そのとき思いついたのは、「すみやか」「しなやか」「なごやか」の三語でした。当時、病院の広報誌に載せた文章を見てみると、次のように書かれていました。
外来や検査で待たされず、患者さまの訴えに「すみやか」に対応できること、さらに患者さまの訴えにはマニュアル的、官僚的でない「しなやか」で柔軟な対応ができること、そして、職員が「なごやか」に働けること。
実は昔から、できるだけ何事にも拘泥しない生き方をしよう、と心がけています。「拘泥」という漢語は、確か漱石の小説で覚えた言葉だったと思います。要は、こだわらないという意味です。それを若いころは、ちょっと背伸びして表現していただけですね。その後、「拘泥」よりは「しなやかに」という優しい響きの方を気に入るようになりました。
当時のLP『ザ・ケルン・コンサート』の帯には、 「キースが当分ソロ活動をやめるという。」 と、確かに書かれている。 |
キース・ジャレットというジャズ・ピアニストがいます。1972年から、欧米各地でライブのソロ・コンサートを始めました。そして、1975年のケルンでのコンサートを終えたとき、彼は、今後はもうソロ・コンサートをやらない、と宣言していました。しかし、実際には、舌の根の乾かぬ、その翌年の1976年に、日本を縦断しながら、ソロ・コンサート・ツアーを行いました。これは、『サンベア・コンサート』と銘打たれて、前代未聞の10枚組LPとして発売されました。
サンベア・コンサートが発売されたとき、「何〜だ、ケルン・コンサートがラストじゃなかったのか」と思ったものでしたが、どこかのインタビューで、キースはこう答えていました、
「あのときは、ほんとにもうこれを最後にしようと思っていたのさ」と。
ジャズでは、ひとつのテーマを発展させるインプロヴィゼーションが主体ですが、キースの場合は、美しい旋律が現れることはあっても、それをテーマに音楽を広げるという発想はありません。自らの発言に対してさえこだわらない「しなやかさ」が、延々とソロ・コンサートをくり返しても、毎回異なる音楽を生みだす原動力となっているのでしょうか?
キース自身が語った英文と 訳文の両方が載っています。 |
キースは「ほとんどいつも、ぼくは自分の曲をなりゆきにまかせる。そして、曲はぼくが本当にコントロールしきれない何かになるんだ」と言っています。(ティモシー・ヒル編『インナー・ビューズその内なる音楽世界を語る キース・ジャレット』[太田出版])
もはや、曲そのものにもこだわっていないかのような発言ですね。
キース・ジャレットよりも過激なのは、成毛眞さんです。成毛さんは、日本マイクロソフトの元社長ですが、『本は10冊同時に読め!本を読まない人はサルである』『このムダな努力をやめなさい「偽善者」になるな、「偽悪者」になれ』[いずれも三笠書房]などの過激な題の本を書かれています。
「頑張らない」「我慢しない」「根性を持たない」というのが、成毛さんの三原則。
いつもながら過激な題で 目をひきますね。 |
『このムダな努力をやめなさい』を読むと、「ムダな努力」と縁を切るためには「ものごとに執着しない」「あっさり妥協する」という項目が挙げられています。これも「しなやか」な態度でいなさいということと同じですね。
さらに、ビジネスにおいては「朝令暮改」を歓迎すべきだと主張しています。現役時代、朝の会議で承認した企画を、夕方には平気で撤回するといったことは、ザラにあったと言います。
「そもそも、どんな決断にも”絶対”はなくて、熟考した結果、実行に移してもうまくいかないことはいくらでもある。どの段階で決断を下しても、成功するときは成功するし、失敗するときは失敗する。だから、臨機応変に対処するのが重要なのであって、どの時点で決断するかはそれほど重要ではない」のだとか。
終始意見を変えるくらいなら、その場で判断せずに熟考してから答えを出すべきだ、という考え方もあるかもしれません。しかし、「熟考するとマイナス要素ばかりが目について、かえって決断力が鈍る」ようです。