医師の上田美智子(樋口可南子)は、都会の病院に勤務していて、仕事にのめり込みすぎた挙げ句、燃え尽き症候群のような症状に陥り、過換気発作やパニック障害を起こすようになって、仕事を続けられなくなってしまいました。
この映画で、91歳の北林谷栄さんは、 2003年日本アカデミー賞最優秀助演女優賞 を受賞されました。 |
そして、夫の孝夫(寺尾聰)とともに、夫の故郷である信州の山里に帰ります。孝夫は10年前に文学賞を受賞して以来、世に問う作品を書くことができなくなった、いわゆる「売れない作家」です。
この村は無医村でした。妻の美智子は、ゆっくりとしたペースで、その村の医師として働き始めます。
この山里には阿弥陀様をまつった阿弥陀堂があり、ここに96歳になる老婆おうめ(北林谷栄)が住んでいて、上田夫婦はしばしば、往診がてらおうめさんを訪ねていきます。このおうめさんが語った言葉を書き取って村の広報誌に掲載しているのが、病気で声が出せなくなった、若い小百合(小西真奈美)です。
年齢の離れた三人の女性が、孝夫の周りでそれぞれの人生を生きてゆく姿が、日本の美しい四季の中で描かれてゆきます。
上田夫婦が実家に戻ったとき、家の木戸に宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の詩が貼ってありました。孝夫の亡母が昔に書いたものでした。映画の冒頭、孝夫の朗読で、その詩が読まれる場面があります。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシズカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱(かや)ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
この詩の中で、最も重要なキーワードは「行ッテ」だと、東京工業大学世界文明センター長で作家でもあるロジャー・パルバース氏は指摘しています。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、 賢治の手帳に書きつけられていて、 生前には発表されませんでした。 |
「賢治が大切にしたことは、他人の悲しみや苦しみを十把一絡(じっぱひとから)げにするのではなく、その一人ひとりと向き合って、その人の悲しみを聞きなさいということです。そしてそれを、自分の責任として感じ、その人のために何かをする。そういう小さな善意を、ほんとうに大事にした人だったと思うのです。」(NHKテレビテキスト 100分de名著『銀河鉄道の夜』宮沢賢治[2011年12月]より)
医者や看護師の仕事においても、この宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の精神が大事なんじゃないかなぁ、と思うことがあります。
確かに、公衆衛生学などは集団を相手にしていますが、ほとんどの診療科では、一人ひとりの患者に相対しています。病院の場合には、向こうから患者が助けを求めてやって来るので、「行ッテ」という主体性が希薄になってしまうからなのか、ついつい受け身の姿勢になってしまい、「忙しさ」や「わずらわしさ」だけが前面に出てきてしまっているような気がします。
でも、忙しいときにも「決シテ瞋(いか)ラズ イツモシズカニワラッテ」いられるようになりたいものだなぁと思います。
向こうから患者がやって来る立場にいると、患者の訴えもろくろく聞かずに、ついつい「オレが診てやる。治してやってるんだ」という気持ちに傾きがちですが、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレ」ぬようになりたいものだなぁと思います。
病院に何日も泊まり込んで治療を続けても、自分が期待していた以上に、患者からは感謝されないかもしれません。また、上司は、そんな態度を評価してくれないかもしれません。でも、そんなときでも「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」ものだなぁと思っています。
『阿弥陀堂だより』の中に、孝夫の恩師である幸田重長(田村高廣)という人物が登場します。幸田は末期の胃癌を患っていましたが、手術を含め、あらゆる治療を拒み、病院には行かず、自宅で療養を続けています。彼の自宅の壁には、次のような自筆の書が飾られていました。
自治三訣
人のおせわに
ならぬよう
人の御世話を
するように
そしてむくいを
もとめぬよう
この言葉にも、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の精神に通ずるものがありますね。