有吉佐和子『華岡青洲の妻』 |
チョウセンアサガオの花 |
青洲が用いた麻酔薬は「通仙散」と呼ばれていました。成分は、いまだ明らかにはされていません。恐らく、「秘伝のタレ」のように口伝で医家に伝えられてきたものと思われます。
主成分は、チョウセンアサガオの実。これは別名曼陀羅華(まんだらげ)とも呼ばれていています。
有吉佐和子さんは、小説の中で、このチョウセンアサガオについて、「えらい毒の強いものやから間違うても口に入れたらいかんと注意されてますのやして。笑いが止らずに狂い死しますのやとし。気違い茄子とはうまいことつけた名アかしれませんのし。葉を乾かして煙草に混ぜると、喘息によう効きますのやとし。汁を傷口に塗ったりして、痛み止めにも使うてなさるようなやけれども」と、青洲の母、於継(おつぎ)に語らせています。(華岡青洲は今の和歌山、紀州の医師なので、紀州弁で語られています)
日本麻酔科学会のロゴマーク |
この「通仙散」による全身麻酔では、導入時間は夏1時間、冬1時間半、麻酔持続時間は2〜3時間とされ、手術時には四肢の動揺を抑える助手を二、三人必要とし、覚醒するまでには、日単位の時間を要したようですから、やはり今の手術場では使えませんね。
有吉佐和子さんは、小説の中で「麻酔」という言葉を、その当時も現在と同じように使われていたかのように登場人物に語らせていましたが、青洲自身は「麻酔」という言葉を一度も使っていなかったようです。
松木明知先生によれば、青洲は麻酔の状態を次のように記していたそうです。
「冬十月有三日、朝我麻沸散を服す。小頃(しょうけい=しばらく)正気恍抗乎人事を識らず。終身麻痺して痒を覚えず。」
松木先生の考察によれば、「麻酔」という言葉は1850年に杉田成卿によって造語されたもので、中国でも、麻酔が普及されたと考えられる時代にも諸種の文献に「麻酔」の語は見いだされない、ということです。
ですから、有吉さんの小説の中の「麻酔」という言葉の使用は、あくまで「麻酔」という言葉になじんだ現代の読者への配慮、ということになりそうです。