人はミスを犯すものです。問題は、ミスを犯したときにどういう態度をとるかということです。
「知りつつ患者に害をなすな」というのは、医師に求められる掟ですが、それでも患者に害を及ぼしてしまうことはしばしばあります。
点滴を一度に入れられず何度も刺し直す、挿管のときに歯を折ってしまう、誤投薬をしてしまう等々、麻酔科における業務には、患者に直接害を及ぼす機会がいくらでもあります。こうした「ミス」がまったくないのが理想ですが、まったくミスしない麻酔というのは現実的ではありません。
ミスをしたとき、ミスを犯した医師自身落ち込むものですが、このミスにポジティブに対応するにはどうすればよいのでしょうか?
スタンフォード大学のパトリシア・ライアン・マドソンによれば、「ミスに対するポジティブな対応は、それに気づくこと、認めること、できれば活用すること」なのだそうです。
彼女は、学生にどんどん失敗してくださいと勧めていますが、これは、決して小さいことはどうでもいいという意味ではありません。
「どんどん失敗するというルールは、注意力が散漫になることを認めるものではないのです。もし自分の不注意で誰かに迷惑をかけることになってしまったら、適切な対応はもちろん謝ることです。また、不注意になってはいけませんが、用心しすぎてもいけません。目標は、失敗に直面しても、すぐに立ち直って最後までやり抜くことです」(パトリシア・ライアン・マドソン『スタンフォード・インプロバイザー』[東洋経済新報社])
ミスに対するこうした対応は、簡単なようですが、そもそもミスを認めることというのは、優秀な人ほど素直にできないようです。(「私に限って、間違いなんかするわけないんだから。きっと相手が悪いのよ」などと思ってしまうのでしょうか?)
『論語』の中では、過ちに対する姿勢について何度か触れられています。
過てば則ち改むるに憚(はばか)ることなかれ。[学而篇]
(あやまちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ)
過ちて改めざる、是れを過ちという。[衛霊公篇]
(過ちをしても改めない、これを本当の過ちというのだ)
立派な人(君子)は、こうした自分自身の過ちを素直に認められるのですが、つまらぬ人間(小人)は、どういう態度をとるのかというと…
小人の過つや、必ず文(かざ)る。[子張篇]
(小人があやまちをすると、きっとつくり飾ってごまかそうとする)
のだそうです。
ミスを犯したとき、「これは私のせいじゃない。○○が悪いのよ」という人を見かけることがあります。このように他人のせいにする態度を「他責」と言います。それに対して、自分の責任でそうなった、と認める態度を「自責」と言います。
鈴木義幸『決断の法則「これをやる!」』[講談社]によれば、「状況や環境、ほかの人など、「自分の外側のなにか」のせいにしているかぎりは、それが変わるのをいつまでも待たなければなりません。しかし、自分の責任であれば、すぐにでも解決に向けて動き出すことができる」のです。
だから、「自己責任意識を高めるためにできることのひとつは、どんなに他人を責めたくなったときでも、どんなに「運」を恨みたくなったときでも、どんなに時代の流れに無力感を抱いたときでも、「すべて自分に責があるとしたら、その理由はなんだろう?」と自分自身に問いかけること」なのだそうです。
そして、鈴木氏自身の経験によれば、「本当に自分に責があるというスタンスに立つことができると、それまでのもやもやした暗さが消え、なぜか明るくなり、状況を打開するために自分がやれることが見えてくる」のだそうです。