2013年11月30日土曜日

過ちは、すなおに認めなさい

 人はミスを犯すものです。問題は、ミスを犯したときにどういう態度をとるかということです。

 「知りつつ患者に害をなすな」というのは、医師に求められる掟ですが、それでも患者に害を及ぼしてしまうことはしばしばあります。
 点滴を一度に入れられず何度も刺し直す、挿管のときに歯を折ってしまう、誤投薬をしてしまう等々、麻酔科における業務には、患者に直接害を及ぼす機会がいくらでもあります。こうした「ミス」がまったくないのが理想ですが、まったくミスしない麻酔というのは現実的ではありません。

 ミスをしたとき、ミスを犯した医師自身落ち込むものですが、このミスにポジティブに対応するにはどうすればよいのでしょうか?
 スタンフォード大学のパトリシア・ライアン・マドソンによれば、「ミスに対するポジティブな対応は、それに気づくこと、認めること、できれば活用すること」なのだそうです。
 彼女は、学生にどんどん失敗してくださいと勧めていますが、これは、決して小さいことはどうでもいいという意味ではありません。
「どんどん失敗するというルールは、注意力が散漫になることを認めるものではないのです。もし自分の不注意で誰かに迷惑をかけることになってしまったら、適切な対応はもちろん謝ることです。また、不注意になってはいけませんが、用心しすぎてもいけません。目標は、失敗に直面しても、すぐに立ち直って最後までやり抜くことです」(パトリシア・ライアン・マドソン『スタンフォード・インプロバイザー』[東洋経済新報社]

 ミスに対するこうした対応は、簡単なようですが、そもそもミスを認めることというのは、優秀な人ほど素直にできないようです。(「私に限って、間違いなんかするわけないんだから。きっと相手が悪いのよ」などと思ってしまうのでしょうか?)

 『論語』の中では、過ちに対する姿勢について何度か触れられています。

 過てば則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ。[学而篇]
 (あやまちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ)

 過ちて改めざる、是れを過ちという。[衛霊公篇]
 (過ちをしても改めない、これを本当の過ちというのだ)

 立派な人(君子)は、こうした自分自身の過ちを素直に認められるのですが、つまらぬ人間(小人)は、どういう態度をとるのかというと…

 小人の過つや、必ず文(かざ)る。[子張篇]
 (小人があやまちをすると、きっとつくり飾ってごまかそうとする)

のだそうです。

 ミスを犯したとき、「これは私のせいじゃない。○○が悪いのよ」という人を見かけることがあります。このように他人のせいにする態度を「他責」と言います。それに対して、自分の責任でそうなった、と認める態度を「自責」と言います。
 鈴木義幸『決断の法則「これをやる!」』[講談社]によれば、「状況や環境、ほかの人など、「自分の外側のなにか」のせいにしているかぎりは、それが変わるのをいつまでも待たなければなりません。しかし、自分の責任であれば、すぐにでも解決に向けて動き出すことができる」のです。
 だから、「自己責任意識を高めるためにできることのひとつは、どんなに他人を責めたくなったときでも、どんなに「運」を恨みたくなったときでも、どんなに時代の流れに無力感を抱いたときでも、「すべて自分に責があるとしたら、その理由はなんだろう?」と自分自身に問いかけること」なのだそうです。
 そして、鈴木氏自身の経験によれば、「本当に自分に責があるというスタンスに立つことができると、それまでのもやもやした暗さが消え、なぜか明るくなり、状況を打開するために自分がやれることが見えてくる」のだそうです。

2013年11月29日金曜日

ダジャレヌーヴォー???

 11月第三木曜日は、ボジョレーヌーヴォーの解禁日。今年は11月21日でした。

 ボジョレーヌーヴォーは、今年獲れたブドウで作られたワインです。
石黒謙吾『ダジャレヌーヴォー』
(扶桑社)

 一方、ダジャレヌーヴォーは、新しい駄洒落のことです。石黒謙吾さんは、数年間、メモして貯めてきたダジャレが数千個にもなったので、ついに本にして出版してしまいました。本に収められた1000個以上のダジャレの8割は石黒さんのオリジナルなのだそうです。

 石黒さんは、「使えるものを残したかった。TPO別にリアルな分類を行い、使用例をあげ、日々考えてきたダジャレの基本的思考も論文として示し、日々の暮らしに活用してもらえればな」と思い、ダジャレを本にしたのだそうです。
 さらに、「”ダジャレにもっと光を”というダジャラーとしての心意気」もあったと言います。「ダジャレを言う=〈ダサい、オヤジ、寒い〉という理由なき不当な蔑視(!?)に叛旗を翻すために」という目的もあったのだそうです。そして、「ダジャレは、ことばとことばを「見立てる」というすばらしいクリエイティブな遊び」で、「頭の回転をよくする知的作業」だと言い切っています。


 それはさておき、二年目研修医のOb先生とKs先生は、今日が麻酔科研修の最終日でした。Ob先生のシメは、Mo先生の指導の下に行った、大腿神経ブロックでした。何とか無事に成功しました。
大腿神経ブロックを試みるOb先生(左)

局麻薬がうまくひろがったようです。















 「大腿神経ブロックは、比較的浅い位置にある神経をターゲットにしているので、穿刺は大体でよい」……とは、どの教科書にも書いていませんので、悪しからず。
 お二人ともお疲れさまでした。

