2013年4月13日土曜日

ラフマニノフを聞いて考えたこと

 今日は、洛星交響楽団のチャリティコンサートを聴きに行きました。

洛星交響楽団
洛星のヴィアトール講堂で、西尾望さんの指揮で演奏されました。プログラムは、ショスタコーヴィチの祝典序曲、チャイコフスキーのスラヴ行進曲、そしてラフマニノフの交響曲第二番と、ロシアの作曲家の作品ばかりでした。(アンコール曲もチャイコフスキーのくるみ割り人形から花のワルツが演奏されました)

桜の季節に走る、嵐電の桜電車


 演奏会に嵐電で向かう途中、山岸淳子の『ドラッカーとオーケストラの組織論』(PHP新書)という本を読んでいました。山岸さんは、ドラッカーは現代の組織のあるべき理想像として、オーケストラを考えていたようだと言っています。

嵐電の鳴滝駅から宇多野駅に向かう線路の両脇は
桜が多く、桜トンネルと呼ばれています。
あいにく、花は盛りを過ぎていました。





 オーケストラは、一人ひとりがきわめて高い専門性をもった演奏家が集まっています。そうした専門性をもった集団が、ひとつの楽曲を演奏するという共通の目的をもって演奏しています。
 その集団をまとめるために指揮者がいますが、彼だけは何の楽器も演奏していません。ただ、厳しい規律の下にオーケストラのメンバーがもつ能力を最大限に引き出す役割を果たしているのです。
 そして、オーケストラが演奏をするのは、収益を得るためではありません。聴衆を感動させるために彼らは演奏しています。そのことがオーケストラの成果なのです。(今日の洛星のチャリティコンサートなどは、決して学生たちが利益を得ようとして演奏したのではありませんね)

洛星中高等学校の前には、
しだれ桜がまだ花を残していました。

 病院という組織も、オーケストラに似たところがあります。
 病院の職員というのは、医師や看護師、検査技師、臨床工学士、放射線技師、理学療法士等々、何らかの専門性をそなえた人びとの集団です。
 最近は、病院の経営指標がいろいろ開示されていますが、病院のそもそもの目的は収益ではありません。病院の職員が出すべき成果は、的確な診断・治療であったり、ケアであったりですが、結局それらを通して、患者やその家族を安心させることではないでしょうか?

 病院の職員が、それぞれの持ち場で仕事を進める際に欠かせないのが、オーケストラにおける楽譜のような存在ですね。日々、忙しさに流されて、自分たちがめざす方向を見失ってしまうと、いわゆる燃え尽き症候群に陥ってしまうかもしれませんから。
 病院の場合、楽譜にあたるものは、ミッションでしょうか?

 ドラッカーは『非営利組織の経営』の冒頭で、非営利組織の目的を次のように述べています。

 「非営利の機関は、人と社会の変革を目的としており、固有の使命のために存在する」
 「非営利組織とは一人ひとりの人と社会を変える存在である。したがって考えるべきは、いかなるミッションが有効であっていかなるミッションが無効であるかである。そしてミッションは何かである」

 さて、京都市立病院の職員が共有しているミッションは何でしょうね?

季節は、モクレンからフジの花へと
バトンタッチされようとしています