2013年8月24日土曜日

夢の裏側

 子供のころ、ウルトラマンは少年たちのヒーローでした。

 バルタン星人が登場したウルトラマン(第16話)が放映された翌る週のこと。級友の山田くんが、こんな疑問を口にしました。
 「バルタン星人って、中に人が入ってるんやろ。そやのに、ウルトラマンの攻撃(ウルトラスラッシュ)で体が真っ二つにされたとき、中の人はどうなってんねんやろなぁ?」
 山田くんは、バルタン星人は実在の宇宙怪獣ではなく、中に人が入った着ぐるみであることは見抜いていたのですが、真っ二つにされるときは、あらかじめ二つに割れた人形を使って、ピアノ線か何かを使った「特撮」で真っ二つにされたように撮影されたのだということを見破れなかったのでした。
山田くんが不思議がった問題の場面
ウルトラスラッシュ(右図)でバルタン星人が真っ二つに(左図)
中に入っている人は大丈夫なのか!?

 現代のコンピューターグラフィックを用いた視覚効果に比べると、当時の「特撮」は子どもだましのように見えるかもしれません。でも、当時の少年たちは毎回のウルトラマンについて、熱く語り合っていたものでした。

2011年には、『ウルトラQ』の全作品が、
デジタル技術で総天然色版にされて再発売されました


 テレビ番組にウルトラマンを登場させたのは、『ゴジラ』や『モスラ』で特撮映画を確立した、円谷英二監督でした。円谷監督のテレビ第一弾は、『ウルトラQ』(1966年)でした。当時はモノクロ映像でした。
 円谷英二監督は、『ウルトラQ』から『ウルトラマン』にかけて関わりをもっていましたが、作品を仕上げる姿勢は厳しく、予算を度外視して、自分が納得いくまで撮り直しをしていたそうです。












 この初代ウルトラマンに入っていた俳優は、古谷敏でした。古谷さんは、けっこう二枚目の俳優ですが、ウルトラマンでは、素顔を見せることなく、ヒーローとして、子どもたちに夢を与え続けてくれました。
古谷敏さんは、『ウルトラQ』(第19話)の
ケムール人の演技を買われて、ウルトラマンの俳優に
抜擢されたそうです


 その「ウルトラマン」が本音を語ったのが『ウルトラマンになった男』(小学館)でした。素顔を出せない俳優の屈折した心や着ぐるみ俳優への現場の配慮のなさなど、本音が語られています。
 少年たちに夢を与えてくれたヒーローは着ぐるみの中で汗を流し、内張りのウレタンを汗でぐっしょりに濡らしていたのでした。













中島さんは、ウルトラマンシリーズでは
ネロンガに扮して、古谷さんと闘いました


 円谷英二監督の出世作となった『ゴジラ』の着ぐるみに最初に入ったのは、中島春雄でした。中島さんは、過去に誰も演技したことがない巨大怪獣の演技を工夫するために、上野動物園に通って、アジアゾウの足の動きを観察し、クマに何度もコッペパンを投げて、その上半身の動きを研究していたそうです。その他にも、ハゲタカの首の動き方、カンガルーの前足の使い方、ゴリラの歩き方などを閉園まで見ていたそうです。(『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』[洋泉社]
 夢の裏側には、こんな苦労もあったのですね。





 

夢の裏側はドロドロとしていた


 『ゴジラ』や『ウルトラマン』を生み出したのは、間違いなく円谷一族なのですが、円谷英二監督が1970年に亡くなって以降、円谷プロダクションは迷走し始めます。そして、ついには、円谷プロダクションから円谷一族は排斥されてしまいました。その経緯を赤裸々に記したのが、円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』[講談社現代新書]です。

 円谷英二監督自身が芸術家肌で、妥協を許さない性格であったことから、制作費はいつも超過し、赤字を累積していました。著作権やキャラクターの商品化に伴う権利の管理もずさんでした。円谷プロダクションは、あたかも「経営を知らない職人集団」といった感がありました。






 かつては、若かりし頃のスティーブン・スピルバーグが、円谷プロの撮影現場を訪れたこともあったそうです。スターウォーズを制作したジョージ・ルーカスが創ったILM(インダストリアル・ライト&マジック)は、円谷プロダクションを模していたそうです。

 ウルトラマンのスーツに身を包んだ古谷敏さんに対して、円谷英二監督は優しく声をかけたそうです。
 「ウルトラマン、どうだ、苦しいか、息はちゃんとできているかい、暑いかい?外、見えるようになったかな?」
 そして、現場の喧噪の中で、監督はさらに続けました。
 「大変だけどね……夢だよ、夢を、こ……」
 監督の声が小さかったのと周りが騒がしいことと、仮面をつけていると外の音が聞きとりにくい、そんな状況だったので、後は聞きとれなかったそうです。(『ウルトラマンになった男』より)

 その円谷英二監督が世界に与えようとした「夢」は、テレビ局や玩具会社、それに円谷一族自身の私利私欲と利権の狭間で色あせてしまったようです。
初代バルタン星人
故・成田亨氏のデザイン