月齢26.0。今朝の有明の月

2013年11月28日木曜日

はじめはケーゼルレーキスネーチだった

 胎児仮死、児頭骨盤不均衡、前置胎盤、骨盤位などは、帝王切開術の適応となっています。
ベビー誕生。泣くか泣かぬか、緊張の一瞬。

 この帝王切開術の語源はよく分かっていないようです。英語ではcesarian sectionですが、もともとはドイツ語のKaiserschnitt、ラテン語のsectio caesareaに由来しています。ローマのユリウス・シーザー(Gaius Julius Caesar)が、この方法で生まれたのがその起こりとの説が古くからありましたが、当時、母親の腹を切って胎児を出した場合、母親は、ほぼ100%命を落としていました。ところが、シーザーの母親は、54歳くらいまで生きたとされているので、シーザーが「帝王切開」で生まれたというのは、少し怪しそうです。

 江戸時代、日本は鎖国をしていました。唯一、オランダからの知識や技術を長崎で得ることができました。医学もそのひとつ。オランダ語では、「帝王切開」は、Keizerlijksneeと呼ばれていました。最初は、日本では、この技術をオランダ語の発音をそのままカナ表記した「ケーゼルレーキスネーチ」と呼んでいたようです。


 「ケーゼルレーキスネーチ」という言葉自体は、享和三年(1803年)に伏屋素狄の『和蘭医話』の中に登場しました。しかし、実際にこの手技が行われたのは、嘉永五年(1852年)4月25日のことでした。大宮郷(今の秩父市)の開業医、伊古田純道が岡部均平とともに、難産の女の腹を切って死児を取りだし、母体を救ったとの記録が残されているそうです。

 江戸の終わりには、オランダ語の発音表記に代わって、「剖産術」という言葉が現れ、その後、「シーサル割截法」「国帝切開術」と変化して、明治の終わり頃には、「帝王切開」という用語が定着したそうです。(小川鼎三『医学用語の起り』[東書選書]






 シェイクスピアの『マクベス』では、マクベスをそそのかす三人の魔女たちが、マクベスが奪取した王の地位は「バーナムの森が動かぬ限り」奪われず、「女から生まれた者にマクベスは倒せぬ」と予言します。後に、森の木で偽装した軍隊がマクベスの城に押し寄せ、「母の腹から月足らずで引きずり出された」マクダフによって倒されてしまうのですが、このマクダフが、いわゆる「帝王切開」で生まれたとされています。ただし、このマクベスの時代(11世紀頃)でも、帝王切開をした場合、母親は必ず死んでいました。

 シェイクスピアの『マクベス』を、日本の戦国時代に翻案した作品が、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』(1957年)です。三船敏郎演ずる主人公・鷲津武時が霧深い森の中で出会った謎の老婆の語りから、武時自身が思いもよらなかった野心に取り憑かれ、人生が転変していく、というストーリーです。
 もちろん、この時代、日本には「帝王切開」はなかったので、『マクベス』の魔女の予言は、そのままでは使えませんでした。しかし、主君に仕える忠実で勇敢な侍、鷲津武時の胸中に「謀反」、権力への「欲望」という種が、老婆の予言によってふと蒔かれてから、その種ががん細胞のように不気味に増殖していく…という心理的変化は『マクベス』をなぞっています。
 現代人の心にも潜んでいる「野心」の怖さが描かれた傑作です。スピルバーグは、『蜘蛛巣城』を黒澤作品のベスト・ワンに挙げているそうです。
 

脊椎麻酔の満足度

京都市立病院麻酔科の特徴のひとつは、脊椎麻酔症例が比較的多いことでしょうか?

 年間、五百数十件の脊麻症例が麻酔科管理で行われています。そのうち、帝王切開術の脊麻が百例弱あります。帝王切開術の麻酔は、母体と胎児というふたつの命に目を配らなくてはならないので、脊椎麻酔のアドバンスト・コースと言えそうです。

Hn先生曰く、君は脊麻免許皆伝や、と。

 今週某日、Hm先生は、一日に脊麻を4件担当した日がありました。
 そのうち2例が帝王切開というスケジュールでした。Hm先生は、Hn先生の指導のもとに無事に麻酔をされました。



 また、研修医2年目のKs先生は、某日、BMIが44 kg / m²を超える妊婦さん(160 cm / 118 kg)の脊椎麻酔に挑戦されました。
 普段の脊麻針より2 cm長い、9 cmの23G脊麻針を用いて、クモ膜下穿刺をされました。肥満体型の患者さんの脊椎麻酔は、椎間孔の位置が同定しにくばかりでなく、針がまっすぐ進まず、思わぬ方向にブレていることがあるので、難しいのです。

 しかし、Ks先生は、Ho先生の指導の下に、無事に脊椎麻酔を成功されました。









肥満体型の患者さんの脊麻を終えて、
珍しく笑顔のKs先生


 脊椎麻酔は、最初の薬液投与で、ほぼ九割方決まってしまいます。その意味では、水彩画に似ています。一度塗った絵の具の上から他の色を重ねると濁ってしまうように、後から修正するのが難しいのです。(それに対して、全身麻酔は、後からけっこう柔軟に軌道修正ができるので、油絵に似ています)

