桂坂から東山を望む |
今日は、日中は春が一気に訪れたような暖かい陽気でした。
東山にも春霞がかかっていました。
節分限定発売の生八つ橋 |
仏教では、人にはなかなか克服できない煩悩として、怒り、ねたみ、愚痴があると言われています。これらは、いわば心の中の鬼なのでしょう。
豆まきで「鬼は外」と唱えるとき、人はこれらのネガティブな心情を追い出そうとしているのかもしれません。そして、「福は内」と唱えるときには、心の内にポジティブな感情、たとえば、楽しい、嬉しい、幸せだといった感情を呼び込もうとしているのではないでしょうか?だとすれば、豆まきという行為は、ポジティブ思考の動機づけである、と言えるかも知れませんね。
痛みにも、これと似たような心の働きが関与している部分があります。
一勇齊国芳「華陀骨刮関羽箭療治図」 |
華陀は傷口を切開し、骨まで削るような治療を始めます。しかし、この間、関羽は碁盤から目を離さず、碁に集中し、痛みを訴えませんでした。
江戸末期の画家、一勇齊国芳の絵に、この場面を描いた錦絵があります。碁盤に集中した関羽は、まるで痛みを感じていないような表情をしています。このような苛酷な状況でなくても、注意を他に向けることで、多くの苦痛が和らげられ、時に消されてしまうことは、しばしば経験されるところです。
Wallは、「われわれの注意を捕らえるのはいつも個体の生存や良好な状態を維持するのに必要な情報であって、『一時にただ一つ』(one thing at a time)が注意の基本原則である」と言っています。つまり、強い情動があれば、痛みが意識の外に置かれてしまうわけです。
強い情動により痛みは意識の外へ |
以前に、頸椎前方固定術を受けた患者さんに硬膜外麻酔を併用したことがありました。これは、腸骨採取をした頸椎前方固定術後の患者さんが、頸椎手術創の痛みの訴えはほとんどないのに、腸骨採取部の痛みを強く訴えることが多いため、患者さんからの希望もあって、腸骨領域の疼痛緩和目的で硬膜外麻酔を試みたものでした。
結果、腸骨採取部の痛みの訴えはまったくなかったのですが、ふだん訴えがない頚部の痛みを訴えるようになりました。この例は、より強い腸骨採取部の疼痛によりマスクされていた頸部手術創の疼痛が、硬膜外麻酔による腸骨採取部の疼痛軽減によって顕現したとも考えられそうです。
心の持ちようも、意志次第である程度はコントロールできるのかもしれません。
高杉晋作の辞世の句と伝えられているものに、次のような句があります。
おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなすものは 心なりけり
これをもじると、
手術後のキズの痛みをほどほどに
増すも増さぬも 心なりけり
といったところでしょうか。