同じような疑問を、映画監督で作家の森達也氏も抱いておられたようです。森氏の場合は、街に氾濫する掲示や表示に対して、です。
森達也『誰が誰に何を言ってるの?』(大和書房)では、森氏が街で見かけた「不思議な」掲示板や表示などを集めて、誰が何のために、このような表示をしているのだろうか、と考察しています。
物事に対する危険性や警戒の必要性を考えるとき、森氏は、いつもマムシのことを考えるそうです。
曰く、「マムシはハザード(毒性)が高い。咬まれたら命に関わる場合があるほどに強い毒を持っている。でもリスク(危険性)は低い。なぜなら都市部にはほとんど生息していないからだ。……もちろん備えあれば憂いなしであることは確かだけど、リスクはほぼゼロに近いマムシに過剰に脅える生活は、もっとリスクが高い何ものかに対して警戒が、おろそかになる可能性を示している。」と。
このマムシに対する警戒と同じような心理になりがちなのが、マニュアルではないかと思うのです。マニュアルに書かれたことを実行しさえすれば安心する、という心理が、どこかで働いていないでしょうか?
コンビニに入ると、入り口のセンサーで来客が感知されて、メロディ・チャイムが鳴る店があります。チャイムが鳴ると、店員さんたちがいっせいに、「いらっしゃいませ〜」とあいさつします。奥で棚の商品の並び方を整えていた店員さんまでが、「いらっしゃいませ〜」と明るい声で応対しています。入ってきた客の顔も見ず、目は、目の前の商品を見つめたままで、です。
おそらく、マニュアルに「入り口のチャイムが鳴って、来客があったら、必ず『いらっしゃいませ』と声をかけるように」とか何とか書かれているに違いありません。マニュアル通りに行動した店員さんは、マニュアル通りの行動ができたと思って、きっと満足していることでしょう。でも、「いらっしゃいませ」と壁に向かって言われた客は、自分の来店が歓迎されているとは、たぶん思っていないでしょうね。
病院でも、近ごろマニュアルが増えてきました。手術室でも、患者入室時のチェック、手術開始前のチェックを必ずするように、というマニュアルがあって、日々それらは実行されています。でも、その際に気をつけなければならないのは、マニュアルの実行に心を奪われてしまわないことではないでしょうか。
マニュアルは、本来、たとえば「患者誤認」であるとか「器械や麻酔の準備不足」「術野の左右取り違え」などを防ぐために導入されたもののはずです。ところが、ともすれば「マニュアルを実行した」という確認そのものが、かえってそうしたミスを許す隙をつくってしまうことがあるのです。
だから、人間はそもそもミスを犯すものなのだ、ということを忘れないでいる方が、ミスに気づきやすくなるのではないでしょうか?
マニュアルがマムシになってしまうと、ほんとうに恐ろしいミスに気づかなくなってしまうかもしれないのです。
今日のお土産
京北病院での研修を終えて本院に帰ってこられたKm先生は、来年度から、京都市立病院で麻酔科の後期研修をされます。今日は、わざわざあいさつに見えて、かわいらしいC³(Cキューブ)のお菓子までお土産にいただきました。
ありがとうございました。こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。