2013年5月7日火曜日

フロアの色の変化は歩みを止める威力をもっている

 京都市立病院南駐車場の桜の木は、前に赤いボトルカーを置くと、対照的な色の取り合わせになって、ひときわ緑が映えるようです。









若草萌える比叡山

大文字山を斜めに見る



 本館6階の病棟の窓から東を眺めると、青空の下、大文字山と比叡山が間近に見えました。




























 今日は、四連休明けの火曜日。家族サービスをしたスタッフも多かったようです。
 専攻医のA先生は、お子さんの野球の合宿に同行し、親子試合に出たため、腰痛に悩まされながら麻酔をされていました。また、F先生は、一日は蹴上げのインクラインに遠足、一日は八瀬から鞍馬山のハイキングをされて、ふくらはぎが痛くなったそうです。

 また、研修医一年目のY先生は、卒後初めての連休を利用して、愛媛に帰省されました。お母さまは、近ごろはこのブログで娘さんの無事を確認されているとか。ブログの思わぬ効用を知りました。お土産には、母恵夢(ポエム)をいただきました。
 ありがとうございました。

 今日は、本館手術室入り口を入ったカウンターが撤去され、エントランスが広くなっていました。

 患者さんの動きを見ていると、無意識のうちに、床の色が変わったところで立ち止まっておられました。今は、一足制なので、歩行入室する患者さんは、そのまま入っていただいてかまわないのですが、ベージュ色からグリーンへの変化は、そのまま進むのをちょっとためらわせるようですね。

 患者さんのベッドの乗り換えは、エントランスが広くなったので、余裕をもって行えるようになりました。
手術室の本館入り口を入ってすぐの光景です



2013年5月6日月曜日

吾、ただ足るを知る

龍安寺のつくばいと侘助椿
つくばいは水戸光圀の寄進と言われています
(龍安寺のパンフレットより)
龍安寺のつくばいには、判じ物のような文字が刻まれています。

 中央の水をためた所を「口」と読ませると、上から右回りに、「吾」「唯」「足」「知」という文字になります。続けて読むと、「吾、ただ、足るを知る」という文になっています。

 道元の「八大人覚」の第一は、「少欲」でした。そして、第二が「知足」です。龍安寺のつくばいに書かれた文字は、この「知足」を表しています。


 「八大人覚」には、こう書かれています。
 「すでに手にした事物において、受けとった限りのもので満足すること、これを『足りるを知る』という。(中略)足りるを知るならば、地面に寝ていても安楽です。足りることを知らない人は、天界の殿堂にあってもなお満足しません。」(石井恭二訳)

 「少欲」というのは、まだ手に入れていないものについて、「欲しい」という心を抑えなさい、ということでした。つまり、ガツガツしない、謙虚な姿勢になれ、ということですね。一方「知足」とは、すでに手に入れたものについて、満足しなさい、ということです。受けとったものに満足したとき、人は感謝の心から「ありがとう」と言うのではないでしょうか?

これらを三人で分けるには…

 お菓子を数人で分配するときのことを考えると分かりやすいかもしれません。友だちとお菓子を分けるとき、三つ欲しいところを一つでいいよと、人に譲る姿勢が「少欲」。一つだけもらったお菓子を「ありがとう」といただくのが「知足」といったところでしょうか?








 禅の修行を積むと、この「知足」は、ただ、今このときに生かされている、ということだけに満足を覚えるようになるようです。
 内山興正さんは「じつは誰でも、今、足りているのです。今足りているという事実があるのです。事実足りておればこそ、今ここに生き生きと生きているのだから。— これが『知足を観ず』ということです。そして足りている今の事実を、生き生きと活かす。これが『知足に生きる』ことです」と述べています。(『正法眼蔵 八大人覚をあじわう』(大法輪閣)より

 手術が終わって全身麻酔から覚めたとき、「ありがとうございました」と、もうろうとした意識の中でおっしゃる患者さんを時おり見かけます。こういう方は、ひょっとしたら、手術を乗りこえて生きていること自体を喜べる知足の人なのかもしれませんね。
呑みほしたワインに満足するのか
もう一杯注文するのか
それが問題だ



