2013年2月10日日曜日

一万年前の空気を味わう

 昨夜は、一万年前の空気を味わう機会に恵まれました。

貴重な写真を見せながら巧みなトークで
南極での体験を聞かせていただきました
1月12日の記事で紹介した、桂坂のレストラン「赤おに」で、料理長の北田克治さんのお話と料理をいただく会が開かれました。

 北田さんは、南極観測越冬隊の調理担当者として、
 第38次( 1997/2/1〜1998/1/31 )
 第45次( 2004/2/1〜2005/1/31 )
の二度、南極で一年間過ごした経験をもっておられます。
 南極大陸のオングル島にある昭和基地を基点として、南極の自然を観測するために一年間を過ごす40名の越冬隊のために、日に日に三度の食事を作り、ときには遠征用の弁当を作ったりしていました。北田さんは、南極での食生活にアクセントをつけるために寿司屋まで開店したこともあるそうです。
 研究者や他の職種には休日はあっても、料理人には休みの日はありません。文字通り、年中無休です。

生ハムサラダ・スモークサーモンと鮭のムニエル
さしみ三種盛り・ローストビーフ
北田さんの話を聞いていて興味深かったのは、限られた人数で仕事をしているので、他の隊員の仕事を手伝うといった具合に、一人ひとりがマルチプレーヤーにならざるを得ないという点でした。
 たとえば、住居の設営や改修のために、とび職のプロが一人同行していますが、一人では仕事ができません。で、助手が隊員の中から選ばれるのですが、北田さんは高校生のときに体操部にいたということで、行きの南極観測艦しらせの中で、とび職の作業服をポンと投げ渡され、にわかとび職もしていたそうです。



特大エビフライ

 これが、官僚的組織だと、新しい仕事が増えたらひとつ部署が増えるという具合に、人だけがどんどん増えていくところでしょうけれど、人もモノも補充のきかない南極大陸では、仕事が増えたら誰かが担当しなければなりません。
 あるいは、自分には経験がないから自信がないので、できそうにないと足を踏み出すことを躊躇し、「俺はやったことがないからやらない」とか「自分の専門外だからできない」と壁を作っていたのでは、時として死活問題にかかわるでしょう。

ウニ・イクラ・ズワイガニ・鮭の海鮮丼

 『論語』の中では、自分の能力をあらかじめ見限って決めてしまうことを戒めています。
 孔子の弟子の冉求(ぜんきゅう)が、「先生の教えを学べることを喜ばないわけではないのですが、自分に力が足りないからすべてを学ぶことはできません」と謙虚な姿勢で言ったところ、孔子はこう答えました。「力の足りない者は途中で止めてしまう。いま、お前は自分の限界を自分で設定してしまったのだよ」と。(冉求が曰く、子の道をよろこばざるにはあらず、力足らざればなり。子の曰く、力足らざる者は中道にして廃す。今なんじは画(かぎ)れり[雍也篇]

 「謙虚さは、チャレンジしないことの言い訳にもなりうる」と、齋藤孝さんは指摘しています。(歴学編集部編『論語ビジネス塾』[ダイヤモンド社])このように、能力にあらかじめ限界を作ってしまうことを孔子は戒めました。だから、孔子は、「立派な人というものは、決して単なる専門屋であってはいけないものだよ」(君子は器ならず[為政篇]貝塚茂樹訳)と言ったのでしょうね。

塩焼きそば
ダメ押しのフライドポテトとトリの唐揚げ










デザート:フルーツの盛り合わせ
北田さんの南極体験話の後、食事になりましたが、今回は南極ビーフシチューは登場しませんでした。しかし、最後に、南極の氷が参加者全員にふるまわれました。約一万年前の氷なのだそうです。氷の中には細かい気泡が閉じこめられていて、耳を近づけると、溶けた氷の中から、圧縮された一万年前の空気がプツプツはじけ出る音が聞こえてきました。
 味は…というより、口に含んだときの質感が水道水で作った氷とは違う感じがしました。なめ続けていると、ザラッとした土のような味がした気もしましたが、基本的に無味無臭です。

南極の氷を配る北田料理長

一万年前の南極の氷たち
おそらく、一万年間誰の肺にも入らず、何ものをも酸化せず、燃焼させず、水にすら姿を変えなかった酸素を、このとき味わったのだなぁと思いました。

 ごちそうさまでした。