 しかも、脊椎麻酔は、患者さんの意識がある状態で、背中側から、患者さんが見えない部分に注射をしなければならないので、痛い思いをさせたりすると、けっこう患者さんを不安に陥れてしまうものです。だからこそ、一度でクモ膜下穿刺を成功させれば、患者さんの満足度は上がるのです。
 そして、一度で脊麻が成功すれば、研修医の先生の満足度も上がるのです。


2013年11月26日火曜日

君子は義に喩り、小人は利に喩る

 『論語』は、今から2500年以上も前に書かれたものです。ですから、ひとつひとつの言葉についても、現代の世情に照らして、さまざまな解釈がなされています。

 たとえば、〈里仁第四−十六〉の言葉:

 子曰わく、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る。


 金谷治訳では「君子は正義に明るく、小人は利益に明るい」となっています。(金谷治訳注『論語』[岩波文庫]



 貝塚茂樹訳では「りっぱな人間は義務にめざめる。つまらぬ人間は利益に目がくらむ」貝塚茂樹訳注『論語』[中公文庫])と、「義」の解釈が違っています。貝塚氏は、「〈義〉とは、人間のしたがうべきもの、正しい道理、筋道であるが、利にたいして使われるときは義務を意味する」と注釈しています。
 「正義」と「義務」では、かなり印象が違いますね。















 慶應丸の内シティキャンパス夕学プレミアム『agora』で、社会人に向けて、田口佳史氏が講義したときは、次のように解説がされていました。
「欲望には、大きく分けて二種類の願望が潜んでいます。
 ひとつは「世のため人のために貢献し、みんなが幸せになることによて、自分も悦びに満たされたい」という気持ち。これが「義」です。
 もうひとつは「自分がいい思いをしたい」という願望。これが「利」です。
 欲望の多くは、後者の「利」から生まれるものでしょう。「利」という誘惑に、人間はとても弱いのです。
 でも、そんな誘惑に負けるようでは、大した人物ではない。立派な人は「義」を重んじるものだ、と孔子は指摘しているんですね。」田口佳史『論語の一言』[光文社]





 明治大学文学部教授の齊藤孝氏は、もっとビジネスに即した解釈を提議しています。

「組織が新人を採用する時、もしリーダーが自分より優秀な人をすべて落とし、凡庸で従順な人ばかり選んだとしたらどうなるか。おそらくリーダーの地位は安泰だろうが、組織は間違いなく衰退する。自明の理だろうが、現実にこういう組織が少なくない。
 孔子に言わせれば、ここでどういう選択をするかによって、「君子」と「小人」の差が生まれる。あくまでも利益を追求するのが小人、公明正大さや公共的な価値を優先するのが君子というわけだ。」そして、人間というものは「利」に走りやすいので、逆に「義」が強調されているのだと解釈しています。「義」という文字が重ければ、「フェアであること」と言い換えてもよいと齊藤氏は述べています。(歴学編集部編『世界一の教科書に学ぶ論語ビジネス塾』[ダイヤモンド社]




 慶応高校の生徒のアンケートで、最も人気を博した授業をされていた佐久協氏は、高校生が聞いてうなづけるような『論語』の訳をしてくれています。

「ひとかどの人物になりたければ道義中心に生きることだよ。凡庸で終わりたければ利益中心でもよかろうがね。」佐久協『高校生が感動した「論語」』[祥伝社新書]
 このように訳してもらうと、単なる人間観察に基づく、人間の「分類解釈」にとどまらず、自分自身の生きる指針として『論語』を活用する気になってきますね。




 ユニークなのは、女性の立場から『論語』を訳してみた祐木亜子さんの解釈です。

「人を泣かせて儲けるな
  お金持ちになりたい。
  そう思うのはけっして悪いことじゃないよ。
  でも、間違ったことをして得たお金、
  他人を陥れて手にしたお金は、
  あなたの心を罪悪感で縛りつけちゃう。
  自分の損得ばかり考えるのをやめて、
  世の中の幸せを願って働こう。」
祐木亜子『女子の論語』[サンマーク出版]) 









 以上は、日本人の解釈ですが、本場中国の人たちは、どのように解釈をしているのでしょうか?北京師範大学教授の于丹(ユーダン)女史は、次のように解説しています。

「さて、ここで1つの疑問が生じます。君子というものは、個人の利益を犠牲にしなければならない存在なのでしょうか。
 じつは、孔子は、個人が利益を手にすること自体は否定していません。むしろ、個人の利益は利益として享受し、その上で豊かな人間関係を築くべきだと主張しています。
 つまり、孔子が教えるところの「人間関係」とは、個人的利益の保障を前提としており、この前提にそって人間は社会に尽くし、奉仕することが大事であると説いています。

 ただし、孔子は、「個人が利益を求める際には、必ず正しい道を選ぶべきである」とも言っています。安易に近道を求めて、小さな得をしようと思ってはいけません。孔子は、「正しい道を選ぶか、近道を選ぶかが、君子と小人を見分けるポイントだ」と考えていました。」于丹『論語力』[講談社]

 

