2013年1月6日日曜日

日曜日の朝のささやかな孤独は天国だ

 今日は日曜日。待機ではあるけれど、今のところ呼び出しはなし。家族は出かけて、家は留守。こんなとき、Joseph J. Neuschatzの'terrO.R. - A Medical Liability Thriller'という医学サスペンスの中にあったこんな表現を思い出します。

 ’A little Sunday morning solitude was heaven.’ 
 (日曜日の朝のささやかな孤独は天国だ)

恐怖のterrorと手術室のO.R.をかけた
親父ギャグ的表題になっています
この'terrO.R.'という小説は、麻酔科医が主人公になっています。
 毎日の多忙な麻酔業務をこなしているとき、健康な若者の刺青をとるための手術に対する全身麻酔を主人公は依頼されます。父親を伴って病院に現れた若者は、旅行中に刺青をいれたが、帰国後親の反対にあって刺青を取ることになったと言います。
 絶食を確認して、麻酔の導入を行ってからしばらくすると、患者の容態が急変します。心電図には不整脈が頻発し、やがて心停止を来たしました。
 手術室内で蘇生を試みましたが、患者の命は戻りませんでした。宗教上の理由から、父親には病理解剖を拒まれ、遺体は家族にひきとられて帰って行きます。
 この「死亡事故」から、あまり日をおくことなく、父親は病院と麻酔科医に対して訴訟を起こします。主人公の麻酔科医は、日常の激務の中で、訴訟をかかえるという大変な立場に追いこまれていきます。
 しかし、インターネットを使った麻酔科医のネットワークや知り合いの弁護士の力を借りて、死亡原因を追っていくうちに、この「死亡事故」の背景にとんでもない陰謀が隠されていたことが発覚してゆきます……。

 という状況の中で、デューティもオンコールもない日曜日の朝、妻も出かけて家に独りでいる主人公がもらす言葉が、最初に紹介した言葉なのです。

 麻酔中に患者が亡くなることは稀ですが、皆無ではありません。この小説のように、健康そうな何のリスクもない若者が、いつも通りの全身麻酔中に死亡した場合には、麻酔科医の精神的な動揺はそうとう大きいのではないかと考えられます。理屈では説明できない不可解な死を経験した場合には、なおさらのことです。

2013年3月号のA & A
昨年のAnesthesia & Analgesiaの3月号の表紙には、麻酔中に患者を亡くして、手術室の中で落ち込んでいる麻酔科医の姿が描かれていました。
 手術中に患者を亡くすことは、患者家族にとっても辛いことですが、術者や麻酔を担当した医師、さらにはその手術に関わったナースや他のスタッフにまで心理的なダメージを与える場合があります。こうした状況に遭遇した場合の麻酔科医のメンタルケアの必要性について、この雑誌の記事には書かれていました。











 薬理学の進歩によって、より安全な薬剤が開発され、テクノロジーの進歩によって、さまざまな生体モニターが開発され、「安全な」麻酔はかなり理想に近づいてきたように思われます。
 この「安全な」麻酔を、さらに「安心できる」麻酔にまで引き上げるには、そうした薬剤やモニターを使いこなせる知識と技能を修得する以上に、何かもうひとつの要素が必要ではないかという気がします。
 手術前にいきなり姿を現した麻酔科医から「わたしたちは常日頃から安全な麻酔を心がけているからご安心下さい」と言われて、すなおに安心する患者さんなんているのでしょうか?かといって、ささいなリスクまであげつらって事細かに説明をするのは、麻酔科医の自己弁護あるいは自己満足ではないかと思えるときもしばしばあります。
 患者さんや術者にも「安心」してもらえる麻酔をめざすためには、理性(logic)ばかりでなく、感情(emotion)にも配慮していくことが必要ではないかと近ごろ思います。一方的に麻酔の方法やリスクを説明するだけなら、説明書きを手渡して読んでもらえば事足りるでしょう。手術を前にした患者さんの不安な心に共感することが「安心」への第一歩となるのではないかしら。

 最新の知識と技術を更新していくことに加えて、自らの行為が、患者や術者、ナースをはじめとしたスタッフに与える影響(とりわけ感情面での)をフィードバックしながらコミュニケーションをとっていくことが「安心できる」麻酔の必要条件のようにも思われます。

 手術室では、ひとつの手術を担うチームとして動いているので、チーム内のコミュニケーションは、他部署以上に求められています。何のコミュニケーションもなく自分勝手に動き回るだけでは、クラゲと大差ありませんね。(もっとも、クラゲたちは、互いにコミュニケーションをとらなくても十分幸せそうですが…)


 日曜日の朝のささやかな孤独の中で、そんなことをとりとめもなく考えました。