「百聞は一見にしかず」ということわざがあります。
これは、百回聞くよりも、一度自分の目で見た方が確かだという意味ですが、もう少し拡大解釈すると、教科書を読んだり、ビデオを見たりして学ぶよりも、自分自身が経験する方がよく身につく、ということを言っているように思います。
とりわけ、医学のような実学では、分厚い教科書を熟読し、沢山の論文を読むよりも、ひとりの患者さんに実際に接する方が、疾患に対する理解は確かなものになるようです。
今日、『グッド・ウィル・ハンティング』(ガス・バン・サント監督 1997年作品)をDVDで見直しました。
ウィル・ハンティング(マット・デイモン)は、労働者階級の出身で、身寄りがありません。友だちと遊び歩き、夜は大学の建物の床掃除の仕事をしていました。
このウィルには特異な才能がありました。フォトリーディングのように、見たページをそのまま頭に入れ、またたく間に本を読んで暗記してしまうのです。さらに、難解な数学の問題も簡単に解いてしまいます。
ある日、数学のランボー教授が廊下の黒板に書き出した数学の難問に解答を書きこみました。さらに、難解な問題が出題されたとき、ランボー教授は、床掃除の少年が解答を書いていたのを偶然目撃しました。
天才的な頭脳をもっているウィルでしたが、日常生活では、ケンカっ早くて、数々の傷害事件を起こしています。ある日、ウィルは、暴行事件で警官を殴ってしまったことから刑務所に拘置されます。これを知ったランボー教授は、ウィルの身元引受人となって、彼を保釈します。ただし、条件として、自分の研究室で数学の議論に参加してくれること、そして、週に一度、カウンセリングを受けること、を課します。
ところが、5人のカウンセラーからカウンセリングは無理だと匙を投げられます。最後にランボー自身の大学時代のルームメイトである、心理学者のショーン・マグワイア(ロビン・ウィリアムズ)に望みを託します。
そして、ショーンと出会って、ウィルは次第に心を開いていくのですが…
というお話です。
このショーンがウィルのことを分析して、彼の本質を暴いたときに、「お前は、本ばかり読んでいて、実際の経験は何ひとつしていない。本を通して得た知識だけで語ろうとするただの子どもだ。たとえば、ミケランジェロの絵に関する知識や、彼の生い立ちについては詳しく語れても、システィーナ礼拝堂に入ったときのちょっとかび臭い香りだとか、天井をあおいだときの絵が圧倒するような雰囲気については何も知らない」と批判します。
ウィルは、文字通り「百聞」ばかりで、まったく「一見」していなかったのですね。
アンドリュー・J・サター/ユキコ・サター『ユダヤ人が語った親バカ教育のレシピ』(インデックス・コミュニケーションズ)の中では、本を子どもの周りに置いておくことが大事だ、ということと同時に、何でも実際の体験をさせる、実物にふれさせることの重要性を説いています。ユダヤ人は故郷を持たず、世界中に分散していますが、こうした教育に対する姿勢は一貫しているそうです。そして、そうした教育の中から大勢のノーベル賞受賞者を輩出したのだ、と言っています。
博物館、美術館、コンサート、史跡など、実際にその場に子どもを連れて行く。子どもが目を輝かせるまで、いろいろなところへ連れて行き、体験させればよいのだ、と言います。
医者の修行も同様かもしれませんね。机に座って教科書とにらめっこばかりせず、患者のベッドサイドに行きなさいと、かのウィリアム・オスラー博士も言っていました。
ただし、ただ経験すればいいというものでもありません。単に経験を食い散らかしているだけでは、がつがつ食事をするのと同じで、体は大きくなるかもしれませんが、それでは何を食べても同じ味がするのではないでしょうか。同じ、肺炎、喘息、あるいは同じ手術の麻酔であっても、ひとつひとつの経験は一期一会。
ひとつひとつの症例をじっくり味わってみるのもいいのではないでしょうか。