今夏公開されているジブリ作品の『風立ちぬ』に、喫煙シーンが多いことが話題になっているようです。
映画の中で、堀越二郎というゼロ戦の設計者をモデルにした主人公の二郎の妻が、肺結核を患っているにもかかわらず、その横で二郎が、妻にすすめられて煙草を吸う場面が出てくるのだそうです。(まだ映画を観ていないので、すべて伝聞体ですが)
描かれた時代が時代で、現在のような喫煙に対する規制がなかったので、時代を再現すれば、どうしても喫煙場面が出てくるのかもしれません。
問題は、この映画の喫煙シーンの多さに対して、禁煙運動を促進することを目的としたNPO法人「日本禁煙学会」が「要望書」を提出したことです。8月12日付の要望書の内容は次のようなものでした。
「映画『風立ちぬ』なか(ママ)でのタバコの描写について苦言があります。現在、我が国を含む177か国以上が批准している『タバコ規制枠組み条約』の13条であらゆるメディアによるタバコ広告・宣伝を禁止しています。この条約を順守すると、この作品は条約違反ということになります」
映画や文学作品の場合、表現の自由という立場があります。作品を仕上げる過程で、煙草を吸う場面に必然性があった場合もあるでしょう。その作品を仕上げる過程で、煙草を吸う場面を削れと「苦言」を述べることが、果たして表現の自由を侵害することにならないかどうか?
ポール・オースターが自らの小説をもとに脚本を書いた『スモーク』(ウェイン・ワン監督作品 1995年)という米独日合作の映画がありました。この中には、文字通り画面が煙草の煙であふれる場面が何度も出てきました。
主人公の一人、オーギー・レンは、ブルックリンの街角の煙草販売店の店主。毎朝8時に街角の同じ場所でシャッターを切って写真を取り続ける、ということを10年以上も続けている男です。この店に通う客の一人、作家のポール・ベンジャミンの妻は、強盗の流れ弾に当たって亡くなっています。以来、彼は創作意欲を失っています。ある日、ぼんやり道を歩いているときに危うく車にひかれそうになるところを、黒人の少年(トーマス・コール)に助けられます。この少年は、訳あって偽名を使って自分の父親を捜しています。
この三人の男たちがゆるくからみ合って物語が進んでいくのですが、当時のアメリカでは、喫煙に対する規制は日本よりも厳しかったはずです。その中で、この煙草の煙だらけの映画は作られました。この物語から煙草の煙を取り去れば、映画の印象はかなり違っていたことでしょう。
この『スモーク』は、第45回ベルリン国際映画祭審査員特別賞を受賞しています。宮崎駿の『風立ちぬ』は、今年の第70回ベネチア映画祭に出品されます。煙草のシーンを含めて、国際的にどのような評価が下されるか楽しみです。