2013年11月25日月曜日

枯葉よ〜 枯葉よ〜

 秋の紅葉を過ぎると、枯葉がはらはらと落ちる季節になってきます。

 ジャズは、いろんなジャンルの曲を主題にして、色とりどりのインプロビゼーションをしている場合があります。そんな中でも、シャンソンが原曲の〈枯葉〉は、ジャズミュージシャンのお好みのようです。

キャノンボール・アダレイ
《サムシング・エルス》(1958年)

 キャノンボール・アダレイの《サムシング・エルス》というアルバムの1曲目に、〈枯葉〉が収録されています。
 ぼくは、聞いた当初は、このアルバムはマイルズ・デイビスのものだと思っていました。ところが、実際は、このアルバムはキャノンボール・アダレイ名義でした。でも、音楽のトーンを支配しているのは、明らかにマイルズ・デイビスなのです。

 音を極力省いたマイルズの演奏は、「音のない所に音を聞かす」演奏と言われたこともあります。ミュートを使った物憂い演奏は、いかにも秋の枯葉を連想させます。




ビル・エバンス・トリオ
《ポートレイト・イン・ジャズ》(1959年)

 この同じ〈枯葉〉が、ビル・エバンス・トリオの演奏になると、まったく印象が変わります。マイルズの演奏ならば、ワイングラスを片手にソファに腰をおろして、ゆったりした気分に浸れます。ところが、ビル・エバンスの演奏では、かなり攻撃的な演奏になっています。
 後藤雅洋氏によれば、「まだ若干硬いところが残っているが、そこが魅力になっている。名曲《枯葉》を徹底的に即興の素材たらしめた演奏はその白眉。”リリシズム”のひとことで片づけられない強面のエヴァンスがここにいる」(後藤雅洋『一生モノのジャズ名盤500』[小学館])のだそうです。
 ビル・エバンスの演奏をリリカル(叙情的)だと思っている人は、この《ポートレイト・イン・ジャズ》に収められている〈枯葉〉を聞けば、彼が決して「草食系」ではないことが理解できると思います。

 ビル・エバンスは、この〈枯葉〉が気に入ったのか、後に、フルーティストのジェレミー・スタイグをゲストに招いて録音したアルバム《ホヮッツ・ニュー》でも〈枯葉〉を演奏しています。
ビル・エバンス・ウィズ・ジェレミー・スタイグ
《ホヮッツ・ニュー》(1969年)

2013年11月24日日曜日

嵐山 秋 渡月橋 ダライ・ラマ

 朝、6時半から嵐山までドライブしました。観光客が増える前に、朝日に照らされた紅葉の嵐山を見るのが目的でした。

朝日を映す桂川

 現地に着いたのは、午前7時前でしたが、すでに大勢の人出があったので、驚きました。考えてみれば、世間は土曜日が勤労感謝の日で、週末が連休。今日は、その二日目だから、京都観光の旅行者が早朝から散歩に来るのも当然と言えば当然ですね。
渡月橋付近の河原には、すでに沢山の観光客が
カメラを構えていました。

 嵐山は、ちょうど紅葉の真っ盛り。

渡月橋と紅葉の嵐山

 午後からは、京都精華大学45周年記念事業として開催された『ダライ・ラマ14世 講演会』を聞きに、京都国際会館まで出かけました。
 すっかり赤く紅葉した国際会館周辺の桜の向こうに、比叡山がゆったりと見えました。
京都国際会館から比叡山を望む

講演会プログラムの表紙

 ダライ・ラマ法王14世は、現在73歳。5歳のときに正式に14世として即位。1959年にラサにおけるチベット蜂起に対する中国軍の弾圧にともない、法王は亡命を余儀なくされました。法王、24歳のことでした。(講演の中でも、何度か自分は24歳で故郷の土地を失った、と言っていました)それ以来、法王は、北インドのダラムサラに住み、ここをチベットの政治運営の拠点としています。亡命生活は、50年になろうとしています。
 その間、世界中を駆けめぐり、政治家や他の宗教家との対話ばかりでなく、医者や科学者とも対話をして、各方面に大きな影響力を与えています。









 講演会場は満席でした。よしもとばななさんの講演とダライ・ラマ法王のお二人の講演の後に、お二人の対談、という内容でした。写真では、いつもにこやかな法王ですが、今日は生の笑い声を聞けただけで幸せでした。

 講演後の質疑応答のときに、医師とおぼしき男性が「たとえば、癌患者の延命をどこまですればよいのか?」という質問をされました。その質問に、法王は「I don't know」と即座に答えられました。そして、その後に、どれだけ長くということではなく、どれだけ心おだやかに(calm)看取ってあげられるか、ということの方が大事なのではないでしょうか?と添えて答えておられたのが印象的でした。
会場で先行販売されていた書籍を
買いました

2013年11月23日土曜日

クセになると苦にならない

 少し寝坊をしても、日の出前のトワイライトを見ることのできる季節になってきました。


 イギリスの詩人ジョン・ドライデンの言葉にこんなのがあるそうです。

 「まず、人間が習慣をつくり、次に習慣が人間をつくる。
  We first make our habits, and then our habits make us.」

 問題は、ある事が習慣化できるかどうか、です。
 遅刻をする、手抜きする、怠る、間食をする等々、悪いことなら、知らぬ間に簡単に習慣化しそうですが、毎日洋書を読む、風呂場やトイレの掃除をする、職場で毎朝あいさつをするなど、善い事となると、なかなか習慣として定着させるのは、むずかしいのではないでしょうか?



