産を買ってきたスタッフも多く、先週の金曜日来、麻酔科は、札幌土産の波状攻撃を受けていました。







 札幌土産に混じって、ハウステンボスのお土産がありました。
 こちらは、ナースのKさんが、ご母堂と一緒に行かれたご旅行のお土産でした。

  ハウステンボスでは、目下100万本のバラが咲き誇っています。Kさん母子は園内のホテルに泊まられましたが、朝起きるとあたりがバラの香りで包まれていたそうです。下のハウステンボス・バラ園の写真は、Kさんの許可を得て掲載させていただきました。




2013年5月26日日曜日

人にして仁ならずんば楽を如何せん

 今日は、京都市民管弦楽団の第87回定期演奏会を、北山の京都コンサートホールまで聴きに出かけました。

 京都市立病院の血液内科部長のI先生は、この市民管弦楽団のコンサートマスターをされていています。
 今日の演目は、ワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」から前奏曲、シベリウスの交響詩「エン・サガ」そして休憩をはさんでチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調でした。いずれも初めて聴く曲ばかりでした。

 I先生は、日常の忙しい診療の合間にバイオリンの練習をされています。この京都市民管弦楽団の定演は、年に二回開かれます。この定演の他にもI先生は、医師だけで構成するオーケストラも主催しておられます。また、院内の有志を募り、去年は院内コンサートを開かれました。

 ここまで来ると、趣味の領域を超えているようですね。しかし、I先生の診療態度は丁寧でしっかりしていて、同僚の医師や看護師ばかりでなく、患者さんからも信頼されています。

京都コンサートホール
孔子は、音楽好きであったと言われており、自らも琴を弾いていたようです。『論語』の中にも音楽に関する言葉がいくつか残されています。

 「子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如何(いかん)せん。人にして仁ならずんば、楽を如何せん。」[八佾篇](人として人間らしさの欠けたるものが、礼を習って何になるだろう。人として人間らしさの欠けたものが、楽を歌って何になるだろう):貝塚茂樹訳

 ここでの「仁」は、人間らしい感情のこと。他人に対する親愛の情をもたないで、音楽をやってもなんにもならないよ、と孔子は弟子たちにさとしていたようです。

 「子曰く、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽に成る」[泰伯篇](先生が言われた。詩を読むことによって、人はまず興奮をおぼえ、礼を習うことによって、人は社会的な立場を確立し、音楽をきくことによって、人は人間の教養を完成させる):同上

 医学は、現代では科学の一部のように考えられる面も多いようですが、英語では、医術はscienceやtechnologyなどではなく、artと称されています。おそらく、画像診断や検査データをもとにした理性だけで患者を診るのでは不十分で、医術には芸術のように患者の心を動かす感性も必要とされるからでしょうか。
コンサートホールの吹き抜けの床は、
エッシャーのだまし絵のような模様になっています

 音楽は、元々は楽譜に書かれたものを演奏したり歌ったりしていますが、それを聴いた人の心を動かすものです。その意味で音楽をたしなむには感性が求められます。
 人を扱う医師にとって、音楽をたしなむということは、感性を豊かにする助けとなっているのかもしれないな、とI先生の姿勢を見ていて思います。

2013年5月25日土曜日

不忘念の念は何でんねん?

道元『八大人覚』シリーズ 第五回

 『八大人覚』の第五番目は、不忘念
 念を忘れるなということですが、正直、よく理解できていません。理解できていないことを解説することはできないので、あきらめます。
ある日の明け方、何かが京大桂キャンパスに飛来しました

 内山興正師は、かつて老師からこの「不忘念」の段を講義しろと言われたときに、うっかり「不念」と読み違えてしまっていたことを告白されています。講義の直前になって読み違えていることに気づいて、どうにか取り繕ったそうです。(内山興正『正法眼蔵 八大人覚を味わう』[大法輪閣]
 毎日座禅を組んでおられる禅僧でさえ、誤解するくらいなのだから、むずかしい概念なのだと思います。





