2013年8月11日日曜日

麻酔とユーモア

 トム・シャドヤック監督、ロビン・ウィリアムズ主演の映画『パッチ・アダムス』(1998年作品)をDVDで観ました。

 ご存じの方も多いと思いますが、パッチ・アダムスは実在の人物です。神経を病んで、精神科の病院に自ら入院するところから映画が始まります。そこで出会った医師は、アダムスの顔をほとんど見ることなく問診し、権威を振りかざして患者をコントロールしようとしています。この病院で、アダムスは、妄想に苦しんでいる同室の患者を助けたことで、自分のやりたいことを見つけました。それは「人を助けて人の役に立つこと」でした。そして、彼が選んだのは、医者になることでした。
 映画は、彼がバージニア医科大学で過ごした学生時代を描いていきます。ほとんど勉強している様子がないのに、成績は常にトップクラス。病棟で患者に接するのは3年次以降と決められているのに、1年次から病棟に出入りし、患者と接して、患者を笑わせて、患者の心を癒す行動を繰り広げます。そして、次第に患者や看護婦たちから信頼される存在となっていきます。

 命令に従わず、勝手な行動をとるアダムスを目の上のたんこぶのように思っていた医学部長は、彼を放校処分にしようとします。そしてついに、彼が医学部を卒業することを認めるかどうかを州の医師会の審査会で、決定することになりました。
 息詰まるような審議の末、病院の看護婦や後輩の医学生、それに彼が癒した患者たちが見守る中で、彼の医学部卒業が認められることになります。

 映画の中で、まだ学生のパッチ・アダムスは、山の中の小屋を改造して診療所を作り、仲間の学生とともに普通の病院で受け入れてもらえないような人々を無料で診療するというユートピアを運営する場面が出てきます。卒業後の彼は、実際、バージニアの一診療所で、無料の診療活動を展開していました。

 映画の中のボーナストラックの中で、実際のパッチ・アダムスが、こう語っていました。
 「自分の病院で働く者に要求しているのは、次の五つのことだ。すなわち、幸福であること、楽しんでいること、愛の気持ちを忘れないこと、協力的であること、そして創造的であること
 
 笑いあるいはユーモアが病気の回復に好影響を与え、しばしば治癒に導くことは、たとえば、ジャーナリストのノーマン・カズンズが自ら患った難治性の膠原病を克服した経験を語った『笑いと治癒力』(岩波現代文庫)で知ることができます。
 ノーマン・カズンズの場合は、患者自らの努力として生活に常に笑いを取り入れ、疾患に対する免疫力を強化した結果であったと言えます。パッチ・アダムスの場合は、医師の立場から、患者が本来持っている免疫力あるいは「活力」といったような潜在的な力を引き出していきました。
 








 いくら、笑いが病気を癒す力を持っているからと言っても、吉本の芸人が医者にとって代われるわけではありません。しかし、患者の病気を治したいと心底願っている医師ならば、その治療手段として、笑いを取り入れたっていいのではないでしょうか?楽器を演奏できる医者なら患者の前で演奏して心を癒してあげればいいのです。絵が描ける医者だったら、白血病と闘っている子供のために絵や漫画を描いてあげればいいのです。何も芸がなくても、物語や絵本を読んであげるだけでよいのです。あるいは、じっと患者の話に耳を傾けるだけでも…。

 教科書にある治療法にしたがって、薬を処方するだけが医者の仕事ではないでしょう。ノーマン・カズンズの先の本の中で、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部のジェローム・D
・フランク博士のことばが紹介されていました。
 「どんな病気の治療でも、それが人間の精神まで手当するのでなければ、はなはだ不完全である」
 フランク博士は、1974年にイギリスで行われた調査を引用しました。それによれば、ICUで治療を受けた心臓病患者の生存率は、自宅で治療を受けた心臓病患者の生存率以上ではなかったといいます。
 また、フランク博士は、外科手術も、放射線照射も、化学療法も受けなかったのに症状が軽くなった176件の症例を検討した結果、「病状軽快の大きな原因のひとつは、患者たちが自分は回復している、そして主治医もそう考えていると固く信じて疑わなかった点にあるのではないか」という疑問が湧いてきたとも述べています。

 徹底した、最新の、濃厚な治療を、ある患者に施すことが、果たして、その患者にとっての最良の医療であるのかどうかを、つねに問い直してみる姿勢を忘れないようにしたいものです。
夕方、西の空に見えた三日月(月齢4.6)
この月齢の月は、空で見える時間が限られていますね