 レオ・バボータ『減らす技術』(ディスカバー・トゥエンティワン)によれば、物事を習慣化するには、一度にやろうとすることを制限して、ひとつだけにして、それに集中して習慣化していくのがよい、と勧めています。バボータが紹介する「習慣化チャレンジのルール」は6つあります。

ルール① 一度にひとつだけ(彼の経験では、マルチチャレンジの成功率は0%、シングルチャレンジなら50〜80%だそうです)
ルール② 達成しやすいゴールを選ぶ(無理なくどころか、「これならできる」と思うものよりさらに楽そうなものを選ぶのがよいのだそうです)
ルール③ 目に見えるゴールを選ぶ(うまくいったかどうか、毎日はっきりとわかるものを選ぶとよいようです)
ルール④ いつも同じ時間に行う(ランダムな時間にやるよりもずっと習慣化しやすいのだそうです)
ルール⑤ 毎日報告する(2〜3日おきの報告より、毎日報告する方が成功率はあがるそうです)
ルール⑥ 前向きな気持ちを忘れずに!(ときには壁にぶつかることもある。しかし「そんなものだ」とわきまえて、こだわり過ぎずに前進だ!)

 同じ習慣化するのであれば、善い習慣にしたいものですね。善い習慣というのは、最初は続けることが苦痛かもしれません。でも、続けて習慣化していく内に、一日でも抜けると、かえって落ちつかなくなってくるようです。

 たとえば、アレクサンダー・ロックハート『自分を磨く方法』(ディスカバー・トゥエンティワン)の中に紹介されていた、「二人の木こりの寓話」を見てみましょう。 

 一番目の木こりは慢心の力をこめて木を切った。休憩もとらず、一日中木を切り続けた。誰よりも早く起き出して働き、誰よりも遅くまで働き続けた。
 しかし、一日が終わると、もう一人の木こりの方が沢山の木を切っていた。彼は、一番目の木こりほど懸命に作業をしていたわけではないし、休憩を何度もとっていた。
 一番目の木こりは、一番沢山の木を切った木こりに歩み寄ってたずねた。「君はどうやってぼくよりも多くの木を切ったんだい?ぼくは朝から晩までいちばん長く木を切っていたのに、どうして君の方が、ぼくより沢山の木を切れたのか、よかったら、秘訣を教えてくれないかい?」
 もう一人の木こりはちょっと考えてから言った。「成功の秘訣なんてとくにないけど、これだけは言える。どれだけ作業が忙しくても、ぼくは時間をとって斧を研ぐようにしているんだ。斧がよく切れれば、より少しの労力でより沢山の木を切ることができるからね」
 この寓話で言うところの「斧を研ぐ」という作業は、木こりにとって、すでに習慣化していたのでしょう。だから、彼は、これを「秘訣」だとは考えていなかったのかもしれません。この寓話の「斧を研ぐ」という行為を自己を高める修行あるいは勉学と言いかえれば、自己研鑽を習慣化する、ということになりそうです。

 レオ・バボータは、「一度にひとつ」のゴールだけに集中する方法を実行して、二年で人生が一変したのだそうです。二年と言えば、初期臨床研修期間も二年ですね。
 本質的なことを見極め、その一点に集中して続けるのがポイントです。「数や量を『増やすこと』を追いかけるのはもうやめて、制限を設ける。これがすべてのカギとなる、とバボータは強調していました。

2013年11月22日金曜日

達人に学ぶ:超音波ガイド下ブロック

 エコーの画像ばかりをながめていると、空の雲まで、筋肉の間に神経や血管が見える映像と重なりそうです。ちょうど西大橋から見えた雲の左端は、腕神経叢あたりかしら?


白神先生が共同編著者となっているテキスト

さて、今日は、香川大学麻酔科学教室の白神豪太郎教授を講師にお招きして、超音波ガイド下の上肢と下肢のブロックの講義とハンズオンセミナーを開催しました。





 新棟手術室のカンファレンス室で、スライドを使った講義の後、白神先生の指導の下に、鎖骨上神経ブロック、腋窩神経ブロック、下肢の大腿神経ブロック、膝下部座骨神経ブロック、閉鎖神経ブロックの際の描出法を学びました。




 Ak先生とFm先生が、ボランティアでモデルになってくださいました。実際に体には針を刺せないので、白神先生が持ってきて下さった、エコーガイド下穿刺トレーニング用のコンニャクみたいなブロックで平行法と交叉法の針の刺し方も体験しました。

 下肢の超音波描出では、熱心なHm先生がプローベを握って離しませんでした。

Hm先生を指導する白神先生(左)

 白神先生、本日はどうもありがとうございました。

2013年11月21日木曜日

医者を作る前に人を作ることの大切さ

 厳しい「受験戦争」を勝ちぬいて晴れて医学部に入り、たくさんの知識を詰め込んで国家試験に合格して、初期臨床研修で二年間臨床現場でもまれて、ようやく医者になれる、というのが今の医師の育ち方です。



 この過程の中で、人としての医師の社会性というのは、どこで形成されるのでしょうか?養老孟司さんは、『江戸の知恵』(PHP研究所)の中で、こう言っています。

「教育とは本来人間を訓練するものですが、いまの若い人たちは、動物を訓練するようなものだと思っている。人間を訓練するということは、何かの能力を身につけさせるなどという単純なことではなく、簡単にいえば『社会性を身につけさせること』です。」

 では、「社会性」とは何なのか?