 ドイツ人のネルケ無方師の訳が、いちばん分かりやすかったので、この段の解釈をネルケ訳で紹介しておきます。

それは、銀色に輝くボディの「円盤」でした

 「五つ目は『不忘念』である。…ものごとのあるがままの姿を正しくとらえる力を持ち続けること。このことを名づけて正念としている。 
 …もし自分の力で、ものごとのあるがままの姿を正しくとらえることができる者があれば、さまざまな煩悩の誘いが入りこむ隙を与えないであろう。であるから、あなたたちは、いつなんどきであっても、ものごとを見極める眼を持ちつづけ、自分の中心においておくべきなのだ。…もし、その力が堅く強いものとなれば、欲がうずまいた場所にあっても、自分が害されることはない。たとえば鎧をつけて戦いにのぞめば、おそれるものがないようなものだ。
 このことを『不忘念』と名づけている」



中から、奇妙な「生物」が現れました
 ふだん、目に映る姿、耳に聞こえる言葉の奥にある「本質的」なものを見極める。その姿勢を座禅のときだけでなく、食事のとき、仕事をしているとき、遊んでいるとき、常に忘れない、それが「不忘念」なのでしょうか?


2013年5月24日金曜日

学会の留守は私が守る

 札幌の麻酔科学会への出張を交代で行っていたため、今日は常勤医が一人、研修医が一人、パート医師3名で留守を守りました。

 日本麻酔科学会の学術集会では、研修医招待企画というのがあります。麻酔科に興味をもってもらうために、学会参加費を無料にして、研修医の先生方に学会への参加をうながしています。京都市立病院からは、今回は3名の研修医の先生方が出席されました。

留守はわたくしがお守りしますわ

 留守を守ったのは、一年目の研修医のI先生。朝からM先生の指導の下、孤軍奮闘されていました。おつかれさまでした。












桂川の河原から西山を望む
仕事からの帰り道、久しぶりに京都の夕焼けを見てほっとしていたら、東の空には、丸い月が出ていました。(今日の月齢は14.5で、明日が満月です)

 今ごろは、札幌の時計台の上にも、この同じ月がかかっているのだなぁと思うと、感慨深いものがありました。






月齢14.5
 西日を反射した、珍しい赤い飛行機雲も見ることができました。
夕日に映える赤い飛行機雲

2013年5月23日木曜日

外気温は低くても札幌は暑く燃えている

 今日は、第60回日本麻酔科学会学術集会の初日。外気温は10℃前後。

メイン会場のロイトン札幌ホテル
書籍販売スペースから会場入り口を望む

 会場のロイトン札幌は、朝早くから学会参加をする麻酔科医でにぎわっていました。

















ポスター発表前のE先生

 京都市立病院麻酔科からは、E先生がポスター発表されました。
 内容自体は前院でのご経験をもとにされたものですが、研修医や専攻医の先生方がポスターセッションに参加してくださいました。














 ぼくは、麻酔科学のスタンダード・テキスト’Miller's Anesthesia’で知られている、あのRoanld D. Miller博士の講演を聞きに行きました。
'How to write an article and lead a study?'
Ronald D. Miller (University of California San Francisco)

 これまでも何度か麻酔科学会に来られていたのですが、なぜか講演を聞く機会がなく、今年は講演の内容ではなく、Miller博士ご本人を見るために会場に足を運びました。

 エディターの立場から、良い論文を書くためのアドバイスをしておられました。

 同じ招請講演の中で、弘前大学の廣田和美先生は、年々麻酔科領域の臨床研究分野の論文数が減少してきていることを危機感をもって話されていました。
麻酔科領域の基礎研究論文数はあまり変化ないが
臨床研究論文は明らかに減少傾向にある

 その要因として挙げておられたのは、卒後医師臨床研修制度導入による麻酔科医の意識の変化および研修医の地域偏在化(マッチングのほとんどが東京・神奈川に集中し、地方大学は研修医数が減少している)、手術件数増加に伴う麻酔科医の多忙による研究時間の減少などでした。

 講演の後のコメントで、30歳代の産科麻酔科医が研究をしたくても多忙で、時間もなく体もクタクタになっている、と訴えておられたのが印象に残りました。






 印象に残った北海道:特別編
文字通り、年輪を刻む、ですね



 








 北大構内には、総合博物館があって、誰でも無料で見学ができます。

 北大ゆかりの学者による研究成果(中谷宇吉郎の人工雪の研究など)や、民俗学的資料や岩石標本、明治の農学校当時の貴重な蔵書などが展示されています。
 写真の木の断面は、2004年の台風で倒れたハルニレの倒木です。木の年輪に、北大の歴史を重ねてありました。こうして見ると、ハルニレの木が歴史を静かに見守ってくれたのだなぁ、と感謝したくなりますね。

今もときどき演奏されているそうです
北大では、台風で倒れた木も無駄にせず、同じ台風で倒れたポプラの木もチェンバロに再生されて展示されていました。

市民の力によって再生された北大のポプラ並木
2004年の台風18号で、51本のポプラの木のうち、
19本が根こそぎ倒れ、8本が傾きました。








  倒木一つといえども無駄にはしないという精神は、産業も酪農もなかった蝦夷地に移住した開拓者たちの精神を受け継いでいるからなのでしょうか?









