2013年11月28日木曜日

はじめはケーゼルレーキスネーチだった

 胎児仮死、児頭骨盤不均衡、前置胎盤、骨盤位などは、帝王切開術の適応となっています。
ベビー誕生。泣くか泣かぬか、緊張の一瞬。

 この帝王切開術の語源はよく分かっていないようです。英語ではcesarian sectionですが、もともとはドイツ語のKaiserschnitt、ラテン語のsectio caesareaに由来しています。ローマのユリウス・シーザー(Gaius Julius Caesar)が、この方法で生まれたのがその起こりとの説が古くからありましたが、当時、母親の腹を切って胎児を出した場合、母親は、ほぼ100%命を落としていました。ところが、シーザーの母親は、54歳くらいまで生きたとされているので、シーザーが「帝王切開」で生まれたというのは、少し怪しそうです。

 江戸時代、日本は鎖国をしていました。唯一、オランダからの知識や技術を長崎で得ることができました。医学もそのひとつ。オランダ語では、「帝王切開」は、Keizerlijksneeと呼ばれていました。最初は、日本では、この技術をオランダ語の発音をそのままカナ表記した「ケーゼルレーキスネーチ」と呼んでいたようです。


 「ケーゼルレーキスネーチ」という言葉自体は、享和三年(1803年)に伏屋素狄の『和蘭医話』の中に登場しました。しかし、実際にこの手技が行われたのは、嘉永五年(1852年)4月25日のことでした。大宮郷(今の秩父市)の開業医、伊古田純道が岡部均平とともに、難産の女の腹を切って死児を取りだし、母体を救ったとの記録が残されているそうです。

 江戸の終わりには、オランダ語の発音表記に代わって、「剖産術」という言葉が現れ、その後、「シーサル割截法」「国帝切開術」と変化して、明治の終わり頃には、「帝王切開」という用語が定着したそうです。(小川鼎三『医学用語の起り』[東書選書]






 シェイクスピアの『マクベス』では、マクベスをそそのかす三人の魔女たちが、マクベスが奪取した王の地位は「バーナムの森が動かぬ限り」奪われず、「女から生まれた者にマクベスは倒せぬ」と予言します。後に、森の木で偽装した軍隊がマクベスの城に押し寄せ、「母の腹から月足らずで引きずり出された」マクダフによって倒されてしまうのですが、このマクダフが、いわゆる「帝王切開」で生まれたとされています。ただし、このマクベスの時代(11世紀頃)でも、帝王切開をした場合、母親は必ず死んでいました。

 シェイクスピアの『マクベス』を、日本の戦国時代に翻案した作品が、黒澤明監督の『蜘蛛巣城』(1957年)です。三船敏郎演ずる主人公・鷲津武時が霧深い森の中で出会った謎の老婆の語りから、武時自身が思いもよらなかった野心に取り憑かれ、人生が転変していく、というストーリーです。
 もちろん、この時代、日本には「帝王切開」はなかったので、『マクベス』の魔女の予言は、そのままでは使えませんでした。しかし、主君に仕える忠実で勇敢な侍、鷲津武時の胸中に「謀反」、権力への「欲望」という種が、老婆の予言によってふと蒔かれてから、その種ががん細胞のように不気味に増殖していく…という心理的変化は『マクベス』をなぞっています。
 現代人の心にも潜んでいる「野心」の怖さが描かれた傑作です。スピルバーグは、『蜘蛛巣城』を黒澤作品のベスト・ワンに挙げているそうです。