2013年9月4日水曜日

患者から与えられているものに感謝できているか?

 私たち医師は、日ごろ、患者から与えられているものを意識しているでしょうか?

 長く、苦しい受験戦争を勝ちぬいて医学部に入り、そこで沢山の知識を得て、卒後は臨床現場に出て診察技術を身につけ、一人前の医者になって、病気をかかえた患者を診てやっているのだ、と思っている医師が多いのではないでしょうか?患者がいろいろ訴えても、「何も知らない素人が好き勝手なことを言って…」と、自分の考えの方がすぐれているのだからツベコベ言うんじゃあない、と心の底では思っていないでしょうか?

 『小児内科』45巻8号の巻頭言に、児童精神科医の佐々木正美先生の、次のような話が載っていました。

 「生涯の健康で幸福なライフサイクルを追求した、精神分析家のエリク・エリクソンは、真にすぐれた人間関係においては、それがだれとだれの関係であっても、互いに与え合っているものについて、双方で等しい価値を実感や認識し合っていると説いた。」
 
佐々木正美先生の『子供へのまなざし』(福音館書店)は、
小さなお子さんをもつお母さんと
将来小児科医をめざす先生方の必読書です
そして、「母親が幼いわが子と一緒にいることに幸福を感じていれば、幼子も母親のそばで幸福でいられる。また、生徒に真に教えることができる教師は、生徒から学ぶことができている。さらに発展して、患者から与えられているものに感謝のできる臨床者が、患者から感謝されるような治療ができるものである。このことは日常的に、夫婦や親友との関係を考えてみるとよく理解や実感できる。」と佐々木正美先生はエリクソンの説を紹介しています。

 医学は経験の学問です。ある疾患だけが宙に浮いていることなどあり得ません。それは、一個の患者とともにあるものです。私たち医師は、その疾患を与えてくれた患者によって経験を積み、成長していくわけですから、私たち医師は、医師としての経験を増やしてくれた患者に、本来感謝しなければならないのではないでしょうか?






 ウィリアム・オスラーは、ジョンズ・ホプキンズ大学医学部の学生に対して「病棟では患者をよく観察し、患者から情報を得、患者の心に通じる術を学ばせよう」としたそうです。さらに彼は、「患者を学習材料として扱うのではなく、生きた人間として扱うことの重要性を説き、医の倫理や患者への良きマナーを身につけることを身をもって示した」そうです。(『平静の心 オスラー博士講演集』[医学書院]より)
『平静の心』(医学書院)は、オスラー博士の
講演録ですが、これは忘れかけた医師の
良心を思い出させてくれる名著です。

 テレビのニュース・キャスターをしていた佐々木かをりさんは、人は「ギバー(Giver)」、つまり与えている人と「テイカー(Taker)」、つまり奪っている人に分かれると言っています。
 周りのために、積極的に行動を起こしている人だったり、考えを提供する人、建設的な発言をする人、笑顔を振りまく人、など人生でも社会でも、まわりに「プラスの影響を与えている人」を「ギバー(Giver)」と呼びます。
 逆に、その場を吸い込んでしまうような、ブラックホールのような人、たとえば、無表情で意志がわからない人、前に進むことに抵抗して、全力で足踏みをしてしまっているような人、前に進んでいる人の悪いところを探して、批判や非難をする人、周りの人の足を引っ張る人など、まるで燃え上がっている炎を一瞬のうちに消してしまう消火器みたいな人を「テイカー(Taker)」と呼ぶのだそうです。(佐々木かをり『Bive & Givenの発想 自分が動く、世界が変わる』[ジャストシステム]より)



 珍しい疾患をもった患者に出会うと、私たち医師は、とかく患者個人を忘れて、学会発表だ、データ収集だ、と患者から「奪って(Take)」ばかりという態度に陥りがちですが、これではよい患者対医師の関係を保てそうにありませんね。こんなときでも、「奪う」のではなく、「与えられている(Given)」という姿勢を忘れてはなりません。
 「テイカー(Taker)」の態度は、相手から見れば、「奪われた(Taken)」と感じるだけですから、よい人間関係が築けるはずがありません。
 問題は、私たち医師が、患者に何を「与えている(Give)」か、を常に意識することではないでしょうか?それは、飲み薬や点滴や、麻酔や外科手術などではなく、案外もっと単純なことかもしれませんね……。そう、たとえば、患者のベッドサイドに行って、「おはようございます。具合はいかがですか?」と優しく笑顔で言葉をかける、みたいなことかも。

 久しぶりに佐々木正美先生の言葉に触れて、そんなことをとりとめもなく考えました。