2013年10月15日火曜日

救急医療とトリアージ

 近ごろは、当直の研修医の先生方は、ほとんど眠れない当直業務となることが多いようです。救急車が二台同時に救急室にやってくることもザラになってきたようです。


 新しくなった京都市立病院の救急室には、トリアージ室ができました。ここで、来院患者の重症度を判定するのです。

 本来、トリアージとは、多数の負傷者が出る災害や事故、戦争などに際して救急隊員や医師が患者を選別し、治療の優先順位をつける行為のことです。本邦におけるトリアージでは、患者を区分Ⅰ〜Ⅲと区分0に分けています。

 :区分Ⅰ (救急治療群)
   生理学的評価に異常があるもの。救急処置を必要とするもの。
 :区分Ⅱ (非救急治療群)
   治療の遅延が生命危機に直接つながらないもの。歩行不能。
 :区分Ⅲ (治療不要もしくは軽処置群)
   歩行可能。必ずしも専門医の治療を必要としないもの。
   一般に、災害時に最大数となりうる。
 :区分0 (救命困難群もしくは死亡群)
   心肺蘇生を施しても蘇生の可能性の低いもの。または死亡しているもの。


トリアージタグ表


 災害時の救助活動においては、このトリアージタグを用いて、救命処置、救急処置を必要とする患者を選別していきます。
 先の東日本大震災のとき、石巻赤十字病院では、地震の発生からわずか57分後にはトリアージエリアが設置されたと言います。非常にすばやい対応でした。

 神戸の震災では、次々と外傷患者が運び込まれたりして大変だったのですが、東北大震災の当日、石巻日赤には、予想していたようには患者が集まらず、しばらくはトリアージエリアは静かだったそうです。





トリアージタグ裏

 石巻日赤では、最初のうちは病院の近くから来たという軽傷者ばかりで、自分の足で歩いてきていた、緑エリアへ導ける人ばかりでした。身構えていたスタッフは、その静けさをかえって不気味に思っていたのだそうです。

 災害が大きなものであればあるほど、その直後は重篤な傷病者は来ないといわれていたからです。



 石巻日赤の職員は、地震の直後、その被害の大きさを知ることはできませんでした。やがて、搬送されてきた人たちは、たいていずぶぬれになっていて、みな一様に寒さにふるえていました。津波にのまれたり、長時間屋根の上や倒壊した家の中に取り残され、寒さにさらされて、体温を失った人ばかりでした。こうした患者は、それまで重ねてきた災害訓練では想定していなかった低体温症の患者だったのだそうです。
 そういえば、京都市立病院から派遣されたDMATの隊員たちも、後方支援で遭遇したのは低体温症の患者だったと、後の院内での報告会で述べていました。

 『石巻赤十字病院の100日間』(小学館)では、東日本大震災の発生時から100日間の石巻日赤の医師・看護師・病院職員たちの奮闘が克明に描かれています。

 震災が発生した3月11日の深夜、傷病者を搬送してきた救急隊員は「日赤は別世界です」とつぶやいたのだそうです。
 「外ではね、生きている人が、助けを求めながら流されていくんです。木にすがって流されていくんです。助けたいです。助けたいけど、救急車も流されてないんだよ」
 津波で石巻館内の救急車17台のうち12台が流され、あるいは流されないまでも走れなくなっていたといいます。


 そして、翌日12日からは、黒のトリアージタグがどんどん増えていき、黒エリア担当の医師は、ひたすら死亡診断書を書き続けることになるのでした。

3月12日、石巻日赤のロビーには人があふれ、
野戦病院の様相を呈した。(上記文献より)