2013年12月21日土曜日

緩和とは、要は苦しみを和らげること

 今日は、夕方に緩和ケア委員会に参加しました。で、緩和について考えてみました。

 緩和とは、要は人の苦しみを和らげることなのではないのかしら?

 帰ってから、めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊先生の書かれた『13歳からの「いのちの授業」 ホスピス医が教えるどんな時でも「生きる支え」を見つけるヒント』[大和出版]という本を読み返しました。

 ホスピスでは、人の苦しみには四つあると考えています。
 すなわち、身体的な苦しみ精神的な苦しみ社会的な苦しみ、そしてスピリチュアルな苦しみの四つです。
 この最後のスピリチュアルな苦しみというのは、日本語に訳しにくいのですが、「死を前にして、その人の存在を失い、生きている意味を失ってしまう苦しみ」をさすのだそうです。言葉で表現すると、「存在と意味が消滅する苦しみ」となります。

 たとえば、「役に立つかどうか」ということに生きる意味を見出していると、病気になって機能が失われたりすれば生きる意味を失ってしまうでしょう。


 人が、苦しみの中にあっても生きようとする力を支えるには、三つの柱が必要だと、小澤先生は言います。その三つの柱とは、

 ①「時間」の柱=「将来の夢」
 ②「関係」の柱:人は、一人では何もできないほど弱く小さな生きものです。ところが、自分のことを認めてくれる大切な「関係」の支えが与えられると、信じられないくらい強く生きようとする力がわいてきます。 
 ③「自律」の柱:自分で自由に自分のことを決めることができる。



 この内のひとつの柱が失われたときには、ほかの柱を太くすれば生きる力を支えることができるのだそうです。













 癌で余命いくばくもなくなり、体の自由が利かなくなった人であっても、その苦しんでいる人のことを心から認めてくれる人があらわれたとしたら、その人はもはや一人ぼっちではありません。  
 たとえ、役に立たない、何もできない人であったとしても、きちんと人間として認めてくれる相手との関係性があれば、その人の存在を再び支える力を生みだす可能性があるのです。その相手は、家族や友人やペットであったりするのですが、目に見えない存在であってもよいのだそうです。亡くなったご両親、戦友、あるいは神さまなど…。

 要は、苦しんでいる人の前に出たときに、相手が自分自身のことを「こいつは、わかってくれそうな人だな」と思ってくれるかどうかが、苦しみの中にある人の支えになれるかどうかの別れ道のようです。

 これが緩和の原点なのかな、と改めて思いました。