避難訓練では、地震を想定していましたが、実際の揺れはありませんでした。先の東北大震災時の麻酔科医の体験記を読んでいると、横揺れが来たときは、自らも手術台にしがみつき、転がっていきそうになる麻酔器を押さえるのに必死だったという報告がありました。
点滴台や加温器などの器材、麻酔器などには、移動を助けるキャスターが付いています。麻酔器にはストッパーがついているのですが、ふだんは麻酔器を固定していませんから、横揺れがあれば、確かにゴロゴロと転がっていくでしょう。
ベアハッガー、点滴台 転がりますね… |
麻酔器のキャスター ブレーキをしないと転がりますね。 |
また、避難訓練では、停電になる設定をしましたが、現在のドレーゲルの麻酔器には、LEDのライトが付いているので、手元を照らすことができます。今回の避難訓練では、このライトが使われた形跡はありませんでした。
ちなみに、ドレーゲルの麻酔器の場合、停電になって電源の供給が途絶えても、しばらくは内蔵電池で麻酔器そのものは動きます。デスフルランの気化器も加温のための電源を必要としていますが、こちらも電源供給が途絶えてもしばらくは加温機能は働きます。
麻酔器パネルのLEDライトを暗闇で点灯したところ |
Fabius Tiroでは、麻酔器前面の 「ランプ」がパネル用ライトのスイッチ |
災害時というのは、過去の例をふり返ってみても、必ず「想定外」の出来事が起きるものです。大きな災害が発生するたびに、この「想定外」という文句を聞きます。
柳田邦男氏は、「想定外」とは何であるか?という問いに次のような結論を出しています。
「『想定外』とは、結局、それ以上のことはないことにしようとか、考えないことにしようという思考様式に、免罪符を与えるキーワードではないか。これが私の結論です。
つまり『想定外』という線引き行為は、安全性を補償するものではないし、むしろ安全性を阻害するものではないかと考えるわけです。」(柳田邦男『「想定外」の罠 大震災と原発』[文藝春秋]より)
なるほど。これなら、災害に対して万全の対策を講じていなくて、まさかの事態が起きても、「想定外でした…」と言い訳ができるわけですね。
先の東北大震災では、岩手県釜石市にある、海岸からわずか1キロ地点の鵜住居(うのすまい)小学校と釜石東中学校の生徒たち約570人が、子どもたちの自主判断で即座に避難行動を開始して、無事に津波の難から逃れました。
地震発生の瞬間、校舎には大きな被害がなかったため、小学生たちはとりあえず最上階の三階に集まりました。しかし、隣接する釜石東中の中学生たちはここでは危ないと判断して、校庭に飛び出しました。その様子を窓から見ていた小学生もつられていっせいに校外へ。中学生はその小学生たちの手を引いて、裏手500メートル後方の高台にある指定避難場所のグループホームに避難しました。しかし、そこでも危険だと判断した彼らは、さらに500メートル後方の介護福祉施設、果ては高台の国道45号線沿いの石材店まで退避しました。
そして、津波は小中学校を飲み込み、グループホームも飲み込み、介護福祉施設の100メートル手前で止まりました。
この地域では、明治、昭和と、何度か大きな津波を経験していますが、釜石市では教育委員会が普段から両校合同の訓練を行い、非常時にとるべき行動を子どもたちに徹底的にたたき込んでいたのだそうです。
また、小中学生には「避難三原則」を徹底していました。その内容は、
①想定にとらわれない
②状況下で最善を尽くす
③率先避難者になる
というものでした。(以上、齊藤孝『100分de名著 学問のすゝめ』[NHK出版]より)
彼らが、「指定避難場所を超える津波は来ないことにしよう」とか「そういう大きな津波は想定外だ」などと考えていたら、全員津波にのみ込まれてしまっていたことでしょう。
「想定外」を免罪符にするというのは、ズルいというよりは、もはや犯罪行為ですね。
ところで、今日は朝から暖房を入れてもなかなか暖まらないと思って外を見ると雪がうっすらと積もっていました。寒いはずです。
ニュースによれば、日本全国で雪が降り、近畿北部では大雪警報も出ていたようです。
今朝、家々の屋根や公園に雪が積もっていました。 |
西山も雪化粧でした。 |