今朝の金星 雲を通しても明るく光っていました。 |
道元の『弁道話』の中に、「放てば手に満てり」という言葉があるそうです。これは、逆説的な感じもしますが、確かにうなずけることでもあります。
境野勝悟氏の解説を引用します。
「わたくしたちは、生きる価値を、世の中にばかり求めてしまう。世の中が、自分を認めてくれるかどうか。それが、心配でたまらなくなっていく。
他人にほめられたいとばかり思っていると、自分の生活が、何者かの手にゆだねられて、何を価値として生きているのか、自分で自分がわからなくなってしまう。
そうして、いつの間にか、世間が認めてくれないと、生きられなくなってしまう。」
境野勝悟『道元「禅」の言葉』 [三笠書房] |
しかし、よくよく考えてみれば、「世間」が自分のことをどう思っているか、と気にしているのは、実は「世間」ではなくて、自分自身なのですね。つまり、「世間」とは、頭の中にだけある幻なのです。
道元は、当てにならない夢をつかもうとせず、「放て」と言っています。
放して捨ててしまえば、本当の生きる価値が「手に満てり」つまり、手の上に満ちあふれるのだよ、と言っているのですね。
この道元の考え方は、実は、先日紹介したオーストリアの心理学者、アフレット・アドラーの考え方にも通じます。
アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言い切っているそうです。人が自分のことをどう思っているか、ということに基準をおくと、たちまち劣等意識をもったりしてしまうわけです。
岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』 [ダイヤモンド社] |
アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。他者から承認される必要などない、むしろ承認を求めてはいけない、とまで言っています。私たちは、「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。
このアドラーの「他者からの承認を求めてはいけない」という姿勢が、道元の「放て」という教えと共通しているように思えました。