2013年8月13日火曜日

麻酔とユーモア 2

 一昨日の日記で、「麻酔とユーモア」を書くのに、パッチ・アダムスの映画の紹介から始めたところ、ほとんど映画の紹介で終わってしまいました。

 実は、あの映画の話題を導入部にして、「麻酔とユーモア」について書くつもりでいました。

 以前にも触れたことがあったのですが、『ユーモア麻酔学』(総合医学社)という本があります。ユニークな本だったのですが、原書を含めて今は絶版になっているようです。原題は、'ANESTHESIA for the UNINTERESTED'とあるので、麻酔になんか興味ないモンという学生に向けた入門書だと思われます。

 この本に出てくる写真を眺めていると、ユーモアと悪ふざけは紙一重のように思えてきます。パッチ・アダムスも、何のために人を笑わせるのか、という目的がしっかりしていないと、人を笑わせることが悪ふざけととられる場合も出てくる、と述べていました。



手術室は危険がいっぱい(『ユーモア麻酔学』より)




 エラーを起こしやすい心理条件として、緊張の度合いが減ってくるとエラーが増えてくるのは、想像できます。しかし、緊張の度合いが増して、極限に達すると、実はかえってエラーが増えると言われています。すなわち、適度な緊張感をもって仕事をするときが一番エラーが少ないのだそうです。
 ユーモアと悪ふざけの関係も似ているかもしれませんね。適度なところで留めないと、悪ふざけと取られてしまいかねませんから。
 このユーモアでむずかしいのは、ユーモアを言う相手(受け手)があることでしょう。受け手の心理状態、年齢、性別、文化的背景などによって、同じユーモアでも通じない場合があるからです。

この写真で「いけないところ」を探してください!
ずいぶん沢山ありますよ。(同著より)


 先日も、麻酔の術前外来で、同意書にサインをしてもらうときに、患者さんが緊張しすぎていて、ご自身の住所を間違って書いて、途中で気づかれたことがありました。ぼくは、さりげなく「あ、いいですよ。キンチョーの夏ですからね」と言ったのですが、ほんとに緊張していた患者さんには、この「冗談」が通じませんでした。(同席されていたご主人には通じたようですが)その後、ちょっと解説して、やっと「親父ギャグ」だったと気づかれて、そこで初めて笑いが生まれました。
 同意書へのサインというのは、同意する本人の意志こそがいちばん大事なのであって、字が汚いとか、書き順が違う、といったことは実はささいなことなのです。こんなとき、決して患者さんを追いこむような発言をしてはなりません。そんなことをすれば、ますます患者さんを萎縮させて、精神的に追いこんでしまうことになってしまうでしょう。

 同様に、たとえ全身麻酔であっても、患者さんが眠るまでは、ぼくはけっこう患者さんと会話をします。中には、手術室に入ったら口をきいてはいけないのだ、と思い込まれているような患者さんもいらっしゃって、緊張されている場合があるからです。
 こんなときには、適度なユーモアが有効となるようです。しかし、度をこさないように。その「度」の見極め方は、自分の意識が常に患者さんに向けられているかどうかにかかっているようです。ただ、ダラダラと面白おかしくしゃべっているだけでは、ただの悪ふざけにしかならないでしょう。
面白度を横軸に気くばりを縦軸に曲線を描くと
ユーモアと悪ふざけは、こんな関係かな?


今日の逸品

 桂駅東口にある、「大漁」という居酒屋の北海スペシャルです。寿司飯の上に、サーモン、大葉、ウニ、イクラ、キャビアがのった贅沢な寿司です。