 門脇厚司氏は、「社会性」とは、今の社会にうまく適応できることを意味しているが、もう一歩踏み込んで、私たちに求められているのは、社会に適応する能力を超えた、社会を変えていく能力すなわち「社会力」であると述べています。
 この「社会力」とは端的に言うと、「人が人とつながり、社会をつくる力」のこと。つまり、様々な人たちといい関係をつくることができ、つくり上げたいい関係を維持しながら、それまで自分が学んで身につけた知識や、努力して習得した技術や技能などを、自分が生きている社会のそこここで、誰かのために、あるいは何かのために役立てようと、自分から進んで発揮し活用することだと述べています。(門脇厚司『社会力を育てる 新しい「学び」の構想』[岩波新書]






 「受験戦争」では、一定の合格者の網にかかるため、他人を蹴落とすような競争が当たり前でした。人のためではなく、自分のために勉強をしてきた、と思っている学生が多かったのではないでしょうか?
 できるかできないか、という評価の仕方では、やはり自分の能力にしか目がいかず、「周りの人とうまくやっていこう」とか「人を助けよう」という意識が、育ちにくいのではないでしょうか?

 初期研修の中で、だんだん医師としての実力をつけてくると、最初は耳を傾けることができていたナースの声もうっとおしく思えてくる。病歴聴取をしていて、余計なことをしゃべり出す患者をうるさく思うようになってくる…。
 こうした考え方が出てくるのも、「自分の仕事は世間のためにあるという公共心」「自分は人との関係性の中で生かされている」という社会性を忘れたところから生まれてくるのかもしれませんね。



 近江商人の「三方よし」の精神というのがあります。
 「売り手よし、買い手よし、世間よし」というものです。
 これは、商売の相互を尊重するだけでなく、その地域の社会までも尊重の視野に入れているところに特徴があります。(平田雅彦『江戸商人の思想』[日経BP社]

 スタッフや患者の言葉に耳を傾けず、自分のやりたいようにやるのは「売り手よし」だけ。これは、いわば、誰のためにも働かず、ただ給料をもらうような姿勢ですから、商売自体なりたちませんね。
 風邪をひいたといって受診に来た患者に抗生物質を処方するのは、「売り手よし、買い手よし」かもしれません。しかし、安易に抗生物質を処方してしまうと、地域社会に耐性菌の温床を作ると考えられています。ですから、小児科領域では、最近は安易に抗生物質の処方はしない方向になっているそうです。こうした考え方が、「三方よし」なのかもしれませんね。

2013年11月20日水曜日

うれし恥ずかし輸液は楽し

 現在、麻酔科ローテーション中のHs先生の身長は154cmくらいなのだそうです。でも、大学時代はバレーボール部に所属して、リベロとして活躍されていたそうです。

 Hs先生は、今日は輸液に興味をもちました。
 手術室での開始輸液は、たいていリンゲル液を用います。これは、全身麻酔の導入が終わると、全身の血管が拡張して相対的にハイポボレミアになるのを補うのと、手術に伴う出血による体液の喪失分を補うためです。
輸液をながめて微笑むHs先生♪
このリンゲル液は、19世紀の後半に、生物学者のリンゲル先生が開発したものです。当初は、三つのクロライド液、すなわちNaCl、 KCl、 CaCl₂、という電解質からできた水溶液でした。この古典的リンゲル液だと、塩素濃度が155.5mEq/Lと、かなりの高濃度になってしまいます。このため、しばしばクロール中毒(血中の重炭酸イオンが塩素イオンで稀釈されて濃度が低下して、高クロール性アシドーシスとなる)を引き起こしたそうです。
 この欠点を解決したのが、ハルトマン先生です。彼は、陰イオンとして乳酸イオンを水溶液に添加して、水溶液の塩素濃度を下げました。1932年のことでした。本当は、血管内に存在している重炭酸イオンを陰イオンとして使いたかったらしいのですが、カルシウムイオンなどが存在すると沈殿を形成してうまく調整できなかったようです。

 今では、乳酸リンゲルの他に、酢酸リンゲルや重炭酸リンゲルも使用できるようになっています。乳酸は、肝臓で代謝されるので、大量に乳酸リンゲルを輸液すると肝臓に負担がかかります。また、そもそも肝機能の悪い患者にとっては、乳酸の負荷は乳酸アシドーシスの原因ともなりかねません。酢酸イオンや重炭酸イオンを陰イオンとして使うリンゲル液が工夫されてきたのは、肝臓への負担軽減を考えてのことだったようです。

 このリンゲルベースに、分子量が7万くらいのデンプン分子を添加したものが、代用血漿と呼ばれる輸液です。これは、すぐには血管外に逃げ出さないので、一時的な血管内ボリューム負荷が期待できます。

