2014年1月28日火曜日

煩悩こそが、諸悪の根源

 今日は夕方から雨模様の天気になりましたが、明け方は、雲ひとつなく、有明の月が明けの明星と並んで東の空に輝いていました。
ブレてしまって、写真はどうもうまく撮れません

 四苦八苦、という言葉があります。「有明の月をカメラで撮るのに四苦八苦した」といった表現をします。
 もともとこの四苦八苦というのは、ブッダが言い出した言葉です。人には避けられない苦しみが四つある、すなわち、生老病死の四苦。この四つは人の意志ではコントロールできないものです。
 生というのは、「生まれる」と解釈するか「生む」と解釈するかで印象が変わりそうです。「生む」苦しみと考えると、これは産婦さんだけの苦しみ(陣痛)のようですね。

 この他に、人生の中で、人は次のような苦しみを味わうとされています。
  ①愛別離苦(あいべつりく):愛する者と別れる苦しみ
  ②怨憎会苦(おんぞうえく):怨み憎む者と会う苦しみ
  ③求不得苦(ぐふとくく):求めるものを得られない苦しみ
  ④五取蘊苦(ごしゅうんく):心身からの苦しみ
 以上の四つの苦を、先の四苦、生老病死に加えて八苦としたのが、四苦八苦となったのだそうです。

 ダライ・ラマ14世は、苦しみには、「苦痛に基づく苦」「変化に基づく苦」「遍在的な苦」という三つの苦しみがあるといいます。この最後の「遍在的な苦」というのは仏教独特の考え方なのだそうです。
ダライ・ラマ14世『思いやり』
[サンマーク出版]

 この苦しみは、人間に普遍的に存在する苦しみで、誰も逃れられないものなのです。この苦しみが自分にも他人にも存在するのだ、ということをまず認識することが肝心なのです。

 まず、そういう苦しみがあるのだ、ということに気づけば、この「遍在的な苦」から解放される糸口がつかめるのです。
 すなわち、こうした苦しみは自分だけがもっているものではなくて誰もがもっているのだ、と考えることができれば、それほど悲惨な気持ちにはならないのではないでしょうか?




 ダライ・ラマ14世はさらにこうも言っています。

「世の中には、他者に対して本当にひどいことをする人たちもいますが、明らかに彼らは、煩悩に影響されてそのような間違ったことをしているだけなのですから、そういった事実を正しく見ることさえできれば、煩悩に引きずられて間違った行いをしている人たちを、気の毒に思う慈悲の心が生じ、その人に対する怒りや憎しみは減っていくはずなのです。」

「その人に欠点があると考えて非難するのではなく、その人を間違った方向に走らせた煩悩こそ諸悪の根源なのだ、と考えることができれば、煩悩のもたらす悪い点を認識するためにも、自分のものの考え方をより建設的な方向に向けるためにも、大いに役に立つのではないかと思います。」