2014年1月25日土曜日

放てば手に満てり

 今日は暖かい一日でした。
今朝の金星
雲を通しても明るく光っていました。

 道元の『弁道話』の中に、「放てば手に満てり」という言葉があるそうです。これは、逆説的な感じもしますが、確かにうなずけることでもあります。
 境野勝悟氏の解説を引用します。

「わたくしたちは、生きる価値を、世の中にばかり求めてしまう。世の中が、自分を認めてくれるかどうか。それが、心配でたまらなくなっていく。
 他人にほめられたいとばかり思っていると、自分の生活が、何者かの手にゆだねられて、何を価値として生きているのか、自分で自分がわからなくなってしまう。
 そうして、いつの間にか、世間が認めてくれないと、生きられなくなってしまう。」
境野勝悟『道元「禅」の言葉』
[三笠書房]

 しかし、よくよく考えてみれば、「世間」が自分のことをどう思っているか、と気にしているのは、実は「世間」ではなくて、自分自身なのですね。つまり、「世間」とは、頭の中にだけある幻なのです。

 道元は、当てにならない夢をつかもうとせず、「放て」と言っています。
 放して捨ててしまえば、本当の生きる価値が「手に満てり」つまり、手の上に満ちあふれるのだよ、と言っているのですね。











 この道元の考え方は、実は、先日紹介したオーストリアの心理学者、アフレット・アドラーの考え方にも通じます。
 アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言い切っているそうです。人が自分のことをどう思っているか、ということに基準をおくと、たちまち劣等意識をもったりしてしまうわけです。

岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』
[ダイヤモンド社]
たとえば、「身長が150cmの男性」というのは、客観的事実です。これについてその男性一人しかいない社会だったら、何の悩みも起こりようがありません。社会の中に彼が存在したとき、「その身長について彼がどのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるか」が問題となってくるのです。

 アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。他者から承認される必要などない、むしろ承認を求めてはいけない、とまで言っています。私たちは、「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。
 このアドラーの「他者からの承認を求めてはいけない」という姿勢が、道元の「放て」という教えと共通しているように思えました。