2013年5月5日日曜日

本館手術室カウンター改修工事進行中

 朝は、霧がかかっていましたが、昼からは快晴の一日となりました。
霧で輪郭が見えた朝の太陽
朝は霧が出ていました

















右側手前が新しくできたカウンター
右手の白い壁の向こうでは改修工事が進行中
京都市立病院手術室では、この連休に入って、いよいよカウンターの改修工事が始まりました。

 この間は、臨時手術が入っても、本館側のドアは使えないので、新館の職員用ドアを利用して患者さんを案内することになっています。
 この土日には、一件ずつ臨時手術がありましたが、手術は、工事から離れた新館の手術室で行われたので、問題なく終了しました。



天井の照明のスイッチが壁の向こう側にあるので、
照明がつけられず、手前は薄暗くなっています



 手術室の機能を維持しながらの改修工事は大変だと思います。さて、連休明けには、どのような姿になっているでしょうか?

本館エレベーターホール側から中をのぞくと…
改修工事の真っ最中

2013年5月4日土曜日

わたしたちの団子は串にささっているか?

入場するための行列が、
動物園北側の歩道まで続いていました
今日は上空にマイナス24℃の寒気があったため、時おりヒンヤリとした空気の流れる天候のもと、京都市動物園に出かけました。







2013年4月にオープンした
「アフリカの草原」と「ひかり・みず・みどりの熱帯博物館」
のパンフレット




 「アフリカの草原」と「ひかり・みず・みどりの熱帯博物館」が、この四月に新しくオープンし、大勢の家族連れでにぎわっていました。












 「アフリカの草原」では、高い遊歩道からキリンを見下ろすことができ、キリンが木の葉を食む長い舌を見ることができました。
食事の途中、思わずカメラ目線になった
アミメキリンくん
「ひかり・みず・みどりの熱帯博物館」では、ナマケモノとカピバラの共生展示が売りになる予定でしたが、残念ながら展示直前にナマケモノが急死したために、カピバラだけが隅っこでちいさくなっていました。
仲間になるはずのナマケモノがおらず、
ひとりふて寝するカピバラくん
ちょうど、インドクジャクが羽を広げる場面に遭遇したのは幸運でした。
羽根を広げて、雌にではなく客に美しさを誇示する
インドクジャクくん

 平成28年度の完成を目処に計画されている京都市動物園の改造計画は、先の旭山動物園での経験に影響されているところも多いように思われました。
旭山動物園再生の原動力となった「14枚のスケッチ」のひとつ
「ととりの村」が本の装丁に使われています
旭山動物園は、廃園間際まで追いこまれる状況から、今や上野動物園と肩を並べる入園者数を誇る動物園にまで変貌をとげました。この旭山動物園の発展の「ナゾ」を、遠藤功氏は『未来のスケッチ』(あさ出版)の中で解明しています。
 遠藤氏が現園長の板東元氏へのインタビューの中で、人づくりについて尋ねたときに、次のような答えが返ってきたそうです。

 「うちは『串団子』なんです。団子ひとつずつを見れば、大きい、小さいといろいろある。大切なのは、それぞれの団子が一本の『軸』に刺さっていること。『軸』に刺さってさえいれば、大きい、小さいは個性であり、その個性を活かせばいい」

 では、この旭山動物園の『軸』とは何でしょうか?それは、旭山動物園自身が企画制作した『旭山動物園の動物図録』の中の理念に書かれています。

 「当園では、ありのままの動物たちの生活や行動、しぐさの中に『すごさ、美しさ、尊さ』を見つけ『たくさんの命あふれる空間の居心地の良さ』を感じて欲しいと考えています。ペット種のように触れ合う、可愛がる、芸をさせる、立つレッサーパンダのような擬人的なかわいらしいポーズに価値をつけるといった切り口から野生種への興味や関心をもってもらうべきではないと考えています」

