秋分の日の日の出 |
秋分の日の日没後の一番星、金星(中央からやや左下) |
朝から、第13回バスまつりに行ってきました。会場は、大阪南港にあるインテックス大阪。バスの展示が屋内で、各社のグッズ販売ブースと同じ空間だったので、人がごった返して大変でした。
ところで、ビートルズの《サージェント・ペバーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(1967年)》というアルバムに、〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉という曲がありますが、この中に、バスが登場します。
ザ・ビートルズ 《サージェント・ペパーズ・ロンリー・ ハーツ・クラブ・バンド》 |
Dragged a comb across my head
Found my way downstairs and drank a cup,
And looking up I noticed I was late.
Found my coat and grabbed my hat
Made the bus in seconds flat
Found my way upstairs and had a smoke,
Somebody spoke and I went into a dream
(今、こうして書き写してみて、けっこう韻を踏んでいる歌詞だったんだと気づきました。)
これが発表された当時は、麻薬を連想させる歌詞があるということで、BBCでは放送禁止になったとか。曰くつきの曲ですが、ここに出てくるバスは、ロンドンの二階建てバス。だから、上に上って煙草を吸うのですね。
ザ・ビートルズ《リボルバー》 |
このアルバムのアシスタント・エンジニアは、ジェフ・エメリックという人でした。彼は、《リボルバー(1966年)》というアルバムからビートルズとともに仕事をしていました。《リボルバー》を最初に聞いたとき、ポール・マッカートニーのベースの音が、それ以前のアルバムと比べて変わったなと感じました。こもらず、前に飛び出したような感じのベースの音は、ジェフ・エメリックによって実現されたのでした。
このアルバムでは、ジェフは、ビートルズの要望に応じて、その他にもさまざまな音の冒険をしています。トランペットのラッパの中に直接マイクをつっこんで、その音に思い切りリミッターをかけて録音したり〈ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ〉、クラシックの演奏家との共演では、弦楽器から1〜2cmの所にマイクロフォンを置いて録音したり〈エリナー・リグビー〉、フレンチホルン奏者に、むずかしい高音のソロを要求したり〈フォー・ノー・ワン〉等々…。
こうした経験を踏まえて作られたトータル・アルバムが、《サージェント・ペパー》でした。その中の〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉は、アルバムのラストにおさめられていますが、アルバムの中の曲では、いちばん最初に録音されました。
もともとは、ジョン・レノンがギターで弾き語ったものに、その後ダビングを重ねて重厚な曲となっていったようです。当初は、上の歌詞が入る24小節は空白でした。歌詞は後になって作られました。ポールが、この’Woke up, fell out of bed,’の歌詞を歌い出す直前に目覚まし時計の音が入っていますが、歌詞の内容からして、これは意図的に入れたものだとぼくはずっと思っていました。ところが、ジェフ・エメリックによれば、この目覚まし時計は、オーバーダブで出番となったときにリンゴ・スターを起こすのに便利だろうと、ジョン・レノンが冗談半分でもってきたものでした。これをマル・エヴァンスが中間の24小節をカウントするときに、いたずらっ気を起こして、その冒頭に鳴らしてしまったのだそうです。さらに、かれは24小節のカウントをしていたのですが、声がだんだん大きくなってきてしまったために、最終的なミックスにも声の一部が生き残ってしまったのだそうです。
ジェフ・エメリック 『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』 |
ロック史上に残る《サージェント・ペパー》のアルバムが制作される過程、とりわけいちばん最初に録音された〈ア・デイ・イン・ザ・ライフ〉ができあがる過程で、かくも沢山の偶然の産物があったとは思いもよりませんでした。
思いがけないハプニングをも取りこんで音楽を創り上げてしまうビートルズの「しなやかさ」は素晴らしいと思います。しかし、偶然の音を音楽として残せるかどうかについては、ジェフ・エメリックのような優秀なエンジニアが必要だったに違いありません。ジェフがいなかったら、単なるおふざけに終わってしまったかもしれませんから。