時計の針は、実は木でできているとのこと
四面のうちいくつかは、今も朽ちていないとの由






 札幌時計台はその開拓精神の象徴かもしれません。
 この時計台は、石を入れたおもりの力だけで、130年以上前から現在に至るまで、ほとんど狂いなく時を刻み続けています。正時に鳴る鐘の音も、130年以上前のそれと同じなのだそうです。札幌の大火に見舞われたときには、北大の学生が屋根に上って火の粉をはらったそうです。

 ペンキは何度か塗り直されましたが、基本的な時計の構造と部品が今も健在なのは、資源の少ない土地を開拓してきた人々の、ものを大切に扱う心の表れなのかもしれませんね。

 ふと見ると、足下のマンホールのふたにも時計台が描かれていました。歴史を思うと、うっかり踏んで歩くのがもったいなく思えました。

 札幌を去る前に、北大の植物園を見学しました。
 100円が戻るコインロッカーに重い荷物をあずけ、文字通り肩の荷を下ろして、雨上がりの植物園をのんびり歩いて回りました。芝生の中に、柵のない赤土の小径が続いています。北大の総合博物館もそうだったのですが、貴重な資料や植物があるにもかかわらず、監視する係員が見当たりません。にもかかわらず、植物園にはゴミひとつ落ちていませんでした。

 カラスや野鳥はたくさん飛び交っていましたが、これだけの植物に恵まれているのに、不思議といわゆる虫はほとんど見かけませんでした。
札幌で最古のライラック。
1890年(明治23年)にサラ・スミス女史が
故郷のアメリカから携えてきた苗木から
育てられたものだそうです。

ハルニレの巨木
じっと見ていると、向こうもこちらを
にらんでいるような…

個々の木に名札がなかったら
さながら森に迷い込んだような錯覚に陥りそう


2013年5月22日水曜日

北海道では、まだ花見ができる!

 明日23日から日本麻酔科学会の学術集会が北海道札幌市で開催されます。
遠くの山には、まだ雪が…
ぼくは、一日早く札幌入りして、今日は北大医学部の麻酔科・手術室を見学して参りました。

 今年の北海道は、5月になっても雪が降るくらい春が遅かったようで、山には、まだ雪が残っていました。















札幌時計台の手前の木は桜です。
まだ、花が残っていました。
昨夕には月も出ていました。
そして、いつもは5月の連休明けには散ってしまうという桜が、市内のそこここでまだ散り初めくらいの状態で咲いていました。


  









北大構内のクラーク像の後ろにも
まだ桜が咲きほこっています。
北大構内の古河講堂の前には
鮮やかなピンクの桜が満開です。



















北海道庁旧本庁舎前の庭園に咲くチューリップ
さらに、花壇にはチューリップが!

 でも、季節は、大通公園でライラック祭りが開催される時期で、ところどころのライラックが紫色の可愛らしい花を咲かせていました。









大通公園に咲く可憐なライラックの花

 雪渓、桜にライラック…今は、何とも風流づくしの札幌です。

 北大の麻酔科・手術室見学では、H先生が手術室を案内して下さいました。

 北大は、1990年代初頭から自動麻酔記録の導入を試みていて、今では麻酔記録のデータベースを用いて、いろんな検索ができるようになっているとのことでした。麻酔科医局の奥にはサーバー室があって、コンピュータを管理する専門員が二名常駐されています。

 麻酔科の術前外来は、もうひとりのH先生の外来を見学させていただきました。
 翌週の手術の申し込みは、前週の木曜日の昼間に時間をとって、外科医、麻酔科医、手術室看護師が一同に介して次週の予定表を組んでいるとのことでした。そして、麻酔科の術前外来は、原則として前日に行っているそうです。

 見学の合間に病院内を歩いていたときに、温室を見つけました。中には、ランの花やブーゲンビリアが鮮やかに咲き、バナナの木までありました。
 北の国の患者さんにとって、南国の植物は癒しになっているようですね。