また、同じ漢字でも苗字の読み方が微妙に違うことがあるので、気をつけねばならないこともしばしばです。小谷は「おだに」か「こたに」か、山崎は「やまざき」か「やまさき」か…。
「平林(ひらばやし)」という落語があります。
ある日、定吉は、主人から「急ぎの手紙を平林(ひらばやし)さんまで届けてくれ」と言われて出かけます。ところがこの定吉、物覚えが悪い上に字が読めませんので、「ひらばやし、ひらばやし…」と声に出して、届け先の名前を忘れまいとしていました。と、石につまづいたとたん…読み方を忘れてしまいました。困った定吉は、道行く人に手紙を見せて、「平林」の読み方をたずねてゆきます。
最初の人は「これは、たいらばやし、と読むのだ」と教えてくれます。どうも違うような気がするなぁ、と思った定吉は別の人にたずねます。すると「これは、ひらりんと読むのだ」と教えてくれます。また、次の人は、字を分解して「これはな、いち、はち、じゅうのもくもく、と読むのだ」と教えます。最後に聞いた老人は、「ひとつとやっつでとっ、き、き」……。
定吉は仕方なく、手紙を掲げながら「たいらばやしかひらりんか、いちはちじゅうのもくもく、ひとつとやっつでとっきっきっ」と教えてもらった名前を全部唱えながら道を歩いて行きます。
さげは、知り合いが定吉を見つけてたずねます。
「おい、定吉、いったいその手紙誰に届けるんだい?」
「へぇ、ひらばやしさんで」
前置きが長くなったようで、どうもいけません…。
ところで、相手の名前を正しく覚えて正しい名前で呼びかける、というのは大勢の患者さんを相手にしている臨床現場では、案外むずかしいものです。患者さんの名前ばかりではなく、同僚の名前も分からないときがあります。手術場という狭い職場でも、術中に「麻酔科の先生」と外科系ドクターから呼びかけられることが稀にありますが、こんなときは、ちょっと淋しい気持ちになってしまいます。
コーチングの世界には、「承認(アクノレッジメント)」という言葉があります。「相手のことを認める」という意味です。
コーチングをしていると、クライアントが日々成長して、行動に変化が現れてきます。こうしたクライアントに現れる日々の違いや変化、成長、成果に、コーチがいち早く気づき、伝えることで、クライアントには達成感とともに次に起こす行動を促進するエネルギーが備わるのだそうです。
この「承認」には次の三つの視点があるといいます。
(鈴木義幸監修『コーチングの基本』[日本実業出版社])
①存在承認:相手の存在に気づいていることを伝える
あいさつや、相手の状態を具体的事実として伝えます。
②成長承認:成長点を的確に伝える
相手の変化や成長に関わる事実を伝えます。
③成果承認:成果を伝える
成果を伝える「成果承認」は、「ほめる」ことともいえます。
こうした「承認」の原点にあるのが、「相手の名前を覚える」ということなのではないでしょうか?
アフリカには古代から「ウブントゥ」という哲学が伝わっているそうです。これは「人類はみな家族」という事実に根ざしています。人はみな兄弟であり、ともに旅をしているのだ。もし誰かが飢えていたら、みんなが栄養失調になる。誰かが虐げられていたら、みんなが痛みを感じる。ある子どもが傷ついたら、その涙はすべての人のものだ。たがいの人間性を認め合うことで、人は固い絆を思い出す。それは、切っても切れない人間性への深い関わりだ、という考え方です。(スティーヴン・C・ランディン&ボブ・ネルソン『職場をしあわせにする ウブントゥ 【アフリカの知恵がもたらす、信頼と感謝のチームワーキング】』[早川書房])
つまり、アフリカの人々は、自分の周りにいる人の存在を、理屈ぬきに「家族」「仲間」として承認しているのですね。家族や仲間の名前だったらまさか忘れるはずはないでしょう。
名前をもたない人は存在しません。名前をもった個人個人は、それぞれの人生をもっています。そして、その人生の中ではその人自身が主人公なのです。
確か、さだまさしも『主人公』という歌のラストで、そんなことを歌っていましたね。
あなたは教えてくれた
小さな物語でも
自分の人生の中では
誰もがみな主人公
主人公を名無しのゴンベで呼んでは失礼ですよね、やっぱり…。