会場は、ホテルグランヴィア京都 写真は、京都駅側から見た 京都タワーです。 |
早川先生は、京都市立病院で33年間、放射線科医として活躍されました。その間、とくに若手の教育に力を注がれ、優秀な放射線読影医を育てて来られました。
胸にコサージュをつけた直後の早川克己先生です |
早川先生には三つの信条がありました。
一、速く、沢山、大声で
一、一日一論文
一、読影するときは、自分の親の写真と思って読影せよ
早川先生は、朝早くから病院に出勤されて、前日までのすべての撮影フィルムに目を通していたそうです。外科手術になった患者さんでは、術後の摘出標本とつき合わせて、術前の診断をふり返っていました。
一日に一つ論文を読むという習慣は、2009年頃から続けておられて、その内二年間は、「一日一論文」の目標を達成されたそうです。
毎日自転車で通勤され、病院ではいつも階段を利用していたのがプチ自慢。(33年間で、エレベーターを利用したのは、おそらく10回未満とのことだそうです)
研修医二年目のKk先生(左)は、早川先生の指導を受けて 放射線科医を志す決意をされました。 |
退職後、早川先生は、先の東北大震災で津波の被害にあった岩手県釜石市の病院に、単身赴任で勤務をされることになっています。建物や器械はあるのに医師がいないという状況を知り、退職後は被災地の医療に貢献をしたいと思われたのだそうです。
横断幕の文字は、いつの間にか 「退職」から「就職」に! 四月からは、岩手県釜石市の病院で活躍されます。 |
放射線科での日頃の看護は、救急室のナースが 担当しています。 |
早川克己先生、いろいろ教えていただき ありがとうございました。 |