「撮影所は建物じゃないんだ」と黒澤明監督がよく言っておられたことを思い出すと、山田洋次監督は談話の中で語っていました。
黒澤明監督は、こう語ったそうです。曰く「そこ(撮影所)に腕のいいスタッフが大勢いるってことが大事なんだ。彼らがチームを作って、高い技術を発揮して工夫を凝らし、そこで生みだされた映画作りのノウハウが後々まで残されていく、それが撮影所というシステムなんだ」と。
今の撮影所を見ると、「ただガワがあるだけで中味がない」と山田洋次監督は嘆きます。「僕が撮影所で例えば『母(かあ)べえ』や『おとうと』という作品を作って、その過程でスタッフとともに苦心したいろいろな知恵や工夫は残る。残るんだけど、スタッフは撮影が終われば解散してしまう。それを引き継いでいく人もいないし、受け継いでいく人もシステムもないから、結局、雲散霧消してしまうだけ。
それがとても哀しいし、このままでは日本映画は痩せていくばかりだと思うな。CGだ3Dだと金のかかる器材が残るだけでね。」
以上は、黒澤明 MEMORIAL 10『酔いどれ天使』の中にあった山田洋次監督の談話で、内容は映画の話なのですが、撮影所を病院に置きかえてみると、病院で行われている診療や治療や看護という行為は、ひとつひとつの映画作品を創り上げるのと同じようなものではないかと思えてきました。
「腕のいいスタッフ」
「チームを作って」
「高い技術を発揮して工夫を凝らし」
「ノウハウが後々まで残されていく」
いずれもが、これからの病院に求められているものばかりではないでしょうか?
病院が貸しスタジオのようになって、やりたい者がやりたい放題、勝手気ままに振る舞っていたのでは、決していい作品はできないでしょう。また、そんな作品をいくつ作っても、誰も観ようとはしないでしょう。
いい加減な作品の作り方ばかりを観て育ってしまうと、研修医の先生方もやはり、将来いい作品を作っていくことはできないのではないでしょうか。
京都市立病院で研修をした先生方が、将来、あちらこちらの病院で「監督(リーダー)」として、素晴らしい作品を作り、継承していけることを祈っています。