これは、真っ暗闇の中で会場内を歩いて回る、という企画です。ふだん視覚にたよって生活しているわれわれが真っ暗闇の中に置かれると、どういう気持ちになるのか、ということを体験する場です。
博報堂大学幸せのものさし編集部 『幸せの新しいものさし』[PHP研究所] 金井真介さんが変えた「感覚のものさし」 の話は、この本の中に出ています。 |
金井さんは、かつて、ローマで開催された「ダイヤログ・イン・ザ・ダーク」イベントに参加したとき、グループからはぐれて、暗闇の中で迷子になってしまったことがあるそうです。
遠くに人の声は聞こえるけれど、どう歩いてもそっちにたどり着けなくて、すごく心細い思いをしながら、手探りで歩いていました。すると、急に左右から二人のスタッフが現れ、みんなの所に連れ戻してくれたのだそうです。金井さんは、スタッフは暗闇で赤外線を感知する暗視ゴーグルでもつけているのだと思っていたそうです。
ツアーの後、迷子になったときに左右からレスキューにあたったスタッフも、実は視覚障害者であったことを知って、金井さんは愕然としたそうです。
ツアーのガイド役の人が視覚障害者であることは最初から知っていたのですが、途中でレスキューに現れたスタッフの動きがあまりに自然で、金井さんはてっきり別の健常者のスタッフだと勘違いしていたからでした。
「自分よりハンディのあるはずの人に助けられた、という体験は衝撃でした。完全な暗闇という特殊な状況の中では、ふだん、健常者と呼ばれる人がここまで不自由で、逆に障害者と呼ばれている人がここまで自由になれるものなのか、と」
この体験を通して、金井さんは考えました。
「人は『立場』で生きている。社会とは『立場』と『立場』の関係性だ。だから社会の中では人は『立場』がないと生きられない。だが、環境が変われば『立場』もたやすく変わる。『上下』の関係性が一瞬で逆転することもある。実は、それくらい『立場』というのは相対的な存在なのだ。しかし普通はそれを絶対的なものとして、疑うことがない。
では、その『立場』を取り去ってみたときに残るものは何か。『立場』を持たない『私』という人間、あるいは『あなた』という存在の本質は何なのか。そのとき『私』と『あなた』の間にはどんな関係性が成立しうるのか?」
そして、ローマでの暗闇での体験から、金井さんが出した答えは、こうでした。
「それは自分で暗闇をつくってみることでしか分からない」
『立場』を絶対視するような見方をしてしまうと、ある『立場』は別の『立場』よりも偉いとか劣っているなどと思ってしまいがちです。
こういう態度のことを上品な言葉で表現すると、「目くそ鼻くそを笑う」と言います。目くそは鼻くそのことを自分より劣っていると思って笑っているのですが、その目くその態度を離れた所から見ている人からすれば、どちらも同じようなものじゃあないか、と滑稽に見えてくるのです。
しかし、どちらも同じようなものさ、という態度では、まだまだ物足りないかもしれません。相手に敬意をはらい、礼をつくして初めて、フラットな関係性が形成されたと言えるのではないでしょうか。
たとえば、暗闇で迷ったとき、助けてくれた視覚障害者に対してわたしたちはどう思うでしょうか?「ありがとう。あなたのおかげで助かりました。」と感謝の意を表すのではないでしょうか?
明るい場所に出て、相手が視覚障害者であったと知ったとき、その言葉を撤回する人が果たしているでしょうか?どんな場所、どんな相手であっても、フラットな関係性を意識していれば、恒に敬意を払い、礼をつくせるのではないでしょうか?
「自分で暗闇をつくって」みれば、それぞれの『立場』に関係なく、フラットな関係性が形成されて、お互いに礼をつくせるような気がするのですが、いかがでしょうか?