2階のコンビニの棚で、パッケージに描かれた絵にひかれて、チロルのいよかんチョコを買ってしまいました。
パッケージに描かれていたのは、愛媛県今治のゆるキャラ、バリィさん。このバリィさんが、なぜかMw先生に見えてしまったのです。
ぜんぜん違うのに似ている、と思ったのはなぜかしら?オペ室に戻って、何人かにどう思うかを聞いてみると、みな「似てる似てる」と言ってくれました。
なぜこんなに違う絵なのに、脳は「似ている」という判断をするのでしょうか?コンピュータで、二つの顔が同じかどうかを認識させたら、おそらくバリィさんとMw先生にはほとんど共通項はないと判断されそうです。
でも、人間の脳は、けっこうあいまいなので、「そー言えば、雰囲気が似てるな」と思い込んでしまうと、そのように思い込んでしまうようです。
池谷裕二が糸井重里と対談した『海馬 脳は疲れない』(朝日出版社)という本の中に興味深い模様が紹介されています。次の模様です。
いったい何の絵か分かるでしょうか?
初めて、この模様(絵)を目にした方は、ただの白と黒の入り混じった模様にしか見えないのではないでしょうか?でも、どこかでこの絵に出合っていて、これが何の絵であるかを聞いたことがある方がいたら、おそらくその方には、牛以外には見えないはずです。
左の方に頭があって、黒い耳と黒い鼻をしていて、顔の右半分は黒く、左半分は白い子牛のような顔がこちらを向いているように見えてこないでしょうか?
脳は、このようにあいまいなものでも、自分の都合のよいように何かを作り上げてしまうのだ、と池谷さんは述べています。
いわゆる人面魚や、壁のシミを幽霊と思い込んでしまうといった認識は、脳が何だかんだと理屈をつけて、解釈しているから、ということになりそうです。
視覚に限らず、世論や民意についても、新聞やテレビで流されている日本や世界の姿を、いったん「現実」だと思い込んでしまうと、他の見方ができなくなってしまうということは、しばしば起こっているようです。得てして、こうした世論や民意は、時の権力が操作をしています。斎藤貴男さんは『民意のつくられかた』(岩波書店)の中で、次のように述べています。
東北大震災後の原発事故を経て、それまでの原発神話がウソだったことが判明したことを受けて、「今度こそ私たちは、権力への服従が”大人の態度”であり、望ましい姿勢だとされている生活様式からの脱却を目指さなければならない。原発を推進した側の暴走を批判するのは当然だが、彼らの思惑だけでは何ひとつできるはずがないもの、また真実であるからだ。
……原発に限らない。要するに、よほど賢くならないと、生きていけない時代なのである。」
おっと、チロルチョコの話から、世論操作の話にまで膨らんでしまいました。
ところで、袋の中の個別のチロルチョコの包装は、またいろいろで楽しませてくれました。