2014年2月22日土曜日

三人の芸術家の仕事ぶり

 井上雄彦。手塚治虫。そして、パブロ・ピカソ。
 この三人の芸術家の仕事ぶりを描いた、漫画ないしDVDがあります。

 井上雄彦は、高校バスケットボールの世界を描いた《スラムダンク》で一世を風靡した漫画家ですが、現在は、吉川英治原作『宮本武蔵』をベースにした武蔵の生涯を描く《バガボンド》の連載を続けています。
 その井上雄彦が、本業の漫画制作の傍らたずさわった、テレビのコマーシャル撮影やニューヨークの書店での壁画作製、スラムダンク発行部数1億冊を記念して行われた、高校の全教室の黒板にスラムダンクの漫画を描くイベントを映像に収めたDVDが《INOUE TAKEHIKO OTHER HAND》です。

 《バガボンド》は、連載の途中から、ペンを毛筆に変えて描いているそうです。テレビのコマーシャルのための絵も大きな毛筆で一気に書かれていました。書店の壁画も、下書きなしの黒一色の墨で描かれています。その創作過程を見ていると、絵というよりも書に近い感じがしました。

 手塚治虫は、「漫画の神様」とも称される日本の代表的な漫画家でしたが、1970年代にはアニメーションの仕事が破綻して、虫プロダクションが倒産に追いこまれた時期がありました。そのどん底の状況を救ったのが、《ブラック・ジャック》でした。《ブラック・ジャック》のヒットをきっかけに虫プロは復活したのでした。


 この《ブラック・ジャック》の創作時期を中心に、手塚治虫の仕事ぶりを描いたのが、宮崎克・原作/吉本浩二・漫画《ブラック・ジャック創作秘話》[秋田書店]です。
 手塚治虫は、一回の話を描く前に、3〜4つのストーリーを考えていて、原稿を取りに来た編集者たちに語って聞かせて、どれが一番おもしろかったか、と尋ねていたそうです。
 また、一度は断念していたアニメーションも、24時間テレビでの放映をきっかけに復活させましたが、このときもほとんどの場面について、「リテイク!!」と、描き直しを指示していたそうです。完成して放映された後にも「全部リテイクです!!」と言って、再放送の予定もないのに、数ヶ月かかって直した、という逸話もあるそうです。

 手塚治虫の場合は、おそらく頭の中にすでに完成品があるので、締め切り時間に追われながら、それらを二次元の紙の上に表現するのに苦しんでいた、といった印象がありますね。何人もの助手スタッフに対しても、自分のイメージどおりの表現となるように、細かく要求を出していたようです。

 そして、パブロ・ピカソ。
 《天才の秘密 ミステリアス ピカソ》(1956年/フランス)では、ピカソの絵の創作過程がカメラに収められました。監督・脚本・編集は、フランスのサスペンス映画の巨匠アンリ=ジョルジュ・クルーゾー。

 第一の手法は「画紙に色を透かすイングで絵を描き、紙の向こう側から純粋に創作のすべてをカメラに収録」する方法でした。しかし、ピカソは「これでは表面的すぎる。油絵をやろう。絵の下にある絵も見せなければ」と言って、第二の手法が採用されます。これは「ピカソとキャメラを同じ側に置き、油絵を数タッチ描く毎にキャメラがその主要な段階を記録する」というもの。この撮影のために、ピカソは1時間に100回以上も立ったり座ったりをくり返したそうです。

 DVDの最後に出てくる大作〈ガルーブの海岸〉が完成するまでの過程は、圧巻です。最初の基本的な構図は辛うじて残しつつも、色や形が次々に変容していく様子を見ていると、ピカソの想像力と創造力は底知れない、と思い知らされます。

 この映画の中でピカソが描いた20点に及ぶ絵は、もう、この映画にしか存在しないということなので、今ではこのDVD自体がピカソの作品のひとつとなっています。
 
 さて、この三人の芸術家の創作態度は、三者三様なのですが、あえて共通項を見つけるとすれば、何でしょうか?
 陳腐かもしれませんが、好奇心と情熱、といったところでしょうか?

今日の笑顔

 Kiさんは、かつて、北館にオペ室があった時代に、手術室ナースとして活躍されていました。いったん京都市立病院を退職した後は、他院の内科病棟で勤務されていました。
 そして、京都市立病院に再就職されたときには、再び手術室の勤務となりました。ブランクの間には、腹腔鏡による外科手術が主流となり、手術の内容自体、すっかり変わってしまっていたそうです。
Kiさんは、この三月末で、京都市立病院を退職されます。
長らく、ありがとうございました。