今年の阪神タイガースの活躍を期待するアムールトラくん
遠藤氏は、この強い主張、尖った意思表示こそが、旭山動物園が旭山動物園たりえる存在理由だと断言しています。

 わたしたちの病院組織をふり返ってみると、病院とはさまざまな大きさの団子の集まりと言えないでしょうか?
 大きさばかりでなく、色や形までさまざまのようです。これらのさまざまな団子がひとつの皿にもられているだけでは、ただバラバラの烏合の衆に過ぎません。これらのさまざまな団子がひとつの串に貫かれて初めて、京都市立病院という盤石のまとまりができあがるのではないでしょうか?



 職員の誰もがみな、自分たちの存在意義を理解していて、
一人ひとりは、自らの個性を発揮して自由自在に仕事をしている。
 そして、そこに相互の信頼と尊敬があれば、申し分ありませんね。
東山通りから、琵琶湖疎水と東山を望む
動物園は右手奥の方向になります


2013年5月3日金曜日

ヘタウマ医者は成り立つか?

 山藤章二さんの『ヘタウマ文化論』(岩波新書)を読みました。

 かつて、上達するというのは「ヘタ」な所から「ウマイ」所へ上ってゆくことだったが、いつの頃からか、この二極の道とはまったく別の「オモシロい」という極が出現してきた、と山藤さんは分析しています。
 つまり、一芸に秀でるために一所懸命に修行に励むのではなく、大衆受けする「オモシロい」という判断基準にしたがうことによって社会に受け入れられる「芸」ないしは「芸術」が出現してきたというのです。
 この、「ヘタ」だけど「オモシロい」というジャンルを「ヘタウマ」と呼んでいます。

 この第三極の「ヘタウマ」は、つまりはあまり努力せずとも到達できる地点です。一般の素人がちょっと面白い絵を描いたり、芸をして、それがマスメディアでもてはやされると社会的に認知されるというのは、「ヘタ」に寛容な日本文化の特徴だ、と山藤さんは説いています。でも、海外でもたとえばクラシック・プーさんの絵などは「ヘタウマ」に分類できるような気がするのですが、いかがでしょうか。
ヘタウマ医者は成り立つか?

 それはさておき、医者の世界で、この「ヘタウマ」というのは成り立つでしょうか?

 医者の世界では、「オモシロい」というのは第三極の判断基準としては不適切でしょう。でも、たとえば、患者受けするという視点から、「よく話を聞いてくれる」とか「やさしい言葉をかけてくれる」という極を設けたらどうでしょう?

笑福亭鶴瓶さんが主演した『ディア・ドクター』という映画では、鶴瓶さんが医師免許を持たずにへき地で診療を続けている「ニセ医者」を演じていました。胃癌の患者を前にして立ち尽くし、気胸の患者にトロッカーを挿入することすら思い浮かべられませんが、村人からはけっこう慕われる「医者」でした。


 この映画の医学監修を担当した太田祥一先生は、「往々にして外見、口調など患者が感じることと実際の医者の能力は違うのである」と述べています。(太田祥一編著『「本物(プロ)」の医療者とはなにか − 映画『ディア・ドクター』が教えるもの』(へるす出版新書)より


 医者の場合、点滴や診断はたよりないけれども、患者の話をよく聞いてくれる医者を「ヘタウマ」と称してよいかもしれません。でも、これが自らの知識を更新し、技術を磨く努力を怠る言い訳としての「ヘタウマ」であったとしたら、医のプロフェッショナリズムの観点からして、許されるものではないでしょう。
ピカソの落書きみたいなハトを模写してみたことがありますが
とうてい真似できませんでした。

 晩年のピカソの絵には、手抜きのマンガみたいなものがありました。しかしながら、サラッと描かれた絵でも、模写してみると、これがなかなか真似できません。
 このピカソの「ヘタウマ」さは、それまでの的確なデッサンや彩色技法に裏づけされた「ヘタウマ」さなので、素人には真似できないようです。

