2014年1月5日日曜日

異質を受容しないと息づまるのだ

 年末に古雑誌を整理していたら、Associéという雑誌(2009.01.06号)に、医学サスペンス小説を書いている病理医、海堂尊氏のインタビューが載っていたのを見つけました。

インタビューに答える海堂尊氏

 インタビューアーが、「著作や新聞・雑誌のインタビューを拝見して感じるのは、海堂さんは社会の枠に入りきらない人にとても寛容ですね。」と投げかけたときに、海堂氏はこんな風に答えていました。

 「異質を受け入れないと、息苦しく閉塞した同質社会になるのではないでしょうか。社会の枠にはまらない少々迷惑に感じる人であっても、誰かに危害を加えるといったことがなければ排除してはならない。
 異質を排除する社会は人々を圧殺します。周囲と異なる生き方は目障りかもしれませんが、その存在を許容することによって、社会や組織は柔軟性をもつわけですからね。」

 そういえば、海堂尊氏の処女作『チーム・バチスタの栄光』に登場する白鳥圭輔という厚生労働省の官僚も、かなり「異質」な存在ではありましたね。

橋本孝『奇跡の医療・福祉の町 ベーテル
心の豊かさを求めて』[西村書店]

 ドイツのビーレフェルト市という町の一角に、「隣人愛」と「社会奉仕」を理念にもつ、ベーテルという総合医療・福祉施設があります。創立は1867年で、以来約150年間、町全体が医療・福祉の充実に取り組んでいます。歴史の中でナチスとの闘いもありましたが、ベーテルはこれに敢然と立ち向かったそうです。
 「人は誰でも、障害があろうがなかろうが、必ず個性や能力があるものだ。その能力や特長をどのようにして発見し、育てていくか。また、それをどのようにして仕事に結びつけるのか、これこそがいちばん大切なものだとベーテルは考えている」と橋本孝氏は述べています。

 社会福祉の根本は「愛」すなわち「思いやりの精神」にあります。しかし、「思いやりは自分の気持ちを抑えることにも通じかねないため、それが長く続くと立ち行かなくなってしまう」と橋本氏は言います。「福祉は、『持続する愛』でなければいけない。それには、自分が自由である必要がある。自由になるには、自ら進んで、積極的に参加することが大切。その上で愛が実現されなくてはならない。そのために、使命感だけでなく、楽しく夢中になれる職場づくりがポイントになる」のだそうです。

 その際、労働というのは、障害者が積極的に参加する場としては最適です。
 『日本でいちばん大切にしたい会社』シリーズを出版し続けている坂本光司さんがいの一番に取り上げた会社が、チョークを作っている日本理化学工業という会社でした。この会社は、障害者雇用率が7割を超えています。ここでは、製造工程の器械の動きに職員の動きを合わせるのではなく、知的障害をもった雇用者に合わせて器械を工夫することで、他の職員と同じように働く環境を整備しているのです。
材料の入っている蓋の色と同じおもりを作り、
知的障害者でも秤を使えるように工夫をしました

 たとえば、チョークの材料を100g量って混ぜるという工程を、数字の苦手な知的障害者はこなせません。そこで、材料の入った蓋の色とおもりの色を同じにする工夫をしました。これだと、赤い蓋の容器に入っている粉を量るときには赤いおもりを、青い蓋のときは青いおもりをのせる。そして、はかりの針がまん中に止まったらOK…こうすると、知的障害者でも、この工程をこなすことができたのです。
 日本理化学工業会長の大山泰弘さんは次のように言っています、「ふつうはこうやるという方法を教えこもうとしていたから、うまくいかなかったのです。もしかしたら、私たち健常者のやり方を押しつけていただけなのかもしれません。でも、その人の理解力にあったやり方を考えれば、知的障害者も健常者と同じ仕事をすることができます。彼らが「できない」のではありません。私たちの工夫が足りなかったのです」と。(大山泰弘『働く幸せ 仕事でいちばん大切なこと』[WAVE出版]

 健常者の立場に立って障害者を見ると、「彼らは何々ができない。だから、自分たちとはともに働けない」ということですから、これは「異質」を排除しようとする方向に流れます。精神疾患をもった患者さんを診るときも、医者はたいてい「正常に近づけよう」と薬物の投与を行うことがあります。しかし、この精神病を「治さない医者」がいます。

 北海道の浦賀赤十字病院精神神経科部長、川村敏明先生は、そんな医者のひとりです。
 統合失調症を患っていた30代の女性患者は、名古屋にいたときは、つらくなると地元の病院に駆けこんでは注射を打ってもらっていました。ひどいときには一日に三回も…。そんな彼女が浦賀に流れて来て川村先生にかかったとき、「そういうとき、ここでは注射はしないよ」と頑として注射をしてもらえなかったそうです。彼女は追いこまれ、切羽詰まりましたが、結局注射を受けずに川村先生のいる日赤の救急を後にしました。ところが、そこから彼女は変わっていったのだそうです。
斉藤道雄『治りませんように べてるの家のいま
[みすず書房]

 この川村先生の姿勢を、斉藤道雄さんは次のように分析しています、「治さない医者は、ただ治さないのではない。治せないのともちがう。治すときの方向を、治すということの意味を問うているのである。患者に対して、あなたはどうしたいのか、どう生きたいのかと問い、治すということはただ病気の症状を消そうとするのではなく、もっとずっと深いところで捉えなければならないことなのではないかと、問うているのである」と。

 浦賀町には、精神障害者を中心としたグループ「べてるの家」があります。川村先生はこの「べてるの家」にかかわっておられますが、精神障害者を健常者に引き戻そうという治療はされません。
 ここでは、精神障害をもった一人ひとりが、「治療される側」としては存在せず、そういう疾患をもって生活しているのだという「当事者意識」をもって生活を送っています。そこで生活する人の中には、「病気はたいせつな財産だし、病気を含めての自分があると思えるようになった」という方もいます。斉藤さんは、「彼ら(べてるの家のメンバー)は”人はなにがたいせつか”というメッセージを携えている」のだと言っています。
 「そのひとつはまぎれもなく『自分が自分の当事者である』ということだろう。それは『そのままでいい』ということの別の謂であり、他人の価値に生きないということの本態でもある。」

 知的障害者や精神障害者を「異質」と呼んでは失礼ですが、「弱者」ではあると思います。そうした弱者を排除するような姿勢ではなくて、社会の中に受け容れる配慮がないと、海堂尊氏の言うように、社会や組織の柔軟性が失われてしまうのかもしれませんね。