2013年4月21日日曜日

鯉のぼり しなのたかしの 夢に泳げ

 交野にあるキャンプセンターわきの川の上を、薫風に吹かれてたくさんの鯉のぼりが泳いでいました。

 今日の表題は、小児科医で聖路加国際病院副院長の細谷亮太先生が作られた句です。
 この句の頭には、次のような前書きがあります。
 「目がみえず耳もきこえず 寝たきりの君に」
 しなのたかし君は人工呼吸器をつけて、家族と一緒に暮らしていて、ときどき病院にお泊まりにくる。たかし君の夢には絶対こいのぼりに出て欲しい。それが自分の切なる願いなのだ、と細谷先生は解説をそえておられます。
細谷亮太・伊勢真一『大丈夫。—小児科医・細谷亮太のコトバ—』(いせフィルム編集・発行)より


聖路加国際病院

 細谷先生は、小児がんの子供たちの治療にたずさわると同時に、子どもたちとのキャンプ活動にも取り組まれています。仕事のかたわら、俳句も作られますが、先生の句のほとんどは闘病中や死んでいった子どもたちとの関わりの中から生まれています。
 細谷先生は「手間がかかるわりに医療費が安くて採算がとれない」という理由で小児科が縮小されようとしたとき、当時の院長の日野原重明先生に対して、次のように言われました、
 「小さい子がいのちを失うのはいちばんかわいそうなことだと思います。この子たちのいのちを救うために、小児科を縮小することなどないようにしてください」
 すると、日野原先生はこう言われたそうです、
 「年寄りが死ぬのだってかわいそうだよ」と。
細谷亮太『今、伝えたい「いのちの言葉」』(佼成出版社)より

 内科医と小児科医の見解の相違ですね。
 麻酔科医は、新生児(最近では胎児を相手にすることもあります)から90歳を超えた高齢者まで、幅広い年齢層の患者を対象としています。
 麻酔科医が患者に相対するときには、それぞれの年齢に応じた対応が求められます。(といっても、全身麻酔の場合には、術前と、手術室に入室して入眠するまでの、意識があるほんの少しの間のコミュニケーションがほとんどですが)時として、小児科医のように子どもに語りかけることも必要になります。

 麻酔科医にとって、成人の麻酔をするときと比較すると小児(それも幼ければ幼いほど)の麻酔を担当するときの方が、ずっとストレスが大きく、気をつかいます。それは、おそらく、麻酔や手術でもし万が一のことがあって障害を残したりすれば、その子は一生その障害をもって生きなければならない、という重さからくるのでしょうか?

 私は、医学部を出て最初の二年間を小児科で研修しました。その中で、小学校5年生の男子が、学校や家で座っているときにふいっと後ろに倒れることがあるという主訴で入院してきたことがありました。倒れた後はすぐに起き上がってケロッとしています。確かに、ベッドに座って問診中にもふっと仰向けになって、すぐまた起き上がったりしていました。
 血液検査も髄液の一般検査も脳波も異常なく、最終的にヒステリーという診断をつけようとしていた矢先、髄液検査で外注検査に出していた麻疹の抗体価の結果が返ってきました。その値は異常高値を示していました。確定診断は、SSPE(亜急性硬化性全脳炎)でした。24時間の脳波を記録したりしていて、結局診断に要した入院期間は一ヶ月に及びました。
 いったん退院し、数ヶ月後に彼が再入院してきたときには、症状が進み、すでにコミュニケーションが取れなくなっていました。SSPEは進行性の病で、やがて筋緊張が亢進して手足はつっぱり、意識もなくなり、寝たきりとなって数年で亡くなっていきます。彼の場合は、ご家族のケアが行き届いていたこともあり、成人を迎えて亡くなられたようです。

 今でも、彼のあの元気な時期の一ヶ月を入院に費やしてしまったことを後悔することがあります。元気な時期に友だちと遊び、学校で勉強し、みんなで給食を食べ、家族と語り合えたはずの一ヶ月を、診断のためとはいえ、私たちは、彼を病院に拘束してしまったのですから。

 細谷亮太先生の句を見ていて、担当医として彼と過ごした一ヶ月間のことを思い出しました。
細谷亮太・伊勢真一 前著より