2013年8月3日土曜日

椎名誠と京都市立病院の怪しい関係

 昨日、本屋の棚で、椎名誠『ぼくがいま、死について思うこと』(新潮社)という本に出会いました。



 ぼくの中では、椎名誠氏といえば、ふつうの人が通常は行かない場所(チベット、モンゴル、パタゴニア等)を旅してルポルタージュを書く、真っ黒に日焼けした作家というイメージでしたから、「死について思う」などというタイトル自体が意外で、ドキリとしました。
 本の帯には、「69歳。」と印刷されているので、癌でも患って死を思うようになったのだろうかと心配になって読んでみることにしました。

 本の3分の2くらいは、人が亡くなったときの世界各国の儀式(いわゆる葬式)にまつわる話でした。内外の死に対する文化の差を比較考察しながら、葬儀社がしきって、高額の葬儀費用が請求され、御影石の墓石と狭い区画が高い値段で売られている、日本の葬儀のあり方をやんわりと批判していました。
 椎名誠氏自身は、奥さまの勧めで初めて人間ドックで健診を受けて、ほとんど異常がなかったそうなので、ひと安心しました。

 この椎名誠氏と京都市立病院は、過去に一度だけ怪しい関係に陥ったことがあるのだ。
(…と、以下、椎名節で)
 ぼくが、京都市立病院の職員向け院内広報誌『院内ひろば』の編集に関わることになったとき、いくつかの改革を行った。判型をB5サイズからA4サイズに変更。表題の「院内ひろば」の文字を職員から公募して、毎回違う書体にする。(それ以前は、かつて京都市長をされていた故・今川正彦氏の書だった)予算の許す範囲で、二色刷りを発行する。病院職員間のコミュニケーションを豊かにするため、投稿を歓迎し、写真を多用する。
『院内ひろば』第30号の表紙

 そして、それまで、ページも開かずに捨てられることが多かった『院内ひろば』を何とか手にとってもらうためには表紙が肝心だと考えて、表紙の見た目を一新した。すなわち、いわゆる著名人と言われる方々に色紙を書いていただき、これをアレンジして表紙を飾ることにしたのだった。どこまで続くか不安ではあったものの、ぼくが編集責任者を任された第25号から第30号までは、何とか表紙用の色紙をいただくことができた。

 原稿を集めて、レイアウトをし、校正をして仕上げるという一連の作業は、決して楽ではなかったが、言葉を色紙に書いていただいた方々のイメージに合わせて、色紙の周囲の図柄がうまく決まったときは、ひとりムフフと喜びをかみしめていたのだった。






『院内ひろば』第30号の表紙のレイアウト

 ぼくが関わる最終の第30号の表紙用には、あこがれの椎名誠氏の色紙がほしいッ!とつねづね思っていたので、ダメ元で椎名誠事務所に、過去の「院内ひろば」と趣旨をそえて手紙を送った。
 結果、何の注文も疑問もなく、即座に色紙とプロフィール用の写真が送られてきたときは、素直にうれしかった。














 このとき椎名氏からいただいた色紙は、
今でもぼくの宝物として、自室に飾られているのだ。