 輸液には、維持液と呼ばれるものがあります。これは、一日中、人が飲まず食わずでいても生きていける内容の輸液です。だから、リンゲル液に比べると、維持液は、ナトリウム濃度が低く、カリウム濃度が高くなっています。それに、ブドウ糖も数%含まれていて、ある程度カロリーが補われます。

 リンゲル液や生理食塩水を一日中ダラダラと輸液してはいけないのは、ナトリウム(食塩)の摂取量が過剰になってしまうからです。生理食塩水のナトリウム濃度は154mEq/L。重量%でいうと、0.9%。つまり、1L中に、9gのナトリウムイオンと塩素イオン(食塩)が入っています。だから、一日に必要な水分量、約2Lを輸液すると、一日の食塩摂取量が18gとなってしまうのです。

 小児の手術時によく用いられるのは、初期輸液と呼ばれる1号輸液です。この輸液の特徴は、カリウムが含まれていないこと、糖分が含まれていることです。脱水状態の小児で、尿が出ていない場合、カリウムの含まれた輸液を急速に行うと、高カリウム血症を引き起こすおそれがあるので、このような輸液が作られました。

 Hs先生は今日、「輸液って面白い」と、少しだけ思いました。
今朝の日の出。
アイソン彗星は今、どの辺りにいるのでしょうか?

2013年11月19日火曜日

それでもなお、人を愛しなさい

 19歳の青年が、「リーダーシップのための逆説の10カ条」を書きました。ハーバード大学の二年生のときのことでした。これは、高校の自治活動で活躍しているリーダーたちのための小冊子の中に書かれていました。

 彼は、この「逆説の10カ条」を、一つの挑戦として書きました。その挑戦とは、仮にほかの人たちがそれを良いこととして評価してくれなくても、正しいこと、良いこと、真実であることを、常に実行してみませんかという挑戦でした。



 それから、25年が経って、ホノルル警察署の署長から電話がかかり、25年前に自分が書いた「逆説の10カ条」が警察署長の会議で紹介されたことを知らされます。さらに、1997年にマザー・テレサが亡くなって間もなく、彼の「逆説の10カ条」が、カルカッタの〈孤児の家(シシュ・バヴァン)〉の壁に、デフォルメされた形で書かれていたことを知ります。
 30年も前に、自分が書いたものが、インドにたどり着いて、マザー・テレサか、あるいは彼女の仲間の一人がその言葉の重要性を認めてくれた。子どもたちの面倒をみていくに当たって、壁に貼って毎日みるだけの重要性があると考えてくれたのだ、ということを思い、彼は深く感動したそうです。





 この「逆説の10カ条」を書いたのは、ケント・M・キースという男性。そして、「逆説の10カ条」は、次のような内容でした。

1.人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。
 それでもなお、人を愛しなさい。
2.何か良いことをすれば、
 隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。
 それでもなお、良いことをしなさい。
3.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。
 それでもなお、成功しなさい。
4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。
 それでもなお、良いことをしなさい。
5.正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。
 それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。
6.もっとも大きな考えをもったもっとも大きな男女は、
 もっとも小さな心をもったもっとも小さな男女によって
 撃ち落とされるかもしれない。
 それでもなお、大きな考えをもちなさい。
7.人は弱者をひいきにはするが、勝者のあとにしかついていかない。
 それでもなお、弱者のために戦いなさい。
8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。
 それでもなお、築きあげなさい。
9.人が本当に助けを必要としていても、 
 実際に助けの手を差しのべると攻撃されるかもしれない。
 それでもなお、人を助けなさい。
10.世界のために最善を尽くしても、
 その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。
 それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。

2013年11月18日月曜日

ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ

 1960年代の終わりから70年代にかけて活躍したロック・グループに、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズというバンドがありました。

ブレッカー・ブラザースの《ヘビー・メタル・ビイ・バップ》
メチャクチャとんがったアルバムです。
トランペットのランディ・ブレッカーは、かつては
ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのメンバーでした

 ファースト・アルバムは、グループ名と同じ《ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ。ギター・ベース・ドラムスに、キーボードとブラスが加わった厚みのある音で、クラシックとジャズの雰囲気を取り入れた独特のバンドでした。

 ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズとは、日本語では「血と汗と涙」となります。実は、この「血と汗と涙」は、麻酔科医にとっても関心のあるものばかりなのです。
 






血と言えば吸血鬼
世の中にはこんな事典もあるのですね。



 ブラッドは出血ですね。手術には出血はつきもの。血圧低下の原因はいろいろ考えられますが、どんな手術の場合でも、出血の可能性をはずすわけにはゆきません。出血量の増加に伴い、出血への対応は変わってきます。
 患者さんのもともとの赤血球量にもよりますが、出血量が500gから1000gくらいまでは、ボリューム(循環血漿量)が大事です。この程度の出血量であれば、代用血漿などの膠質液を輸液すれば、循環動態は安定します。出血量が1000gを超えると、酸素の担体であるヘモグロビンが低下するので、赤血球輸血を意識しなければなりません。さらに出血量が増えると、今度は凝固系に影響が出てきます。血小板の減少、液性凝固因子などが枯渇してきます。出血量が数千gとなったときには、血小板輸血やFFP(新鮮凍結血漿)などの輸血を考慮しなければなりません。





