2013年12月13日金曜日

手術の後に見えるものたち

 今週、術前診察をしていたとき、以前に受けた手術の後に、ベッドの周りを小さな子どもが走り回っている姿が見えて困った、という方がいました。おそらく、術後せん妄のひとつである「幻視(visual hallucination)」だったと思われます。

 術後に、他の人には見えないけれども、手術を受けた患者さんだけに見えるものがあります。術後せん妄のひとつの「幻視」については、ICUなどで、壁や天井に小動物(虫やウサギなど)が見えることがある、と学生時代に聞いた覚えがあります。
 ところが、実際の臨床の場で、術後に何かが見えたと訴える患者さんの話を聞いてみると、必ずしも小さい動物ばかりではないようです。確かに、蝶々やカメといった小さな動物を見たという患者さんもいましたが、ぼくが聞いた中には、もっと大きなモノを見た方がいらっしゃいました。

 天井から黒いゴミ袋がいくつもぶらさがっていた、と言った女性の方がいらっしゃいました。入院中もゴミ出しが気になっていたのでしょうか?
 ある男性は、壁と天井の境目に羽衣をたなびかせた天女が見えると言われました。思わず、うらやましい、と思ったものでした。
 部屋に恩師が訪ねて来た(実際にはだれも入ってきていません)患者さんや、頭の上の壁に窓が見えて外の景色が見えていた(実際には窓などありません)患者さんもいました。
 また、ある男性患者は、ストーリーのような幻視を見たと語ってくれました。「村の小径を歩いて行くと一件の農家があって、庭にはにわとりが放たれていて、縁側を見ると、そこに一通の手紙が置いてある。手紙を取り上げてみたが、何も書かれていない。農家を後にして海岸まで行くと、大きな軍艦が接岸されていた。見上げると、制服を着た水兵たちが、軍艦の縁に一列に並んで腰をかけている。誰も一言もしゃべらず、じっと座っている。」ここまで来ると夢のようなストーリーですが、患者さんはその光景を後になってもしっかり思い出せるのだとおっしゃっていました。



 中橋一喜先生によると、6040例を対象とした検討の結果、せん妄の発生率は全体の5.1%であるとのことです。つまり、20人に一人は、せん妄を起こすようです。また、年齢が上がるにつれて、麻酔時間が長くなるにつれて、せん妄の発生率は上昇します。(古家仁編著『術後精神障害 せん妄を中心とした対処法』[真興交易医書出版部]より
 幻視は、こうしたせん妄の一部なので、発生率はもっと低くなっていると思われます。

 予防するにはどうすればよいのか?せん妄の予防のために、術中心がけねばならないのは、適切な酸素化と循環、電解質異常の補正、薬物量の調整、最小限の薬物使用などだとされています。また、術後は、明るい部屋、静かな環境、友人や家族の訪問、術後疼痛管理などが有効だとされているようです。


 こうした幻視がまったくの錯乱状態の中で生じているのかというと、必ずしもそうではないようです。一度、現在進行形で壁にモノが見えていると訴える患者さんを訪問したことがありますが、その患者さんとの会話は普通にできるのです。そして、真面目に「ほらそこに見えるでしょ」などと言われるので、まるでキツネにつままれたような感じでした。
 現実に存在しないものを実在するモノとして認識している脳の働きというのは、何とも不思議ですね。
ほらほら、ドラえもんがこちらを見て
笑っているのが見えませんか?
え?見えない……
術後に見直してみて下さい(笑)