大学の教養課程時代に、ぼくと同じ工学部の合成化学科に在籍していたHt君から、森田正馬(もりたしょうま)の本を紹介してもらったことがありました。
彼は、一浪して京大の工学部に入りましたが、学部を卒業すると関西医大の医学部に再入学しました。ぼくが、その後医学部に行こうと思ったのは、多分に彼の影響もあったかもしれません。
Ht君は、工学部の学生であった頃から、森田正馬や神谷美恵子の本を読んでいて、ぼくにも紹介してくれたのでした。
森田正馬は、明治から昭和にかけて活躍した精神科医で、神経症の治療に関して、いわゆる「森田療法」を確立した医師です。この「森田療法」は、薬物を一切使わず、行動療法を主体とする、といった点で、西洋医学とは一線を画していました。
ぼく自身は、自分では神経症ではないと思っていましたが、学生時代に「森田療法」に関する本を読んで、生きていく上で大いに参考になったのを覚えています。
そして、先日、たまたま書店で帚木蓬生『生きる力 森田正馬の15の提言』[朝日新聞出版]という本に出会い、森田正馬に「再会」しました。帚木蓬生氏は、東大文学部を卒業後、九大医学部で医学を修めた精神科医ですが、小説家としても活躍されています。
帚木氏は、森田正馬の論文の中から15のキーワードを抽出して、森田正馬の考え方を分かりやすく解説しています。読み終えてみて、ぼく自身の考えが、森田正馬の考え方にいかに大きな影響を受けていたかを再認識させられました。
森田正馬は、心とか感情というのは、かげろうのように移ろいやすく、長続きもせぬくせに、くり返しくり返し反復刺激していると、強化されるものだと指摘しています。
落ち込んだり、気が進まない、あるいは何かをするのに不安を感じる、とかドキドキハラハラするといった心の動きは、人間である以上しごく当たり前のことで、それを矯正しようと考えてはならないのです。そういう感情をそのまま受け入れて、目的とすること(たとえば、勉学であったり、仕事であったり、あるいは人前でのスピーチであったり)を実行しなさい、と森田正馬は勧めています。
宮本武蔵が言うような「平常心」など凡人には持てるわけがない。人前に出れば、顔が赤らみ、足がふるえるのが当たり前で、それをいつもと変わらぬ「平常心でいなければならない」などと考えるからますますあがってしまうのだ、と説きます。
人以外の事物は、例外なく「あるがまま」に存在しています。山海草木、牛や馬、セミやクワガタムシも「あるがまま」に生活しているのです。
「人だけが、自分の身体の状態、精神の状態、対人関係、行動の状態に絶えず注意を向けています。頭重感、めまい、耳鳴り、吐き気、動悸が自分の身体に生じるとこれは一体何だろうと不安になります。病気の知識が多少なりともあれば、何かの病の兆候ではないかと一層心配になるのです」と帚木氏は言っています。
ここに働いているのが、「はからい」という精神作用であり、これが「あるがまま」の対立概念だとして、森田正馬はこれを嫌いました。彼は、「はからい」を「人生を曇らせ、症状や気がかりを増強する元凶だと喝破した」のでした。
「森田療法」の第一期ではひたすら絶対臥褥(ずっと臥床し放しで、食事と用便、洗顔、入浴のときのみ起きるのが許されます。もちろん誰とも口をきいてはいけません)が一週間から十日間続きます。
第二期の軽作業期には、「他人との会話は許可されず、庭の観察、古事記の朗読」などが日課として課せられます。自分の内にではなく、外に関心を向けるようにしているのです。今の患者の心がどのようであるとか、過去のトラウマがどうであるか、などは一切問われません。
この軽作業期を経て、第三期の重作業期に入ると、患者は新しい入院患者の世話にいそしみます。障子張り、炊事、配膳や風呂当番、鶏小屋の世話や庭掃除を担当します。この時期になって、ようやく患者同士の会話が許されます。しかし、ここでも常に患者の目は内にではなく、外に向けられるようにされています。
最後の第四期は、いわば社会復帰期で、買い出しに出たり、家への外泊を試みます。このすべての期間が約40日。この間、投薬は一切ありません。
これが、驚くべき治療効果を上げていたのだそうです。
あとがきで、帚木蓬生氏はこう言っています。
「知性をさずけられた人という存在は、誰しもが大なり小なり神経質の傾向を有しています。つまり森田正馬の考え方は、万人におしなべて通用するのです。」