三本並んだ電線に金星がかかっています |
米米CLUBというグループに、〈浪漫飛行〉という歌がありました。
そこから「逃げ出す」ことは 誰にでもできることさ
あきらめという名の傘じゃ 雨はしのげない
何もかもが 知らないうちに
形を変えてしまう前に
いつかその胸の中までも くもらぬように Right Away
おいかけるのさ My Friend
トランク一つだけで 浪漫飛行へ In The Sky
飛び回れ このMy Heart
忘れないで あのときめき
一人じゃない もう一度 空へ
このKOMEGUNYというアルバムに 〈浪漫飛行〉が入っています。 |
米米CLUBは、不思議なバンドでしたね。プロになってからもアマチュア精神を忘れなかった希有なバンドだったと思います。
実は、夜勤で急にコンサートに行けなくなったナースから、大阪城ホールでのコンサートのチケットをもらって、一度だけ彼らのコンサートに出かけたことがありました。そのナースは、米米CLUBのファンクラブ会員だったので、前から10列目くらいの席のチケットを持っていました。石井竜也さんの汗まで見えるような席で、コンサートを見ることができたのです。
ただ、ライブの間、周りの観客は立ちっぱなしの踊りっぱなしの歌いっぱなしで、こちらもそのノリに合わせざるを得なくて、すっかり疲れ果ててしまいました。
〈浪漫飛行〉は、恋に逡巡する異性の友だちを励ますような歌詞ですが、人の営みというのは、恋愛、失恋、成功、失敗、受験に就職…と、面倒なことばかりですね。
それに比べて、星辰の営みは、そうした人の営みを嘲笑うこともなく、超然と構えているようです。冲方丁が『天地明察』で描いたように、太陽や星の動きを、人が作った暦ですべて記述しようとすることには、限界があります。
今朝の京都新聞の「凡語」に、頸髄損傷により手足の自由を奪われながらも、絵筆を口にくわえてすばらしい花の絵や詩を紡ぎ出している、星野富弘さんの詩が紹介されていました。
これも自然の中の人の愚かさをうたっていますね。
触るとはじめる鳳仙花の実を造った自然
触ると爆発する地雷を作ってしまった人間
笑ったり 泣いたり 望んだり あきらめたり
にくんだり 愛したり
そして これらの一つ一つを 柔らかく包んでくれた
数え切れないほど 沢山の平凡なことがあった