 スウェットは。全身麻酔のときは、発汗は抑制されています。耳鼻科手術のように術野からの不感蒸泄がほとんどないときなどは、うつ熱といって体温上昇がみられることがあります。この状態は、硫酸アトロピンが投与されていると、助長されることがあります。
 浅麻酔のときなどには、発汗が見られることがあります。また、悪性高熱症の場合にも発汗が見られることがあります。悪性高熱症は、体内で代謝が異常亢進している状態だと考えられるので、発汗が見られるのです。
井上雄彦『SLAM DUNKスラムダンク』より。
湘北高vs山王工業戦のラスト20秒間は、ほとんどセリフはなく、
汗ばかりが目立っていました。

 ティアーズは。全身麻酔から覚醒しつつある患者さんの目パッチをはがしたときなどに、落涙が見られることがあります。これは、何も悲しくて涙を流しているのではありません。
 涙は、目の角膜の乾燥を防ぐために常に流れるものです。全身麻酔の間は、角膜の乾燥を防ぐために目パッチや目を閉じるテープを用います。この目の保護が不十分だと乾燥して角膜炎を起こすことがあります。最近では、術中の低体温を防止するために、温風の出るブランケットを使用する機会が増えましたから、角膜の乾燥にはよりいっそう注意を払う必要がありそうですね。
十字架はキリスト教の象徴のように
考えられていますが、果たしてイエス自身は
今日のように十字架を象徴とすることを
良しとしていたのだろうか?と疑問を
投げかけた問題作。

2013年11月17日日曜日

冷たさと暖かみの調和:病院建築のむずかしさ

今朝は、オレンジ色のフィルターを通したような日の出が見えました。

 ロータリーのある坂道には、真っ赤に紅葉した街路樹が延々と続いていました。

 昨日、ステンドグラスの教室に通っているご近所の方から、ステンドグラスで作った、可愛らしいサンタさんの飾りものをいただきました。

『院内ひろば』第27号 表紙

 以前、京都市立病院の職員向け広報誌『院内ひろば』の編集を担当していたとき、表紙の言葉として、聖路加国際病院の日野原重明先生から色紙を頂戴したことがありました。その背景には、聖書の物語を描いた、中世のステンドグラスがあればといいなと思っていました。
 ちょうどその頃、京都新聞紙上で、「光をあびて」というエッセイが連載されていました。著者の清水伯夫さんはステンドグラス工芸家で、京都に住んでおられました。
 ステンドグラスの写真をお借りできないかと思い、連絡をとって清水さんとお会いしました。そして、清水さんがフランスで撮影されたステンドグラスの写真をアレンジして、日野原先生の色紙の周りを飾ることができたのでした。



清水伯夫さんが撮影された、
シャルトル大聖堂のステンドグラス

 ステンドグラスというと教会を連想しますが、聖堂の中にステンドグラスを通して射しこむ光は、どこかしら人の心を癒すような力があるように思われます。
 清水さんの連載を読み、お話をうかがっている内に、病院の中にもステンドグラスがあると、患者さんの心を癒すことができるのではないかしら、と考えたことがあります。

 『新建築学大系 31病院の設計』(彰国社刊)の中の、「病院建築の特性」という項には、次のような解説が載っています。
「病院の設計は、いろいろな建築の中でも最も難しいものの一つであるとされている。(中略)たとえば、そこには手術に代表される一面非情ともいえる診療行為があり、他方に病苦の苦しみを除き、やすらぎを与えるための細やかな心づかいがなければならない。いうならば、きわめて冷たい側面と暖かみを求める側面との二つを併せもち、しかも両者の間に絶妙な調和を必要とするのである。機能の的確な理解と卓越した創造力をもってして、それは初めて可能になるのである。」
 この解説の中の「暖かみを求める側面」として、ステンドグラスを活用できるのではないでしょうか?
 
 病院の中では、照明ひとつを取り上げてみても、二つの側面を考慮していることが分かります。白い蛍光灯がむき出しになっているのは、管理棟の廊下や事務室、医局あたりです。ところが、このむき出しの白色光の照明は、ベッドに仰向けに寝ている患者さんにとっては、けっこうまぶしいものです。
 患者さんのベッドサイドや談話室では、間接照明になっていることが多いようです。しかも、照明の色も白色ではなく、オレンジ色の電球色という柔らかい色合いになっています。久保田秀男『患者に選ばれる病院づくり』(じほう)では、雪明かりの障子を設置した病院があることも紹介されていました。

 建物というハードは、いったん作ってしまうと、変更はなかなかむずかしいものです。しかし、経験の蓄積は、後になるほど豊かになるはず。現に、京都市立病院でも、北館、本館、新館と時代が新しくなるに従って、アメニティは充実してきているようです。
京都市中央市民病院時代(昭和20年代)
京都市中央市民病院時代(昭和31年)

北館完成(昭和49年)
手前の緑の屋根が外来棟。その後ろが今はなき旧病棟
一番北の北館がこの当時最新の建物(昭和51年)



新棟(現在の本館)完成(平成4年)
北館との間に、まだ旧病棟が残っています。

現在の本館(左上)と北館(右下)の間に、
庭が造られました。今は、この庭の跡地に新館が
建てられています。