2014年3月8日土曜日

退職後は被災地へ:早川克己先生退職記念祝賀会

 今日は、夕方から、京都市立病院放射線科部長の早川克己先生の退職記念祝賀会に出席しました。現役医師ばかりでなく、放射線科医師OBに放射線技師さんやナースも参加して、総勢100名規模のすてきな祝賀会になりました。
会場は、ホテルグランヴィア京都
写真は、京都駅側から見た
京都タワーです。

 早川先生は、京都市立病院で33年間、放射線科医として活躍されました。その間、とくに若手の教育に力を注がれ、優秀な放射線読影医を育てて来られました。
胸にコサージュをつけた直後の早川克己先生です

 早川先生には三つの信条がありました。

 一、速く、沢山、大声で
 一、一日一論文
 一、読影するときは、自分の親の写真と思って読影せよ

 早川先生は、朝早くから病院に出勤されて、前日までのすべての撮影フィルムに目を通していたそうです。外科手術になった患者さんでは、術後の摘出標本とつき合わせて、術前の診断をふり返っていました。
 一日に一つ論文を読むという習慣は、2009年頃から続けておられて、その内二年間は、「一日一論文」の目標を達成されたそうです。
 毎日自転車で通勤され、病院ではいつも階段を利用していたのがプチ自慢。(33年間で、エレベーターを利用したのは、おそらく10回未満とのことだそうです)
研修医二年目のKk先生(左)は、早川先生の指導を受けて
放射線科医を志す決意をされました。

 退職後、早川先生は、先の東北大震災で津波の被害にあった岩手県釜石市の病院に、単身赴任で勤務をされることになっています。建物や器械はあるのに医師がいないという状況を知り、退職後は被災地の医療に貢献をしたいと思われたのだそうです。
横断幕の文字は、いつの間にか
「退職」から「就職」に!
四月からは、岩手県釜石市の病院で活躍されます。
放射線科での日頃の看護は、救急室のナースが
担当しています。


早川克己先生、いろいろ教えていただき
ありがとうございました。