今日は日中も雪の舞う寒い一日でした |
外科の手術をひかえた女性の術前診察で手術歴を聞いたとき「24年前に当院で帝王切開を受け、27週の未熟児を生んだ」と言われたことがあります。ひょっとして、ぼくが小児科研修医時代に担当していた未熟児ではと思って、お子さんのフルネームを聞いてると、同僚が担当していた未熟児だと分かって感動したことがありました。今では、当時の未熟児もすっかり成人して、元気に仕事をされていると知らされて、再び感動しました。
2月1日。北の職員駐車場がいよいよ閉鎖されました。 |
小児科でフォローする年齢は、慢性腎炎の子どもであっても、せいぜい高校生までです。その後は内科にバトンタッチするので、成人してから、彼や彼女たちがどのように生活をしているかは、なかなか知る機会がありません。
こんなこともありました。
そけいヘルニアの手術に、幼児がやってきました。手術が終わって、患児を送り出すときに、迎えにみえたお父さんから声をかけられました。そして、そのお父さんが、小児科時代に担当していた慢性腎炎の患者さんだったことが分かって驚きました。
当時、中学生の慢性腎炎の患者さんが三人ほど入院していたのですが、病棟では手の付けられない問題児ばかりでした。三人つるんで院外へ無断外出したり、隠し持ったポテトチップスを、病室で分け合って食べたりしていた連中だったので、今でも印象に残っています。
塩分と蛋白を制限された食事を出され、激しい運動はしないようにと言われ、長期に入院してステロイド・パルス療法を何クールか受けて、定期的に採血検査をされる。若い彼らにとっては、病院は牢獄のような世界だったのかもしれません。
新しい職員駐車場から新館へ向かう仮通路は 「うぐいす張り?」の板の廊下です。 |
その三人組の一人 Nくんは、中学では剣道部に所属して毎日クラブの練習に励んでいました。学校検尿で蛋白尿・血尿が見つかり、精査された結果、慢性腎炎と診断されました。それ以降、Nくんは運動を制限され、剣道部も辞めるざるを得なくなりました。
彼は、病気のために、好きな剣道を止めなければならなかったことが、きっと悔しかったのでしょう、入院してくる前に、中学校の校舎の窓ガラスに石を投げて、何枚も何枚もガラスを割ってやったと、入院中に打ち明けてくれたことがありました。
やがて、投薬だけでフォローされるようになってからは、入院もいらなくなって、Nくんは外来でフォローされるようになりました。
京都市立病院(画面左手の建物)の南の五条通。 目下、拡張工事中で半分は通行禁止。 |
麻酔科に転向してからは、ぼくはすっかりNくんのことを忘れていました。ところがある時、京都駅近くのレストランで元気に仕事をしているNくんの姿を見つけて、久しぶりの邂逅にうれしくなったことがありました。
腎生検の結果では、なかなか治療に反応してくれないタイプの慢性腎炎だっただけに、元気で仕事をしている姿を見て、ほんとにホッとして、うれしくなったのを思い出します。