 山藤章二さんも「ウマさを志した人間」や「ウマい技術を身につけた人間」が、「ヘタに見える絵」を描くことは非常にむずかしいけれども、「ヘタ」さの自由、楽しさ、自己開放の快感を知ると、やめられない、とも言っています。
 このように、一度頂点を極めた者が、意識して「ヘタウマ」を目ざすというのは、一般の素人がたまたま大衆に受けてもてはやされる「ヘタウマ」とは一線を画しているようですね。

 医者の場合も、やはり目ざすべきは知識と技術の最高地点で、そこを極めた後に、患者の地平まで戻って、患者が理解できる言葉で説明し、個々の患者を一個の人格として尊重しながら応対ができる、という「ヘタウマ」さが理想の姿かもしれませんね。


2013年5月2日木曜日

今日は八十八夜

 今日は木曜日でしたが、明日から四連休なので週末気分でした。
京都市立病院南正面玄関から東の空を望む
昼間はよく晴れ渡っていたのですが、肌寒く、夜はコートがほしいくらいの気温になりました。
南駐車場の桜の木も気持ちよさげにしていました

 今日は、将来京都市立病院で初期臨床研修を希望されている滋賀医科大学のTさんが、朝から麻酔科の見学にみえました。二年目研修医のKさんとともに麻酔と手術の見学に入り、夕方はMGHのテキストを読み合わせる麻酔科の勉強会にも参加されました。
中央が6回生のTさん

 夜は、西院のはなの舞という海鮮居酒屋で、ナースと麻酔科合同のオペ室の歓迎会が催されました。海鮮居酒屋というだけあって、さしみの盛り合わせ、海鮮寿司、ヒラメの姿造り、などなど海鮮料理が次々と登場していました。
ヒラメの姿造り
海鮮寿司

唯一の肉料理の焼き豚

 歓迎されたのは、病棟からローテされてきたKさん、Sさん、そして彦根から京都へ来られたAさん。麻酔科は、専攻医のA先生とM先生のお二人。そして、この四月、京都市立病院で初期臨床研修を始めて、最初のローテの科が麻酔科となった二人の研修医、Y先生とI先生でした。


 どうぞよろしくお願いします。

2013年5月1日水曜日

カエルの歌が聞こえてくるよ

旧クリーンルーム(2012年12月撮影)
股関節や膝関節の手術をするときには、他の手術室に比べて10倍くらいの空気清浄度が、要求されます。この清浄度を実現するためには、ヘパフィルターを通した空気を室内に送り、外界からの塵埃の流入を防ぐために、入り口のドアが二重にされています。この清浄度の高いオペ室をクリーンルームと呼んでいます。



旧クリーンルームでの手術風景(2012年12月撮影)




 以前のクリーンルームは、旧3番の室でした。ここは、将来は新館の外周廊下と接続される予定になっていて、現在は、使用されていません。










旧クリーンルームOR3(本日撮影)


 
 新館の手術室には、クリーンルームが2室作られました。
 1番と2番の室がそれです。



  このクリーンルームの入り口は二枚のドアになっているのですが、一方のドアを開け、さらに次のドアを開けようとする場合、先のドアが完全に閉まらないと開けられないしかけになっています。この待ち時間がけっこう長くて、急いで室に入りたいときなどにちょっとイライラします。
クリーンルームの内扉

左側の内扉は、写真の右手にある外扉が完全に
閉まらないと開かない


 最初のドアが開いてから、次のドアが開くまでの最短時間を計ってみると、16〜7秒かかります。
 この待ち時間の間に、「カエルの歌が聞こえてくるよ。ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ、けろけろけろけろ、ぐわっ、ぐわっ、ぐわっ」という歌をゆっくり歌い終っても、まだ開かないことが分かりました。







 最後のニューフェイス登場。
 今週から、K先生が月〜水と土曜日のオンコールの応援で来て下さいます。
 よろしくお願いします。