2013年4月28日日曜日

わたしたちは大人になり切れているでしょうか?

今日は、さわやかな朝を迎えました

 昨日は、ゴールデンウィークの初日の土曜日でしたが、さっそく三件の臨時手術が入り、待機のM先生が活躍されました。
 おつかれさまでした。











 さて、今日は朝から内山興正さんの『正法眼蔵 八大人覚を味わう』(大法輪閣)を読んでいました。「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は道元が書いた大部の書物で、その中にある「八大人覚(はちだいにんがく)」というのは、大人となるための八つの覚え書きといった意味です。

 この八大人覚の第一は、少欲です。無欲ではなく、少欲というところが仏教の面白いところです。必ずしも欲を否定はしていないのですね。

 幼稚園児は、いつも「あれが欲しい、これが欲しい」と愚図っていますが、大きくなって社会に出たら、欲しいものがオモチャやお菓子から、ただカネや名誉に変わるだけのこと。カネが欲しい、名誉が欲しいという気持ちは、人間多かれ少なかれ、あって当然。けれど、自分だけカネが欲しい、もっと名誉が欲しいというのでは、幼児と変わらないのです。
 


 家や車が欲しいと思ったときに、手元にお金がなければ、あきらめてしまうところが、やっかいなことに、現代社会ではローンという制度があります。つまり、ローンを組めば、欲の上限はどんどん上がってしまいます。

 しかし、欲というのは、物がいったん足りてしまうと満足できるものでもなく、さらに物を求める新たな欲が生まれてきます。そのために更にローンを組む…悪循環ですね。このように、何かを得て欲を鎮めるということはできません。欲は、欲を手放すことによってしか克服できないようです。

 むさぼるだけむさぼるという根性ではなく、少しでも譲る、欲を少なくするという自制心をもつ、これが大人の目だと、内山さんは言っています。

 だから、少欲というのは欲を少なくするというだけではなく、少なくした分(食べ物でもお金でも)を他人のために使うという姿勢を含んでいるのですね。



 と、そこまで読んだところで、今日は筍掘りに出かけました。桂坂中央のロータリーを下ったところにある竹林で、大きな筍を4本掘ってきました。

 わが家でこれだけ全部を食べられるわけもなく、「八大人覚」で、少欲を教えられたばかりだったので、当然のことながらご近所におすそ分けしました。

 少欲、少欲…南無阿弥陀仏






いちばん大きいのは6.6kgありました